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日蓮大聖人・池田大作

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創立記念勤行会・東京総会 全人類の幸福へ創価の黄金道を

1991.11.17 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

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12  さて、この『インドの発見』という本。これは、インドの独立が達成される三年前の一九四四年、ネルーが、わずか五カ月で書き上げたものである。しかも、場所は、二年と十カ月にわたることになる、九度目の投獄のさなか──獄中であった。短期間で、捕らわれの身で書かれたとは想像できない、千ページにも及ぶ大作である。
 ネルーは、その不屈のペンで、インドの偉大な歴史や国民性を描こうとした。本当のインドの素晴らしさを書くことによって、他国の支配に苦しむ同胞たちに勇気を、そして誇りを与えようとしたのである。その精神は、学会の同志が、学会の真実の歴史を綴り残そうとしているのと相通じるかもしれない。
 正義の魂は、どんな苦難にあっても、絶対に屈しない。どんなに理不尽な圧力を受けようとも、いな、それが激しければ激しいほど、より鋭い言論で、悠々ゆうゆうと打ち返していく。ネルーの信念は、むしろ度重なる投獄によって、鋼鉄のごとく鍛えられていったといえる。
 ″自分は、一歩も引かなかった。戦った。勝った。一点の悔いもない″と言い切れる、大満足の人生を味わえるかどうか。ここに信仰の眼目がある。
 人がどうかではない。自分の心が満ち足りるかどうかである。これが人生の真髄であろう。そのためには、どこまでも信念を貫くことだ。負けないことである。生き抜くことである。前へ前へと歩みきっていくことである。
13  ガンジーは大衆の言葉を語り、大衆に目を向けた
 ネルーはこの本のなかで、インド独立の父、マハトマ・ガンジーの偉大さを、こう述べている。
 「(ガンジーの登場は)旋風のごとくであり、多くのものをくつがえし、とくに民衆の心の持ち方を一変させた。彼は天上から降ってきたのではなかった。彼はインド幾千万の大衆の間から現れ出て来たという様子で、大衆の言葉を語り、目を絶えず大衆とそのすさまじい生活に向けていた」(『インドの発見』辻直四郎・飯塚浩二・蝋山芳郎訳、岩波書店)
 すなわち、″救ってやろう″などと、相手を見下した傲慢な心で、民衆と接していたのではない。どこまでも同じ立場に立って、ともに悩み、ともに苦しみながら、人間の真実を見つめようとした。だから偉大なのだと。
 戸田先生の姿をほうふつさせる一節でもある。
 人間はすべて平等である。人を見下す権利もなければ、人から見下される義務もない。この当たり前のことを、当たり前に実践してこそ「人間性」であり、そこに仏法者の根本精神もあると思うが、どうだろうか。
14  そして、ガンジーが、すべての民衆にもたらした最も大きな″贈り物″とは何であったか──。
 ネルーは、こうとらえる。それは″心のなかに恐怖を宿すな。恐れるな。恐れることなど何もない″と教えてくれたこと。軍や秘密警察、官吏、そして牢獄へと追いやる法律、それらへの恐怖の妄想を、「真実」を示すことによって打ち破ってくれたことであったと。
 つまり「恐怖」の呪縛じゅばくは「ウソ、偽り」によって生ずる。「無知」と「恐れ」はセットになっている。「恐れぬ勇気」は「真実を知ること」に基づく。ゆえに「真実」をわきまえれば、「恐怖」は消え去るのだと。
 真実を見抜く知性に支えられた″恐れない心″は、精神を自由へと解放する。そして自らの境涯を、どこまでもどこまでも、伸びやかに広げていく。
 この″恐れぬ心″″師子王の心″を、我が生命の中からわきあがらせていくのが、広宣流布への信心なのである。
 創立七十周年を目指し、また明年の創立記念日を目指して、本当に自分らしく、悔いなく、強く、正しく、伸び伸びと、朗らかに生き抜いていかれんことを心からお願いし、記念のスピーチを終わります。
 全国の皆さま、きょうはお休みのところ、ありがとう! ご苦労さまでした!

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