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日蓮大聖人・池田大作

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第1回アメリカSGI青年部総会 皆が成功者に、皆が幸福者に

1993.3.14 スピーチ(1993.1〜)(池田大作全集第82巻)

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1  未来部一期生の三十年後に期待
 三十五年目の3・16「広宣流布記念の日」を、愛するアメリカ青年部の皆さまと祝うことができ、私は本当にうれしい。どんな偉い人と会うよりも皆さまとお会いすることが、私は一番幸せである。
 本日の集いにあたって、日本ならびに南米をはじめ全世界の青年部から祝福のメッセージを託されているので、お伝えさせていただく。
 本日は、アメリカ未来部(高等部・中等部)誕生の歴史的な日となった。心からお祝い申し上げる。未来部の代表の皆さん、本当にご苦労さま。
 日本でも約三十年前に高等部・中等部が結成された。今、その鳳雛ほうすうたちが世界広布の晴れ舞台に、社会のあらゆる分野に、大鵬おおとりとして自在に羽ばたいている。ここサンフランシスコで堂々と指揮をとるナガシマ副理事長(アメリカ初代青年部長)も、高等部第一期生である。
 きょう、お集まりのアメリカ高等部・中等部の一期生の皆さまが、三十年後、どれほど偉大な指導者と育ちゆくことか。それを思うと、私の心は躍る。担当者の方々をはじめ、先輩の皆さま、この大切な大切な「未来の宝」を、どうか真心込めて育んでいただきたい。
2  「人類の根本課題」は生老病死の解決
 「人生の目的」は何か。それは「幸福」になることである。
 では本当の幸福とは何か。どんな名声も財産も地位も、それだけで真の幸福といえるかどうか──大きい疑問である。
 それらだけでは生命の奥底からの永遠の幸福はない。「生老病死しょうろうびょうし」という根本的な苦しみを解決できない。ここに日蓮大聖人の仏法が、どうしても説かれねばならなかったゆえんがある。
 「生」──生まれ、生きていく苦しみ。人生には無数の苦しみがある。宿命もある。思うにまかせないアクシデント(事故)もある。離婚や子供の悩み、仕事の行き詰まり──その他の悩みを、すべて、どう乗り越えるか、これが問題である。
 「老」──老いる苦しみ。今、皆さんは若い。健康であり、美しい。しかし、いつか必ず年をとり、おじいさん、おばあさんになっていく。
 この苦しみは、どんな注射を打っても、どんな高い薬を飲んでもなおらない。
 「病」──ガンで苦しむ。エイズで苦しむ。精神的な病で苦しむ。人生は、さまざまな病との闘いである。
 戸田先生はよく言われていた。貧乏という病気がある。根性が悪いという病気もある。いつも人に嫌われたり、人生の敗北者になってしまう宿命も、ひとつの病気といえよう、と。
 これらの心身の病を根本的にいやすのが妙法の力である。
 「死」──これは厳しい。今ここにいる全員が、百年後には、まず、だれもいなくなっている。フランスの文豪ヴィクトル・ユゴーは「人間はみんな、いつ刑が執行されるかわからない、猶予つきの死刑囚なのだ」と語ったが、死をまぬかる人間は一人もいない。死の姿も、自殺する人、殺される人、死を前に七転八倒の苦しみを示す人、さまざまである。
 この、「死」という厳粛な運命をどう考え、その苦しみを、どう解決するのか。ここに最も根本的なテーマがある。
 また死後は、一体どうなるのか。何かがあるのか。何もないのか。どういう状態なのか。凡夫には、だれもわからない。
3  「生老病死」は、万人の普遍的な課題である。「幸福」を求めてやまない、人類の根本の問題である。にもかかわらず、ほとんどの指導者は、この課題を避けて通っている。民衆の幸福に責任を感じる以上、避けては通れぬはずのこの問題から、ずるく、目をそらしている。ここに人類の不幸はある。
 この根本課題と、真っ正面からぶつかっていったのが創価学会である。この根本課題を完ぺきに解決する方法を示してくださったのが日蓮大聖人であられる。こうした四苦しく(生老病死)をはじめとする無数の苦悩を悠々と乗り越え、むしろ追い風に変えながら、「常楽我浄じょうらくがじょう」の人生を生き抜いていける「妙法」を教えてくださったのである。
4  人生は戦い、勝つための正しき信心を
 この妙法を若くして持った皆さんは、将来、一人残らず、男性は社会の「成功者」に、女性は人生の「幸福者」になっていただきたい。必ず、そうなれるのが仏法である。また、必ずそうならなければ、信仰した意味がない。
 人生は戦いである。現実は戦いである。大聖人は「仏法は勝負」と教えられた。「勝ちなさい」と教えられたのである。
 勝たねばならない。妙法を持ったことは「勝利の剣」を手にしたことである。一切に堂々と勝っていける。勝って、楽しんでいける。信仰者とは勝利者の異名である。
