Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「3・16」記念代表者会議 「3.16」は永遠の出発の日

1992.3.15 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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14  日寛上人は「我等われら一心に本尊を信じたてまつれば、本尊の全体すなわち我が己心こしんなり。ゆえに仏界即九界なり。我等一向いっこうに南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身の全体即ちこれ本尊なり。故に九界即仏界なり」(観心本尊抄文段)──われわれが、一心に本尊を信じ奉れば、本尊の全体が、そのまま我が己心である。ゆえに仏界即九界である。われわれが、ひたすら南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身の全体がそのまま本尊である。ゆえに九界即仏界である──と述べられている。
 そして大聖人は「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」──この御本尊もただ信心の二字におさまる──と断言しておられる。
 「仏法は勝負」と心を定め、異体同心で広布へ向かう強盛な「信心」の人は、事実のうえで、その身が「功徳聚くどくじゅ(功徳の集まり)」すなわち妙法の当体と輝いていく。そのことを大聖人は、強くまた強く教えてくださったのである。その通りに進んでいるのが、我が創価学会である。
15  きょうの「一歩」が広布大勝の母
 最後に、ある婦人への御書の一節を拝したい。
 「夫れ須弥山の始を尋ぬれば一塵なり・大海の初は一露なり・一を重ぬれば二となり・二を重ぬれば三・乃至十・百・千・万・億・阿僧祗の母は唯・一なるべし
 ──そもそも須弥山のはじめをたずねれば一つの塵である。大海のはじまりは一つの露である。一を重ねれば二となり、二を重ねれば三となり、このようにして十、百、千、万、億、阿僧祗(数えきれないほどの数)となっても、その母は、ただ一なのである──。
 ここに仰せのように、「一人」が「広布大海」の母である。ゆえに「一人」を大切にすることである。また、先駆の「一人」である自分を誇りにしていくことである。
 そして、「一歩」が重なって、「広布長征」の勝利がある。ゆえに、今日という「一歩」を大切にすることである。今日の「一歩」が栄光の母なのである。
 全国の皆さまにとって、新たなスタートとなる、有意義な本年の″3・16″でありますよう心から念願し、記念のスピーチとしたい。

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