Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第六十一回本部幹部会、第九回中部総会 無限に希望輝く「この道」を

1992.12.19 スピーチ(1992.6〜)(池田大作全集第81巻)

前後
17  パークス女史は、アメリカの歴史的な公民権運動(市民の平等を勝ち取る戦い)の火ぶたを切った先駆者である。
 一九五五年(昭和三十年)の十二月、彼女はデパート勤務の仕事を終えて、バスに乗り込んだ。重い食料品を抱えた彼女は空いている座席に腰をおろした。
 ところが運転手は、後から乗った白人の乗客が立っているのを見ると、パークス女史たちに向かって、白人に席を譲るよう命じた。
 当時は、このような差別が公然と行われていたのである。
 他の三人の黒人は席を立ったが、彼女は動かなかった。穏やかに、そしてきっぱりと、「ノー」と言い切った。しかし、このために彼女は逮捕されたのである。
 当時の心境を、女史は、創大ロス分校で、次のように語られた。
 「バスで席を譲らなかったのは、人間がこのように差別されることは許せないと思ったからです。
 逮捕されたとき、これからはさまざまな困難に直面すると思いました。しかし、どんなことでも行おうと覚悟しました。絶対に妥協しないと決意したのです」
 「今こそ、一人の人間として、私はこのような仕打ちを、これ以上、許すことはできない。
 そして、私たちの社会も、これ以上、我慢はしないということを、彼ら(差別する人間たち)に思い知らせる時だと思ったのです」
 女史の言葉は、真っすぐに私たちの心の共鳴板を打ち鳴らす。人権闘争の魂を揺さぶる。
18  ″差別するバスには、乗らない! 皆で歩こう!″
 彼女の勇気ある行動をきっかけとして、有名な「バス・ボイコット運動」(乗車拒否)が始まる。
 (これは若きマーチン・ルーサー・キング氏がリーダーシップをとった″非暴力″の運動。それまでバスを利用していた二万人もの黒人たちが、皆、歩くようになった。創大ロス分校での女史の講演は、この運動の記念日である十二月五日に行われた)
 この運動については、以前にもスピーチした(一九九一年十一月十七日、創立記念勤行会・第四回東京総会。本全集79巻に収録)
 彼女は、さまざまな脅迫や嫌がらせを受けた。職場も解雇された。
 しかし、毅然として、裁判も戦い抜く。
 「私は負けない! 人間の尊厳を、どこまでも守る」。彼女の心は炎と燃えた。
 そして一年後の十二月二十日、ついに全面勝利の日を迎える。連邦最高裁判所によって″バスの差別は憲法違反″という判決が出され、その通達が市に届いた。
 この勝利は、「人権の時代」の新しい幕を開いた。平凡な一婦人の戦いが、歴史を変えたのである。
 歴史を変えた、学会の大勝利の原動力も、我が婦人部の皆さまである。
19  パークス女史は、今年七十九歳。今なお、はつらつとされ、アメリカ創価大学でも、こう語っておられた。
 「私は正義のために戦い続けます。力のある限り、自由と平等のために努力を続けます。私の仕事は、まだ終わっていません」
 命ある限り、正義の道を進む──私たちもまた、偉大なる「この道」、広宣流布、人間主義の「この道」を、勇気と希望と自信をもって、さらに進みましょう!来年も、ともどもに!
 全国の同志の皆さま、本当にご苦労さまです。また、中部での晴天の素晴らしい五日間、ありがとう! よいお年をお迎えください!

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