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日蓮大聖人・池田大作

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5・3「創価学会の日」記念勤行会 学会は尊き「地涌の菩薩」が雲集

1992.5.3 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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1  「黄金の五月三日」、世界の全同志に感謝
 皆さま方の信心と団結と戦いで、「黄金の五月三日」を迎えることができた。世界の全同志の皆さまに、心から御礼を申し上げたい。
 「地涌じゆ菩薩ぼさつ」の集まりである学会の祝賀の席に、きょうは、牧口家、戸田家をはじめ、えにし深きご親族の方々、また宗門改革に立ち上がられた、真の日蓮正宗の御僧侶方もこられている。ご列席の皆さまに、謹んで御礼申し上げたい。
 そして「富士交響楽団」「創価合唱団」。素晴らしい演奏と合唱をありがとう!(スメタナの「わが祖国」より「モルダウ」、学会歌メドレーで、記念の集いを祝福した)
 今、秋谷会長とも相談したところだが、この東洋一を誇る創価大学記念講堂で、タイのプーミポン国王が作曲された作品の演奏会を行うことになっている。それを、きょう演奏された方々が中心となって、盛大に開催していただければと思うが、ご検討をよろしくお願いしたい。
2  ″世界の創価学会″へ識者の賛同の声
 「5・3」の晴れやかな出発に、たくさんのメッセージをいただいた。海外、国内の識者の方々からも、多くの祝福と期待の声が寄せられている。きょうは、その一部を、初めにご紹介したい。
 ゲーテ研究の第一人者として著名な、東京大学の山下はじめ名誉教授は、電話で、次のように伝えてくださっている。ありのまま、ご紹介させていただく。
 「創価学会の日、まことにおめでとうございます。私は、戸田先生の時習学館で学んだ塾生の一人であります」
 「昭和二十六年(一九五一年)五月三日に、創価学会の第二代会長にご就任になり、以来、創価学会の発展ぶりを本当にうれしく拝見しておりました。
 その戸田先生が、昭和三十三年(一九五八年)に、お亡くなりになった時、私は心の中で泣きました。先生は、私にとって特別の恩師だったからです」
 「当時、創価学会はどうなるのだろう、という声がありました。しかし戸田先生は、池田先生という未曽有みぞうの後継者を、すでに育てられていた。そのことを、ただただ、すごいなと思うとともに、創価学会という団体の不思議さを感じました。
 戸田先生は、さぞやご満足であろうと思います。ご自分が理想とされ、夢にも見ておられた平和運動、教育構想などが、ことごとく、その何倍ものスケールで、今、池田先生によって達成されているのですから」
 戸田先生が亡くなった時、宗門のなかでさえ、学会と広布の将来を心配するどころか、先生の大恩を忘れ、陰であざ笑っている人間がいた。私は、それらすべてを知り尽くしているし、忘れていない。そんななかで山下氏は、信心はされていないけれども、これまでずっと温かく、学会を見守り続けてくださった方である。私への評価については、恐縮の限りであるが、公平な真実の証言であり、励ましのお言葉として紹介させていただく。
 山下氏は、さらに、こう続けられる。
 「創価学会の運動は、すでに日本という一国の次元を超え、SGI(創価学会インタナショナル)として、世界的になっています。これはひとえに、創価学会が、池田先生という大指導者を得たことによってのみ可能となったことでしょう」
