Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二回九州最高会議 学会員は″霊山会″

1993.5.23 スピーチ(1993.1〜)(池田大作全集第82巻)

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13  日亨上人″法難を招かぬ様に行動するのは魔事″
 「開目抄」に、末法に正法を弘通する者には、「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし」──山に山を重ね、波に波をたたみ、難に難を加え、非道に非道を増すであろう──と仰せである。
 この御言葉通り、学会の歴史は、受難の歴史そのものであった。一番の味方であるべき宗門からも、常に無慈悲な攻撃を受け、迫害された。彼らの保身から、広宣流布の足を引っ張られ続けてきたのである。
 日亨上人は、「薄信はくしん臆病にして、るべく法難をまねかぬ様に(中略)非日蓮的に行動する人あらば、それはすこぶる大聖人の御本意に遠ざかる、魔事怯業きょうぎょうである」と指摘されている。
 これは、宗門の姿そのものである。″信心薄く、臆病にして″″なるべく法難を招かぬよう″、日蓮大聖人と正反対の行動をとる──それは「魔事」である、「卑怯な振る舞い」である、と仰せなのである。
 宗門は「仏事」どころか「魔事」をなしている。
14  また、日亨上人は、「弟子檀那の信行しんぎょうが増信する時、一難一関いちなんいっかん迫り来るのである。各段の難関を透徹とうてつするとき、仏日ぶつにちいよいよ輝やき、信行ますます徹底するのである」と。
 信行が深まり、広布が進めば、障魔による難が起こるのは必然である。その難を乗り越えた時に、仏法の太陽は、いよいよ輝きを増し、信行はさらに深まる──との意味である。
 今回の問題によって、宗門の実態が、大聖人の仏法の本義から大きくかけ離れていたことが、万人の目に明らかになった。
 学会を切った宗門は、次々と醜態をさらして、社会からも不法行為を糾弾され、みじめな自滅の姿をさらしている。
 私たちは、正反対に、さらに信心を深め、すべてに勝利している。そして世界への大交流を悠々と開始した。
 宗門は、学会を「破門」したつもりで、学会にとっては、本格的な世界広宣流布への「開門」となり、真の世界宗教としての「開幕」となったのである。
15  戸田先生は詠まれた。
   東より 西にひろまる 仏法と 仏の御言葉 いたずらにせじ
   行くならば 山越え海こえ 妙法の 旅路たびじを共に うれしく行かなん
 このお歌通り、世界へと楽しく進みたい。
 とくに九州は、アジア各国との交流を広げていただきたい。
 交流を広げることが、自分自身の境涯と福運を大きく広げることになる。そのことを確信することである。
 いよいよ「大九州」の総仕上げの時がきた。皆が仲良く、力を合わせて「素晴らしき九州」を立派に建設していただきたい。

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