Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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学生部・女子部学生局代表勤行会 飛翔の″時″へ力を養え

1992.5.4 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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9  あまりにも率直で、歯にきぬをきせぬ自由奔放な彼の言動は、多くの批判を受けた。そのため彼は出世の道からは遠ざけられた。周囲の人間は、どんどん偉くなる。しかし、彼は平然としていた。決して腐らなかった。
 「人が活躍するには、″時″というものがある。『詩経』にも『ひとたび水辺みずべに鶴が鳴けば、その声は天に届く』とあるではないか。だからこそ、士(官吏)たるものは、いざという″時″のために、日夜、うまずたゆまず学問・修身に励んでいくべきである」と。
 人生には″いざ″という″時″がある。″出番″がある。その時に、いかに戦い、いかに勝つか。そこが勝負である。
 そのために「日夜、うまずたゆまず学問・修行をしていきなさい」と、彼は結論として教え残している。立身出世のみを追い求め、いくら処世術に長じていても、それだけでは偉大な仕事を遺すことはできないと。
 諸君の本舞台は「二十一世紀」である。その時のために、日夜、″うまずたゆまず″学問に励み、人格の錬磨に取り組んでいただきたい。「人格」と「学問」を兼ね備えた人が、真の人材である。国際人である。
 「努力」なき人は敗北者である。「努力」の人が勝つ人である。平凡なようであるが、私の人生経験の一結論である。
 たとえ今、ご両親が苦境にあったり、自分が大変な環境にいたとしても、使命ある諸君には、必ず、おおとりのごとく、大きく飛翔ひしょうする時が来る。その未来を、ご両親にも語り、安心させ、希望を与えてあげながらの、堂々たる努力の青春であってほしい。
10  讒言を見破る知性を
 東方朔は、死の直前、最後の諫言として、『詩経』の言葉を引きながら、武帝に述べている。
 「ぶんぶんと、うるさい青バエが群がって垣根にたかる。(讒言ざんげんは、その青バエのようなものだ)
 慈悲深き君子よ、その讒言を信じてはいけません。讒言はとめどを知らず、国と国とを戦にさそうものなのです」──と。
 彼は、讒言の連続であった自らの一生を振り返り、語った。
 それらがいかに取るに足らないものであるか。また、ひとたび、それにかかわったならば、どれほど多くの人を滅ぼしていくか──それを深く深く知り尽くしていたであろう。
 私も、同じである。「でたらめ」「つくりごと」によって、今日、私ほど攻撃されてきた人間もいないであろう。それだけに、私は、どんな悪意の言にも動かされない。すべて見破っていく。
 皆さんも、「青バエ」のように、人にたかり、陥れようとする心ない讒言に、絶対に惑わされてはならない。それらを見抜く「知性」をもっていただきたい。そのためにも「学問」を重ねることである。
11  今回の宗門問題も、讒言に讒言を重ねられたことがひとつの発端である。宗門の中心者が、讒言を讒言と見抜けず、利用され、かえって嫉妬の炎を燃やしたのである。そして、多くの人々を苦しめ、社会に迷惑をかけ、自身も永遠に恥を残した。
 人間というものが、どれほど愚かなものか。愚かさゆえにどれほど惨めな姿をさらすことになるか。これが古今東西の堕落と破滅の「方程式」である。宗門はまた、その″実例″を加えてしまった。
 そうさせない、こうならないためには「学問」である。「知性」である。「教育」である。諸君の使命は大きい。
 これからも、私は教育の発展のためにさらに一生懸命、「努力」していく決心である。
 どうか、健康に気をつけ、立派に成長していただきたい。お父さん、お母さんを大切にしていただきたい。後輩のために、道を開いていただきたい。
 そして「素晴らしい、偉大な人生を歩んでいただきたい」と、心より念願し、スピーチとしたい。きょうは本当に、ご苦労さま!

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