 ゆえに、男女の平等は当然のこととして、現実の傾向性のうえから申し上げれば、男性は社会の「名士」となり、女性は「これほど幸福になっていいのだろうか」と思うほどの「幸福の女王」になっていただきたい。
 そして一人残らず、「私の人生は悔いがない。私は楽しかった。大勢の人を励まし、希望を与えた。本当に、いい人生だった」と言える一生であっていただきたい。
5  正しき「信心即生活」を貫けば、必ずそうなるというのが御本仏の御約束である。仏様だけは絶対に嘘を言われない。仏法利用の僧侶がどんなに嘘ばかり言っても、大聖人の御言葉だけは絶対である。
 きょう集った代表の皆さまの名簿をつくることを提案したい。そして、まず二〇〇一年五月三日に、全員がどうなったか、さらに十年ごとに皆がどうなったか、きちんと歴史に残していってはどうだろうか。
6  この仏法は「祈りとして叶(かな)わざるなし」の妙法である。
 もちろん、きょう「種」を植えて、あす「花」と「実」が欲しいと言っても、それは道理に反している。きちんと「種」を育てれば、必ず最後には、願った通りの「所願満足」の境涯になっていくのである。
 また、「罪として滅せざるなし」の妙法であり、「福として来らざるなし」の大法である。さらに「理として顕れざるなし」──御書の通りの実証が生活のうえに顕れる正法である。
 この偉大な法も、「正しき信心」によって、初めてその力を引き出せる。どんなに立派な飛行機でも、操縦する人が酔っ払っていたりすれば、きちんと飛ぶことはできない。
 戸田先生は、御本尊を「幸福製造機」に、たとえられたが、こちらに「正しき信心」があってこそ、その無限の法力・仏力を頂戴できるのである。その「正しき信心」を教えているのは、わがSGI(創価学会インタナショナル)だけである。
 ともあれ、何があっても一生涯、「南無妙法蓮華経」と唱え抜いていく人が勝利者となる。このことさえ覚えておけば、人生は根本的に盤石である。大聖人は「南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」と仰せであるが、本当にその通りであると私は実感している。
7  「進まざるを退転」という。信仰の面だけでなく、この原理は勉強、仕事、生活のすべてに通じる。学生が勉強しない──退転である。社会人が仕事しない──退転である。主婦が何にも家事をしない──これも退転ではないだろうか。
 すべてにわたって前進し、進歩することが「生きる」ということである。前進の努力をやめれば、人生の退転である。そして、信仰は人生と生活の前進の原動力であるゆえに、信仰の退転は、一切の不幸の原因となる。
 ゆえに、同志とともに、広布の組織とともに、励まし合って、「信心の勝利」即「人生の勝利」を勝ち取っていただきたいのである。
 組織がなければ、一人で「正しい信心」を貫くことは、きわめて難しい。大聖人の教団も、現代的にいえば広宣流布の組織である。釈尊も組織(教団)をつくった。社会も組織、人間の体も皆、組織である。そして学会の組織は、全員が常に伸び伸びと、それぞれの使命を果たしゆくための組織なのである。
8  きょうは歴史に残る第一回総会であるゆえに、何点かにわたって、さらに少々、記念のスピーチを残しておきたい。
 今、アメリカ、そして世界にあって、″再生″への鍵はどこにあるか。当然、政治・経済等のアプローチが重要であることは、いうまでもない。それとともに忘れてならないのは、すべてが「人間精神の再生」から出発し、そして帰着するという一点ではないだろうか。
 仏法では、国土の乱れは、思想・哲学の乱れから生ずると洞察している。思想・哲学は、いわば時代と社会を生き生きと働かせる「心臓」の存在といってよい。「心臓」が弱まってしまえば、もはや健全なる前進は望めない。
 これまでの多くの思想・哲学が輝きを失っていくなかにあって、新たな「第三の千年」の扉を開く希望は、一体どこに見いだせるのか。
 私は、人間主義の仏法が、いよいよ世界史の壮大な舞台で実験され、検証されゆく段階に入った、と申し上げたい。アメリカをはじめ、世界の心ある識者は、ここに新たなる再生への鼓動を見いだし、大きな期待を寄せている。
 大聖人は「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」──天が晴れれば、大地は明らかとなる。法華経を知る者は、(太陽が大地を照らすように)世法を明確に得ることができる──と仰せである。
 「人間」と「社会」と「宇宙」を貫く″生命の哲理″は、時代の混迷を本源的に照らしゆく太陽といってよい。皆さまは、この妙法の「若き哲人」として、人間精神の再生への赫々たる光を、家庭に、地域に、社会に、そして世界に送っていただきたい。
9  「知恵の時代」の名指導者に、今は徹して勉学を
 今、期待されているのは、「知恵の時代」である。どんなに多くの情報があり知識があっても、それだけでは価値を生み、幸福を生むとは限らない。それらを使いこなし、生かしきっていくのは「知恵」の力である。
 戸田先生はこのような話をしてくださったことがある。
 ──江戸時代、日本のある学者が、当時の唯一の外国への窓であった長崎に出かけ、オランダ医学を勉強した。彼は、講義を一言も残さずノートに書き取ったため、その量は膨大なものとなった。
