Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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大分新世紀総会・レインボー音楽祭 仏法は「現証にはすぎず」

1992.3.1 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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10  時とともに悪の根は露れる
 さらに、この御書の結びにこう仰せである。
 「長寺は所領を取られて・まどひたる男どもの入道に成りて四十・五十・六十なんどの時・走り入りて候が用は之れ無く道隆がかげにしてすぎぬるなり、云うに甲斐なく死ぬれば不思議にて候を・かくして暫くもすぎき。又は日蓮房が存知の法門を人に疎ませんとこそたばかりて候らめ、あまりの事どもなれば誑惑おうわく顕われなんとす、但しばらく・ねうじて御覧ぜよ、根あらわれぬれば枝れ・源渇けば流尽くると申す事あり、
 ──建長寺は、所領を取り上げられて行き先のない男たちが、入道となって、四十・五十・六十歳などにもなった時に逃げ込んできた者たちの集まりである。そうした人間たちが、何の働きもなく、道隆の陰に隠れて暮らしてきたところなのである。(道隆が)ふがいない死に方をしたのが不思議なので、このような(道隆の骨が仏舎利になったという)説を流して、しばらく過ごしたのである。
 または日蓮(大聖人)の知っている法門を人に疎ませようとして、うわさを仕組んだのであろう。しかし、あまりのことなので、その誑惑(人をたぶらかし惑わすこと)の企みが露見しかけている。(ゆえに)ただ少しの間、我慢してごらんなさい。「(樹木は)根があらわれれば枝は枯れ、(河川は)源が渇けば流れは途絶えてしまう」(天台大師の摩訶止観の文)という道理がある──と。
 建長寺といえば、当時、″鎌倉一″との名声、格式を誇る大寺院(鎌倉五山の筆頭が建長寺)であった。しかし大聖人は、本質を鋭く見抜かれていた。社会の脱落者が出家して集まり、修行もせず、厚い庇護の陰で腐敗しきっていた実態を──。
 学会の外護によって″日本一″″世界一″の繁栄を誇った大石寺も、出家の本義を忘れ、俗世の欲望に走った者たちによって完全に牛耳られてしまった。ついには「正法流布」にまい進する学会を疎んじ、信徒を奪い取ろうとして数々の策謀を仕組んだことまで、謗法の禅寺・建長寺とあまりにも似ている。そういえば、「日顕宗は禅寺と縁が深い」と言う人もいた。
 大聖人の弟子を名乗りながら、禅寺以上に堕落しきった宗門の姿を、大聖人は心から悲しまれ、怒っておいでであろうと拝されてならない。
 しかし、大聖人が厳然と仰せのように、御本仏に敵対し、仏子を迫害する「悪の画策」は必ず、その「根」があらわれ、「源」が渇いていく。そして仏法の厳しき因果は、「謗法者の末路」と、「広布の団体の勝利」の明暗を、鮮やかに浮かび上がらせていくにちがいない。
 ゆえに私どもは、大聖人の直系中の直系の門下として、仏法の「勝利の証」を、断固として全世界に示し、永遠の歴史にとどめてまいりたい。どうか、その″勝利の震源地″に、この大分こそがなっていただきたい。
11  ところで「大分」の地名の由来について、地元の幹部に聞いたのだが、だれも知らない。まあ、これには諸説あるようだが、そのなかに「碩田おおきだ」説がある。
 これは、昔、景行けいこう天皇が、現在の大分平野あたりを眺めて、地形の広大さとうるわしさをたたえ、″広く大きな田″という意味の「碩田」と呼んだ。それが始まりという説である。
 「おおき」には″大きい″″えて充実している″″どっしりしていて立派である″″盛んな″等の意味があるようだ。
 皆さまのような方々を「碩学せきがく(大学者)」ともいう。ともあれ、大分は″大きい″。″立派″である。
 「オオキダ」から「オオイタ」になったとする説には、「大段おおきだ」説もある。「段」は「分」と同じく、″分かつ″とか″しきり″″一区画″の意味で、たくさんの区画に分かれている、地形が複雑である等の意味かとされている。
 他に「大分国造くにのみやつこ」(『旧事本紀くじほんぎ』)、「大分君おおいたのきみ」(『日本書紀』等)の名前と活躍が伝えられており、「大分」の表記もかなり古い歴史がある。古くから「オオキダ」「オオキタ」等と呼んでいたところ、後世に意味不明となって、説明のためさまざまな説が生まれたと考えられる。なお、日本の古称、美称である「豊葦原瑞穂国とよあしはらのみずほのくに」とは、もともと大分周辺=「とよの国」を指したとの説もある。
12  海も素晴らしい大分。今、「広布の大航海時代」である。新時代にふさわしく、大分の皆さまも、今年、来年、再来年、近い将来に、どんどん海外交流に出かけていただきたい。
 「会友日本一」の模範の地として、九州は当然のこと、世界にも大きく希望を与えながらのご奮闘であられんことを、心からお祈り申し上げたい。
 お会いできなかった皆さまに、よろしくお伝えいただきたい。また、街角で歓迎してくださった皆さま、くれぐれも風邪をひかれませぬように。
 それでは、またお会いしましょう。きょうは本当にありがとう!

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