 「私は学問の世界、教育の世界からみて、創価思想をもとに、小学校・中学校・高校・大学等の教育の一貫システムを完成されたこと、また世界の諸大学と交流を幅広く展開されていることに、目を見張る思いでいます。
 創価大学ができた時、創立の式典にお招きをいただきましたが、授業の都合で出席できませんでした。その後、何回か訪問の機会があり、講演もさせていただきました。全体の雰囲気が学舎まなびやにふさわしく、感銘を深くしました」
 学会の理念と運動について、本当に、よくご存じである。ある意味では、学会員以上かもしれない。
3  「池田先生のご著作は、『人間革命』など、読ませていただき、共感と感銘を覚えています」
 「宗門問題については、学会が全面的に正しい。寺院仏教の堕落は、全日本的な問題ですが、宗教改革に、ますます頑張っていただきたい」
 そして、ゲーテの『ファウスト』の長年にわたる翻訳を、このほど終えられたことを述べられ、「どうぞ池田先生に、くれぐれも、よろしくお伝えください」と語られていたという。(山下氏訳の『ファウスト』は、同氏らが中心になって進めてきた「ゲーテ全集」<全十五巻・潮出版社>の最終巻となるもの。六月上旬に発刊の予定。同氏は「ゲーテは森鴎外おうがいらによって日本に紹介されて百年になりますが、潮出版社からの全集出版は、気鋭のゲーテ研究家の手による、現代人にもわかりやすい翻訳で、新しい生命を得て刊行されたものと自負しています」と語った)
4  真心あふれるメッセージに、ただちにお礼をと思い、伝言とともに私の写真集などを託し、お届けした。山下氏は、伺った人を、夫妻で迎えてくださり、大変に喜んでくださったとのことである。それを聞いて、私もうれしかった。
 写真集の扉に、感謝を込めて揮亳きごうをさせていただいたが、それを夫妻でご覧になり、「あっ、このお文字は池田名誉会長のですね。以前も拝見したことがあるのでわかります。大事にさせていただきます」と、おっしゃってくださったという。
 また、ページをめくりながら「名誉会長は、自然の美しさを、本当に見事に、写真に撮られている。詩も素晴らしいし、やはり、信仰で磨かれた感性なんでしょうね。拝見していると、詩人らしい感覚、『詩心しごころ』を感じます」と語られ、「桂冠けいかん詩人」の称号や「ミルトン的な高みにまで到達」(世界詩歌協会会長スリニバス博士)等々の評価をいただいていることに、「わかる気がいたします」と大きくうなずいておられたという。
 やはり、一流の方は礼儀正しい。こちらが恐縮してしまうほど謙虚で、人間としてのあたたかさがある。また夫人は、三年ほど前に夫妻で中国の復旦ふくたん大学に招かれた思い出を通して、こう語られていた。
 「復旦大学を訪れた時、蘇歩青そほせい名誉学長が、名誉会長をたたえる献詩を書かれていたのを拝見したことがあります。こういう言い方は不適切かもしれませんが、名誉会長のことは、海外の人のほうが、よく理解していますね。日本人は昔から″出る杭は打たれる″で、心が狭いように思います」と。
 そして、山下氏は、「私は昔から、よく生徒に、二つのことを言ってきました。一つは『打てば響くような人間になれ』、もう一つは『筋を通す人になれ』ということです。この二つは戸田先生の教えでもありました」「五月三日ということで、戸田先生から学んだことを、いろいろと思い出します。それに、私事ですが、実は五月二日が私の誕生日で、七十二歳になります」と。
 「打てば響く」「筋を通す」──まさに学会精神であり、人間の生き方の真髄である。そして、山下氏のお人柄のなかに、戸田先生の人生哲学の一面が生き続けているのを、私は感じる。
5  学会は人類の平和に貢献
 また、京都大学名誉教授の樋口謹一氏からも、次のような祝辞が寄せられている。(樋口氏は京都大学文学部史学科を卒業後、同大学人文科学研究所教授を経て、現在、仏教大学教授、京都大学名誉教授。元日本平和学会会長としても尽力され、『ルソーの政治思想』『モンテスキュー研究』(編)など、多くの著作がある)
