Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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関西最高会議 「日興遺誡置文」の実践者は学会

1992.10.24 スピーチ(1992.6〜)(池田大作全集第81巻)

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31  第二十五条「先師の如く予が化儀も聖僧為る可し、但し時の貫首或は習学の仁に於ては設い一旦の媱犯ようはん有りと雖も衆いたずらに差置く可き事
 「先師・大聖人のように、私(日興上人)の(門下の)化儀も聖僧であるべきである。ただし、(将来において)時の貫首、あるいは習学中の僧などが、一時的に女犯にょぼんをしたとしても、(破門せずに)衆徒(下位の僧、平僧)にしてとどめておくべきである」
 この御遺誡は、大聖人・日興上人が、僧侶の「妻帯」を絶対に許されていない、という明確な文証である。
 「聖僧」とは、「清僧(清い僧)」とも書き、妻帯・肉食をしない僧をいう。
 大聖人御自身が、妻子も持たれず、肉食もされなかったことは、「日蓮はせる妻子をも帯せず魚鳥をも服せず」との御文にも明らかである。
 また、門下の最蓮房に対して、″僧となったからには、権宗ごんしゅうの者であっても、妻帯、肉食をしてはならない。いわんや、正法の修行者においては、なおさらである″と仰せである(祈経送状)。
 日亨上人は、この御遺誡に触れられ、妻帯を含む「現今の在家同然の僧行(僧の振る舞い)」は、「一時の変体(異常な状態)」であり、「宗祖開山時代の常態(正常な状態)に帰るべきを祈るものである」と述べられている。そして「全分の生活まったく在家同然で、心意またこれに相応し、たんに袈裟衣を着てるだけの違いを、かえって偽らざる正直の僧侶と自負する者があるやに聞く。このていの放埒ぶりを標準とせば、この条項はいまは死んでおる」と断言されている。「条目の死」は「日興上人の御心の死」である。
 また、日興上人は″女犯するようなことがあれば、本来は破門して還俗げんぞくさせるべきである″ということが前提だが、″時の法主″の場合についても、一時の過ちであれば、衆徒に降格させるべきであると定められている。
 日亨上人も、この御遺誡について「貫主の高位をおとして下位に沈まするということと解釈する外はない」と。
 「一旦の犯」どころか、妻帯したうえに、破廉恥な行動で宗風を汚し、猊座を穢し続ける法主──日興上人が明確に、そういう人間は「退座」せよ、「降格」せしめよと命ぜられているのである。それに逆らう者は、日興上人への反逆者である。
32  第二十六条「巧於難問答ぎょうおなんもんどうの行者に於ては先師の如く賞翫す可き事
 「難問答に巧みな行者に対しては、先師・大聖人がなされたように、ほめたたえるべきである」
 「巧於難問答」とは、法華経の涌出品の文で、「難問答に巧みにして」と読む。地涌の菩薩を賛嘆した言葉である。
 大聖人は、この経文のごとき優れた人材の育成に心を砕いておられた。たとえば、叡山の学匠との法論に、若き日目上人を起用、日目上人は、見事に相手を破折され、人々を驚かせたというエピソードもある。
 我が学会にも、難問答に巧みな「折伏の名人」が、たくさんおられる。邪法邪義を破り、御本尊の偉大さを教え、正法を弘通する「広宣流布の勇者」を、最大にたたえ、尊敬し、宣揚してきたのが学会の伝統である。ゆえに、正法を世界に弘め、正法とともに栄えることができた。
 広宣流布といっても、実際に「法を弘める人」がいなければ永遠に夢物語である。ゆえに、日興上人は、御遺誡の最後に″弘法の人を大切にせよ″と重ねて誡められたと拝される。
 ところが、日顕宗は、「折伏の実践者」の尊い仏使の団体たる学会を、見下し、利用し、切り捨てたのである。
33  日顕宗は二十六箇条の悉くに違背
 以上、遺誡の一つ一つを拝していくと、日顕宗が、二十六箇条の「ことごとく」に違背し、その御心を踏みにじっていることは明白である。
 日興上人は「このうち一箇条でも犯す者は、日興門下ではない」と、最後に明確に記されている。
 これが師弟の厳しさである。「一箇条」どころか、「全条目」に違背した宗門は、正法の命脈を虐殺している「反日蓮大聖人」「反日興上人」の邪教である。邪宗「日顕宗」と呼ぶほかない。
 もはや、大聖人・日興上人に直結し、その正義と実践を継承した「正統の教団」は、私ども創価学会以外にない。御遺誡に照らし、また御書に照らし、そして「世界広宣流布」の事実に照らし、だれびとも否定できないであろう。
 学会あればこそ、宗門は「正宗」たりえた。学会が正宗を正宗としたのである。
 (日亨上人は「現在の宗門で、学会以外に、とるべきものがあるか」と言われた)
 学会と離れれば、邪教である。宗門は学会を″切った″つもりで、みずからを正しき信心の世界から、完全に″切り離した″のである。
 学会は「御本仏の教団」である。その学会とともに進めば、必ず成仏の軌道に入れる。三世にわたって大福徳に包まれる。
 この道理を確信し、いよいよ朗らかに、名実ともに″世界の関西″へと出発していただきたい。きょうは、ありがとう。

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