Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

タイ記念代表者会 「如意宝珠」は万財を雨す

1992.2.2 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

前後
5  今、タイの天地には、皆さまの唱題の音声が朗々とまた力強く響いている。そして、それは五万人以上の「会友」に象徴されるように、限りない希望の広がりとなっている。
 日蓮大聖人は一二六六年(文永三年)の正月、ある婦人門下へのお手紙の中で、こう仰せである。
 「問うて云く法華経の意をもしらず只南無妙法蓮華経と計り五字七字に限りて一日に一遍一月乃至一年十年一期生の間に只一遍なんど唱えても軽重の悪に引かれずして四悪趣におもむかずついに不退の位にいたるべしや、答えて云くしかるべきなり
 ──問うていうには「法華経の意味も知らずただ南無妙法蓮華経とだけ五字七字の題目のみを一日に一遍、また一月あるいは一年、十年、一生の間にただ一遍だけ唱えたとしても(それだけで)軽重の(さまざまな)悪業に引かれずに四悪趣(地獄・餓鬼・畜生・修羅界)におもむかないで、ついには不退転の位に到達することができるのか」と。答えていうに「いかにもそのとおりである」と──。
 たった一遍の唱題にどれほど偉大な力が秘められているか。たった一遍だけでも、人々をして、永遠の幸福の軌道へと向かわしめていく力をもっている。いわんや広布へ向かう皆さまの唱題の渦がどれほどの福徳となることか、計り知れない。またこの御文に照らしてみても、たとえわずかでも妙法と縁を結ぶことがどれほど素晴らしいことか。
 仏法を基調に平和・文化・教育を推進しているSGIの運動、そして皆さまの「会友」運動は仏法史を画する壮挙といってよい。
 大聖人は、唱題のこうした力用りきゆうのわかりやすいたとえとして「梅子のき声をきけば口にたまりうるをう世間の不思議すら是くの如しいわんや法華経の不思議をや」──梅の実のっぱい名を聞けば、それだけで口に唾液だえきがたまりうるおう。世間の不思議ですらこのようである。ましてや法華経の不思議においてはなおさらのことである──と仰せである。
 たとえ、その深い法理はわからなくても、妙法を唱えた功徳は絶対に間違いない。妙法と縁することは実に素晴らしいことなのである。
6  妙法の「信心」に全宇宙の「宝」が
 大聖人はさらにこう仰せである。
 「問うて云く妙法蓮華経の五字にはいくばくの功徳をかおさめたるや、答えて云く大海は衆流を納めたり大地は有情非情を持てり如意宝珠は万財をふらし梵王は三界を領す妙法蓮華経の五字また是くの如し一切の九界の衆生並に仏界を納む、十界を納むれば亦十界の依報の国土を収む
 ──問うていうには「妙法蓮華経の五字にはどれほどの功徳を納めているのか」と。答えていうには「大海は、あらゆる河川の流れを納めている。大地は有情・非情にわたりすべてを支え持っている。如意宝珠はあらゆる財宝をふらし、大梵天は三界(欲界・色界・無色界)のすべてを治める。妙法蓮華経の五字もまったく同様である。妙法は一切の九界の衆生ならびに仏界を納めている。(正報である)十界(の衆生)を納めているので、また十界の依報である国土をも収めているのである」と──。
 妙法は「人間」と「社会」と「宇宙」の一切を包む法である。
 私どもはこの妙法を唱え、伝えながら、大海のごとく、大地のごとく、心広々と、心悠々と進んでまいりたい。そしてすべてを「開き」「よみがえらせ」「調和せしめゆく」この妙法の力用を、わが人生に、わが家庭に、わが国土に、さらに生き生きと脈動させてまいりたい。
7  最後にタイの著名な詩人ナラワット・ポンパイブーン氏の美しい詩を紹介したい。
 「友の目と目が見つめあう。たがいの目は『負けるな!』と応える。この両目はいかなる宝よりも価値がある。それは苦しみを優しく消し去るからだ」
 こうしたかけがえのない尊い友情のスクラムを、この美しい微笑の国・タイにますます広げてまいりたい。
 日本からも、まもなく親善交流団が到着する予定である。今後も何回も交流団がお世話になる予定であるが、よろしくお願い申し上げたい。またタイの代表の方々も日本に来ていただきたい。
 皆さまの「幸福」と「裕福」と「無病息災むびょうそくさい」を、そして大好きなタイ王国の素晴らしき「発展」と「安穏」を祈って、祝福のスピーチとしたい。

1
5