 「″脱冷戦″ともいうべき二十世紀の最後の十年間、創価学会は″戦争の世紀″から″平和の世紀″への移行のため、大いに貢献していただきたいと思います。
 その意味で、まさに示唆的であったのは、私の考えでは、現在、世界最上の政治家ともいうべきチェコスロバキアのハベル大統領と池田名誉会長とが、対話されたことであると思う」
 「チェコスロバキアでのビロード革命は、対話・非暴力によるソフトな革命であったが、それは池田名誉会長が、かねがね重視されているソフト・パワーを連想させるものである」
 「″平和の世紀″をもたらすためには、全地球的規模でグローバルに思考し、ローカルに身近なところから行動することが鉄則である。
 その意味で創価学会は、今日まで草の根から発足して、地方・国・地域へとネットワークを広げ、全地球的な協力で平和実現のために活躍されてきたと思う。どうか今後ますます、そのネットワークを広げ、人類のために貢献していかれるようお願いします」と。
 氏の期待に応えるべく、皆さまとともに、このネットワークを守り、一段と広げ、人類のための″人間勝利″のネットワークとしていきたい。
6  大聖人の仏法を曲げた宗門
 また、和歌山大学教授の徃住とこすみ雅司まさつか氏からは、次のような祝辞をいただいた。(徃住氏は東京音楽学校<現・東京芸大>を卒業し、現在、和歌山大学教育学部教授。また、県の音楽祭ともいえる「和歌山音楽大行進」の実行委員会運営委員長、和歌山市交響楽団同吹奏楽団運営委員長を務める)
 「5・3『創価学会の日』は、宗門からの制約を一切離れて自由を謳歌できる素晴らしい日になりますね。『くそ坊主』『坊主まるもうけ』などという言葉が、昔からなぜあるのかが、聖教新聞を読んでよくわかりました」
 徃住氏は、聖教新聞を二十年間、購読されているとうかがっている。
 また「宗教の在り方を根本から追究しているのは創価学会だけです。僧侶の悪をはっきり言い切れる学会は素晴らしい。強い自信のある証拠だと思います」と。
 昨日お会いしたハーバード大学のコックス教授も、SGIの運動の根底にある哲学、宗教に対し、高い期待と評価を寄せておられた。一流の方は、的確に″本質″を認識している。
 徃住氏は、「私は宗教改革に大賛成です。僧侶の権威に挑戦していることは、社会的にも日本全体の宗教改革に通じるわけで、未曽有の快挙です」
 「学会の友人葬にも感動しています。これが本来の葬儀の在り方だと思います。私は以前から、葬儀に僧侶は必要かどうか疑問に思っておりました」
 「日蓮大聖人が庶民のために仏法を説かれたのに、途中の坊主が曲げてしまった。その悪を許さない行動が大事だと思う」
 「聖教新聞を読めば、物事の本質がよくわかるし、最も公平な物の見方を教えてくれると常々、思っています。その聖教新聞に会友制度が発表された時、自ら希望して会友になることを決めましたが、それ以前から、学会の『同志』のつもりで今日まできました。どうか今後も、大いに活躍していただきたいと思います」と。
 時間の都合で、これ以上、紹介できないが、まだまだ数多くの方々から祝福のメッセージをいただいている。我が学会への温かいエールに、謹んで御礼を申し上げたい。
7  戸田会長「牧口会長と生死をともにするために生まれた」
 昭和二十六年(一九五一年)七月二十二日、「創価学会常住」の御本尊奉戴式ほうたいしきが行われた。「大法弘通慈折じしゃく広宣流布大願成就」とおしたたの御本尊である。
 引き続いての臨時総会の席上、戸田先生は次のように話されている。
 「わたくしは、創価学会理事長を学会創立以来つとめ、故牧口会長とは影の形にそうごとく、生死をともにするために生まれてきたのである」
