Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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関西最高協議会 三烈士の精神は学会の中に

1991.10.17 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

前後
36  そして、熱原法難の張本人、滝泉寺の院主代・行智や、弥藤次入道は、その後、どうなったのであろうか。
 記録には残っていないが、日亨上人は、次のように推測されている。
 「法難後には日秀日弁も外の法華僧も事実に寄せけぬので、寺運が復興すると思ひきや田夫野人でんぷやじん(農民)にも良心がある」
 「(農民たちは)法華宗を迫害した後悔の思ひはつのるに従って、院主代や弥藤次への頭の下げ方が倹約になる、寺の坊舎いえの屋根がえの手伝にも気が乗らぬ、院主代方の俗僧どもは目の上のこぶが取れたので羽を広げて我侭三昧わがままざんまいに日を送っている、寺院てらの経営も何にもあったものではない、そこ堂宇どううは荒れに荒れて自然消滅だ、其内そのうちには風もある火もある水もある頼まんでも破壊の手伝をてくれる」
 「行智や弥藤次が如何いか歯軋はぎしりしても追い付かぬ官権の頼みの縄も切れる、屏息へいそくして居なければ却って村方の多数に反噬はんぜい(反抗)せられそうで、流石さすが謗徒ぼうと張本ちょうほん戦々兢々せんせんきょうきょうとして遂に地獄道にすべり落ちた、滝泉寺も三災にって共に跡形あとかたなく成ったんである」
 謀略を成功させ、わが世の春を謳歌するはずだった行智や弥藤次──。しかし、彼らの期待は見事にはずれた。周辺の農民たちからはうとまれ、僧からも軽じられ、その反抗を恐れてびくびくしながら暮らすようになろうとは、夢にも思わなかったにちがいない。
 権威をふりかざし、正法流布をはばみ、民衆の信仰を破壊しようとする悪侶あくりょらは、日亨上人の仰せ通り、「地獄道」へとちていった。悪侶に支配された滝泉寺もまた、さびれる一方、滅亡の坂を転がり落ちていかざるをえない。
37  民衆を見くだし、信徒を抑圧する悪侶に、賢明な信徒が従うはずがない。そのもとに集まるのは、三位房や弥藤次のごとき、背信や忘恩、嫉妬や憎悪、強欲や怠惰、狂信か盲信に支配され、不信と猜疑に満ちた輩ばかりとなろう。
 そうした人間は、批判はできても建設はできず、自利は計っても利他はなく、対立はしても団結はできない。すぐに内輪もめをはじめ、分裂していくものである。
 悪侶に従って、信心強盛になった者など、皆無であろう。もちろん、成仏への功徳などない。惨めな末路をたどった事例は、枚挙にいとまがないほどである。
 したがって、悪侶のもとからは、しだいに信徒が離れていき、寺も衰亡の一途をたどっていく。当時、おごりに傲っていた滝泉寺は今、跡形もない。
 ──こうして、今、熱原法難の経過をたどってみると、広布を阻む「魔」の手口は、本質的には、いつの時代も変わらないことが、改めて明らかになる。
38  「御本物の門下」として広布の正道を
 ともあれ「世界広宣流布」は、御本仏の御遺命であり、創価学会の使命である。この前進は、だれびとも止めることはできない。だからこそ、天魔は、唯学会員に対して権威・権力を振るえる立場にあった正宗の高僧をねらい、その身に入ったと考えられる。しかし、そのもくろみも崩れた。民衆が「真実」をわかってしまったからである。
 私どもは「御本仏の門下」である。七百年前と同じく、今、強権による「民衆弾圧」「和合僧の破壊」が行われようとしている。この法難を、大聖人の仰せ通り、「不屈の信心」と「異体同心の戦い」で乗り越え、晴れ晴れと″世界広宣流布の旭日″を昇らせてまいりたい。
 すべて深い御仏意であると私どもは確信していきたい。今、勇んで、歓喜に燃えて、前へ進んだ人が、一生成仏と三世の誉れの人である。

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