Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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1993.3.25 スピーチ(1993.1〜)(池田大作全集第82巻)

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9  「悪の根絶」が自身の「不幸の根」を断つ
 悪との戦いに妥協はない。方便品の「本末究竟等」について、大聖人は仰せである。
 「本とは悪の善の根・末と申すは悪のをわり善の終りぞかし、善悪の根本枝葉をさとり極めたるを仏とは申すなり」──(本末究竟等の)「本」とは悪の根・善の根、「末」とは悪の終わり、善の終わりである。善と悪の「根本」(本)から「枝葉」(末)までを、悟りきわめた人を仏というのである──と。
 「悪の根」とは、一切衆生に不幸をもたらす「不幸の根」である。大聖人は謗法の僧こそ、大悪であり、「悪の根」であるとされている。この「悪の根」を断つことが、人々の「不幸の根」を断つことになる。何より、自分自身の生命から、「不幸の根」を断つことになる。
 ゆえに絶対に最後の最後まで妥協してはならない。「悪の根」「一凶」を残しておけば、必ずまた悪の枝を伸ばしてくる。決して油断してはならない。
 日顕宗を″根絶″する戦いが、法華経の「本末究竟等」の法理にのっとった実践である。大聖人の御精神にかなった闘争である。悪とは断じて戦い抜く学会精神を一段と燃やしていきたい。
10  大聖人は、御自身と門下を指して「大乗平等法の行者なり」と仰せである。無上道を自証していると。
 大乗とは、多くの人々を乗せられる乗り物のように、多くの人々を救う教えである。全人類を乗せ、一切の人々を平等に成仏させる法=妙法の行者なのだと強調されている。
 そして末法は「南無妙法蓮華経の大乗平等法の広宣流布の時なり」と。
 にもかかわらず、「大乗平等法」を行じ、弘める者が、僧俗などの「差別」「不平等」を口にすることほど滑稽なことはない。それ自体、自分は大聖人の門下ではないと宣言している姿である。
 ここで大聖人は「権教は不平等の経なり」と明確に仰せである。
11  人類と世界は今、人間としての「平等」と「尊厳」の獲得へ動いている。「人権の世紀」の夜明けを求めている。
 ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁と私は、対談集『二十一世紀の人権を語る』の発刊を約束した。
 総裁は、即座に「『人権』についての対話では、『差別に対する戦い』が中心になると思います。すべての人間は、平等です。いかなる差別も許せない。絶対に許すことはできません」と、九十四歳の瞳を爛々と輝かせながら語っておられた。
 日蓮大聖人の御闘争を受け継いだ私たちの人権闘争は、「人類が味方」である。「新世紀が味方」である。そして諸天が味方であり、いよいよ大確信をもって進んでまいりたい。
 「大乗平等法の行者」として、「人類の希望」「世界の柱」の誇りをもって、ともどもに戦っていただきたい。

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