 ──師と弟子。生死にわたり、身と影のごとく一体である、不二である、と。私も、つねに戸田先生、牧口先生とともにある。一体である。
 現在、この八王子の地に「東京牧口記念会館」の建設が進んでいる。また、学会本部近くに「東京戸田記念国際会館」も建設の運びとなった。お二人の名を冠した大殿堂を残しておきたいとの構想である。不二の弟子は、「広宣流布」のため、これまで以上に大きく動き、働き抜いていく決心である。
 戸田先生は、続けてお述べである。
 「牧口会長のあの確信を想起そうきせよ。腰抜け坊主が国家に迎合せんとしたとき、『日蓮正宗をつぶしても国家諫暁をなさん』との厳然たる命令は、絶対の確信のほどがしのばれるのである」と。
 大切なのは一宗の興亡ではない。一国の将来である。人類の未来である。そのために「正法」を守り抜くことである。
 「日蓮正宗をつぶそうとも」大聖人の仏法を守る。民衆の幸福を守る。この「大聖人直結」の道を、どこまでも進む──牧口先生の烈々れつれつたる確信であった。そのほとばしる確信を断じて忘れるな、との戸田先生の叫びであった。
8  宗門は権力に迎合、物欲に堕落
 宗門が、正法を守るどころか、権力に屈し、堕落しきった歴史は、皆さまもご存じの通りである。(「神札」を受けたのをはじめ、「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」等の御聖訓を宗門の要文集から削除していた事実、さらに御書の発刊を禁止していた事実、勤行の観念文を神道風に書き換えていたこと、その他、大聖人に師敵対する「謗法容認」と「権力追従」の行為が次々と明るみにされている)
 しかし学会は、御本尊の尊厳を民衆に示すため、また大聖人、日興上人への御報恩のため、宗門を守りに守り、発展させてきた。「宗門外護げご」の大赤誠せきせいを尽くしぬいてきた。近年も、僧侶の堕落・飽食ほうしょくの実態をの当たりにしつつも、あくまで「宗門自身による浄化」を願ってきたのである。
 だが、こうした私どもの赤誠は、完全に裏切られた。自分たちが安楽に暮らせるだけの蓄財ができたとみるやいなや、嫉妬のあまり″目障めざわり″な学会は「切って」しまう。もらうものだけもらえば、あとはもう用はない。これほど理不尽な悪行はない。どんな理屈をつけても、「事実」が、その悩乱を証明している。(学会への不当な″処分″が、世界一千六百余万人からの法主退座要求、良識ある僧侶の離脱をはじめ、宗内外の厳しい批判を浴び、各地の寺院を混乱と凋落ちょうらくの一途におとしいれるなか、日顕が一族を引き連れて超高級旅館で″豪遊″していた事実も報道されている)
 そのような宗門に従っても、功徳などあるわけがない。だまされてはならない。
 生命は三世である。広布の未来も永遠である。目先のことにとらわれて、幸福の軌道を踏みはずしては、自分自身が取り返しのつかない悔いを残す。
9  戸田先生は、臨時総会でさらに述べられている。
 「日蓮大聖人様は、われら学会員の位を御書に『四味三教しみさんきょう極位ごくい・諸宗の元祖がんそ勝出しょうしゅつすること百千万億倍の大菩薩なり』(趣意、三四二㌻)と決められており、かかる勇気にみち、一糸乱れぬ統帥のもと、足並みそろえて大折伏行に行進する団体は、七百年間、いずこにあるか」と。
 学会員は、四味三教の極位(法華経以前の教えにおける最高の位の者)や、諸宗の元祖より、百千万億倍勝れた大菩薩であると、御聖訓のうえから、断言されている。
 広布に走る皆さま方は、尊貴なる「地涌の菩薩」であられる。学会は、経文と御書に説かれた、この「地涌の菩薩の集い」なのである。
 「諸宗の元祖よりも百千万億倍勝れている」──近年、出現した大聖人違背、大聖人利用の日顕宗の″元祖″などは、比較にもならない。