 しかし、そのノートを船に積み込んで海を渡ろうとした時、運悪く船は沈んでしまった。その学者は、命は助かったものの、ノートを全部なくしてしまい、あとは頭のなかには何一つ残っていなかった、というのである。
 「知識」は、きちんと身につけねばならない。その努力のなかで自分自身の「知恵」を開発しなければならない。知識の門をくぐらなければ、知恵も得られない。一方、知恵を身につけていかなければ、知識の洪水に溺れ、人生の正しき方向を見失ってしまう。
 そして、最も根本的な、正しく生きる「知恵」をわが生命から引き出し、磨いていく源泉が仏法である。
 どうか皆さまは、どんな局面に立たされても、みずみずしい英知を発揮しながら、賢く、朗らかに、現実を切り開いていっていただきたい。
 とくに未来部の皆さんにあって、今は「信仰即勉学」である。徹して知性を鍛え抜いていただきたい。とともに、人類の直面する地球的問題群に、私たちSGIは、さらに英知の連帯を広げ、調和の方向へ、平和の方向へ、繁栄の方向へと行動を積み重ねてまいりたい。
10  「″今なすべきこと″を全力で」
 あす、私は、サンフランシスコの誇る名門カリフォルニア大学バークレー校を訪問し、高名なチェン総長とお会いする。本日は、バークレー校をはじめ大学会も結成され、私は将来を頼もしく思っている。
 チェン総長は、「民衆のための大学」というバークレー校の伝統を受け継ぎつつ、常に学生と対話しながら、新しいヒューマニズムの息吹を起こしておられる。大変に尊敬されている方である。
 総長の青年時代の苦闘は有名である。日本軍の中国侵略のために、一家は故郷を追われる。総長は青年時代、一人、無一文で、アメリカに渡ってこられた。そして、人種差別にも負けず、苦学を続けられたのである。
 青年を愛する総長の励ましの言葉(青年へのメッセージ)を、そのまま紹介させていただきたい。
 「もう、ずいぶん昔に、中国の父が私に贈ってくれたアドバイスがあります。わが人生を生きるうえで、大変力になったので、皆さまにもお伝えしたい。
 それは『今やるべきことに全力を尽くせ。そして、あとのことは、あとで考えればよい』という言葉でした。″困難を避けて通ってはいけない。真っ向から挑戦することによって、最高の結果が生まれる。困難に押しつぶされてはならない″と、父はみずからの生き方を通して教えてくれました。
 青年は、みずからの限界に挑み、ベストを尽くしていけば、たとえ何が起きても動揺することはない。ゆえに、将来のことを悩む前に、まずベストを尽くすのです」と。
 だれしも青春は悩みとの闘争である。しかし、まず足元の課題に、青年らしく、全力で取り組んでいけば、必ず道は開ける。
 また、その時は重大な問題に思えても、往々にして、あとから振り返ってみれば、たいしたことはないものである。どうか「楽観主義」で、伸びやかに青春を勝ち取っていただきたい。
11  三十五年前の一九五八年(昭和三十三年)三月十六日、わが恩師戸田先生は、「創価学会は宗教界の王者である」と獅子吼ししくなされた。
 当時、学会は、世界的にはいまだ無名の教団であったといってよい。しかし、この師の叫びを抱きしめて、私たち青年は走りに走ってきた。戦いに戦い続けてきた。
 皆さま方のお父さん、お母さんたち、無名の尊き庶民とともに、力の限り、歴史をつくってきたのである。
 そして今、「世界の民衆の柱」たるSGIを築き上げた。これほどの美しき人間と人間の連帯は、もはや絶対につくれないと私は確信する。
 三十五年前、青年とともに日本の宰相を迎え、儀式を行おうとされた先生は、それが実現できず、残念な思いをされた。
 しかし今、私は、戸田先生の直弟子として、世界中の指導者と友情を結んでいる。今回の南米訪問だけでも四カ国の元首はじめ各界のリーダーと会見することができた。
 戸田先生は、さぞかし喜んでおられることであろう。そして、この私の切り開いた道に、今度は皆さま方が続き、壮大なる「民衆勝利の金門橋(ゴールデン・ゲート・ブリッジ)」を築き上げてくれることを、私は信じてやまない。ゆえに私は幸福である。
12  ホイットマン「生命を支配せよ」「人生を征服せよ」
 最後に、アメリカの偉大なる民衆詩人ホイットマンの詩を朗読したい。
   ああ、私は生ある限り、生命の支配者となり、断じて奴隷とはなるまい、
   人生に対しては強力な征服者として立ち向おう、
   何等の憤懣ふんまんも、何等の倦怠けんたいも用はない。
   愚痴も、人を見みさげる批評もおさらばだ、
   大気の、流水の、大地のすばらしい法則は、私の奥深くある魂の不壊なることを証拠だてている、
   そして、外面的な如何なるものも決して私を支配するものではない」
 ──皆さまに「栄光あれ」「成功あれ」「勝利あれ」「幸福あれ」と、繰り返し申し上げ、祝福のスピーチとさせていただく。
 どうか、ご家族の皆さまにも、くれぐれもよろしくお伝えください。

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