 どうかこの誇りと確信で、堂々と「謗法呵責」の戦いを貫いていただきたい。牧口先生、戸田先生が、身をもって示された「大聖人直結」の信心の大道を、全世界の同志とともに、歩み抜いてまいりたい。
10  強き「信心」は福徳の「金の器」
 きょう五月三日は、「創価学会母の日」。″広布の母″として献身されている婦人部の皆さまのご多幸を祈り、謹んでお祝い申し上げたい。
 世間では、「母の日」は年一回(五月第二日曜日)であるが、学会には毎年二回ある。婦人部の皆さまへの敬意と感謝を込めて設けられている。
 「母の日」に比べると、「父の日」(六月第三日曜日)は影が薄いようであるが、壮年部の皆さま、ともどもに頑張りましょう。
 ここで、学会の「母の日」にちなみ、「御書」を拝読したい。私どもは常に「御書」を根本とし、御本仏の仰せ通りに進む。
 弘安二年(一二七九年)の五月四日──ちょうど明日の日付である。大聖人は、窪尼御前くぼのあまごぜんという一人の母に、お手紙を送られている。それは夫に先立たれ、まだ幼い一人娘とともに懸命に生きている母であった。
 窪尼は、駿河国するがのくに(現在の静岡県)に住んでいた高橋六郎入道の後家尼ごけあまと考えられ、他の御抄をいただいている妙心尼、持妙尼と同一人物であろうともされている。本抄御執筆しっぴつの年時については建治二年(一二七六年)との説もある。
 弘安二年といえば、蒙古の再びの襲来がうわさされ、世情は騒然としていた。また大聖人の一門には熱原の法難が襲いかかっていた。
 しかし、そうしたなかでも、けなげに強盛な信心を貫く一人の母を、大聖人は大きく包容され、母子の生活状況を深く思いやりながら、何度も温かく励ましておられる。このお手紙も、その一通である。大聖人は、常に、民衆の味方であられた。
11  この御書で大聖人は、窪尼の娘を「ひめ御前」と呼ばれ、お母さん思いの美しい心根こころねをたたえられて、こう仰せになっている。
 「から国にせいし西施と申せし女人は・わかなを山にみて・をひたるはわをやしなひき、天あはれみて越王と申す大王のかりせさせ給いしが・みつけてきさきとなりにき、これも又かくのごとし・をやを・やしなふ女人なれば天もまほらせ給うらん仏もあはれみ候らん
 ──中国の西施せいしという女性は、若菜わかなを山からんできては、老いた母を養っていた。そこで天がこれをあわれんで、越王という大王が狩りに来た時、見いだされてきさきとなった。あなたのおじょうさんもまた、これと同様です。親を養う女性ですから、諸天も守られるでしょう。仏も憐れまれるでしょう──。
 「一切の善根の中に孝養父母は第一にて候なれば・まして法華経にてをはす、金のうつわものに・きよき水を入れたるがごとく・すこしもるべからず候、めでたし・めでたし
 ──一切の善根(善い結果を生ずる因となるもの)の中で、父母に孝養を尽くすことが第一であり、まして、法華経を信仰しておられるうえでの孝養ですから、金のうつわに清らかな水を入れたように、少しもれることがありません。めでたいことです。めでたいことです──と。
 (大聖人は、別の御書では、西施を国を滅ぼした″傾国の美女″として挙げられているが、本抄では孝養の果報を示すたとえとして引かれていると拝される)
12  大聖人が仰せのように、「信心」こそ善根・福徳を満々とたたえゆく最高の「黄金の器」である。
 正しき信心を根本として、正しき行動、正しき生活を積み重ねていく人は、諸天からも諸仏からも守られゆく。御本仏が守りに守ってくださることは、間違いない。
 金の容器は、(土を焼いた器などとちがって)水が漏れない。妙法を行ずる人の生命は、黄金の器のように、少しも漏らさず、日々の福徳を永遠に積んでいく。
 ゆえに、″信心の清水″を謗法や不信によって濁らせてはならない。悪知識の誘惑に汚されてはならない。″信心の金の器″を傷つけてはならない。
 長く信心をしてきたから、あるいは幹部であるからといっても、慢心を起こして学会から離れ、退転してしまえば、真の信心の命脈は途絶えてしまう。
 我欲がよくにおぼれて大切な広布の組織を利用したり、壊そうとすることは、自身の「福運の器」を破壊するのと同じである。また、そうした″破壊者″を断じて許してはならない。
13  御本尊は清き心の民衆の味方
 「至誠しせい天に通ず」という言葉がある。私どもは、これまで何度も「悪の策謀」に苦しめられ、裏切られてもきた。しかし、大聖人の仰せ通り、「広宣流布」へと一筋に進む赤誠せきせいの祈りと行動が、御本仏に通じないわけがない。大聖人に敵対する者どもが何と言おうと、大聖人が私どもを必ず守ってくださっている。そして学会の正義は厳然と歴史に証明されゆくと、私は絶対の確信をもって断言しておく。
 このお手紙でも、大聖人は一人の女性門下に対し、″今の労苦がすべて実り、必ず幸福になりますよ″と、限りない希望を送られている。
 庶民の生活の機微を細やかに汲み取り、求道と孝養の心を最大にたたえられる──こうした温かな人間性の発露はつろにこそ、仏法は脈動している。権威でも、観念でもない。そのことを、私どもは御本仏の御振る舞いに深く拝してまいりたい。
 また、その意味で、どうか青年部諸君は、お父さん、お母さんを大切にしていただきたい。女子部の皆さんも、絶対に、親に心配をかけない人であってほしいと思う。親孝行できる人は、心豊かな人である。自分自身が幸福になれる人である。
 また、壮年部、婦人部の皆さまも、ご夫婦が仲良く、和楽の家庭を築いていただきたいと念願する。
14  ″振る舞い″に仏法者の真実
 最後に、日淳上人の御振る舞いを拝したい。婦人部による聖教新聞紙上の座談会でも紹介された話である。
 学会草創のころ、猊下げいかになられる以前の日淳上人が、ある学会員の家庭の葬儀にお越しくださった。当時は社会も貧しい時代であった。その家庭も、葬儀代を出すのも大変な状況であった。同志が少しずつ出し合い、「ささやかではありますが」と、日淳上人に真心の御供養を申し上げた。
 日淳上人は、丁重にお礼を述べられ、いったんは受け取られる。しかし、お帰りの間際、遺族の方にそっとその御供養をお渡しになり、「これで、お子さんに何か買ってあげてください」と告げていかれたのである。
 私どもは、この慈愛に感動する。これこそ御本仏の御心に連なった、真の正宗僧侶のお姿ではないだろうか。″振る舞い″にこそ、その人の真実は現れる。
 しかし残念なことに、今の宗門は正反対の姿に堕落してしまった。″金欲″と″信徒蔑視べっし″にり固まった、極悪ごくあくの教団と化してしまった。悲しいことであるが、極悪とは、断じて戦う以外にない。皆さまは、「正邪」を鋭く見破り、強くまた強く、邪悪と戦い抜いていただきたい。
15  人生も広布も、限りなき戦いである。闘争である。「万年」にわたる広宣流布の道を開くために、まず本年の戦いに勝つことである。本年の勝負が、今後の勝負の天王山である。
 どうか、それぞれの立場で、「この一年」の栄光の峰を踏破していただきたい。そして、全員のスクラムで、万年にわたる勝利への前進を晴れやかに開始していただきたい。
 きょうは、あとはゆっくりとくつろいでいただきたい。素晴らしい「5・3」を、″喜びの一日″として楽しく過ごしていただきたい。
 全国の皆さまに、重ねて、心から感謝申し上げ、「また来年の五月三日に、晴れ晴れと集い合いましょう!」と念願し、記念のスピーチとしたい。ありがとう!お元気で!

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