Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

婦人部・青年部合同協議会 人で決まる、人を育てよ

1991.9.21 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

前後
9  悪を対治できない菩薩は悪人と共に地獄
 真の「幸福」は、使命を果たすなかにある。中途半端は、どこまで行っても中途半端な人生となる。
 医師は病苦を救ってこそ医師である。教師は人を立派に育ててこそ教師である。車は走ってこそ車、電灯は輝いてこそ電灯である。仏法者は仏法を弘め、興隆させてこそ仏法者である。
 日蓮大聖人は、菩薩が使命を果たさず、悪と戦わない場合にはどうなるかを、諸御抄で厳しく教えておられる。
 たとえば、天台大師の師である南岳大師の、次のような言葉を引かれている。
 「若し菩薩有りて悪人を将護しょうごして治罰すること能わず、其れをして悪を長ぜしめ善人を悩乱し正法を敗壊せば此の人は実に菩薩に非ず、外には詐侮を現じ常に是の言を作さん、我は忍辱を行ずと、其の人命終して諸の悪人と倶に地獄に堕ちなん
 ――もし菩薩(大乗仏教の実践者)がいて、悪人をかばって罰することができず、そのことによって悪人の悪を助長し、善人を悩ませ乱れさせ、正法を破壊させれば、この人はじつは菩薩ではない。(この人は)外面はいつわって(人々を)あなどり、つねにこう言うであろう。「私は忍辱(侮辱や迫害を耐えしのぶこと)の修行をしているのだ」と。この人は命が終わって、もろもろの悪人とともに地獄に堕ちるであろう――。
 悪を容認し、打ち砕かなかったら、悪を助長させ、善人を苦しめ、正法を破壊させてしまう。これは悪人と同じ罪になると。「忍耐しているのだ」などという″寛大さの仮面″をいつまでもかぶっていたら、最後は地獄であると仰せである。立つべき時に立ち、叫ぶべき時に叫ばねば成仏はない。
 南岳大師の言葉と同様に、牧口先生は「善いことをしないのは悪いことをするのと同じ」と教えられた。学会の指導は、すべて御書に基づいている一例である。
 また別の御書では、同じ文を引かれたあと、こう仰せである。
 「謗法ほうぼうを責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなし・はかなし
 ――謗法を責めないでいて成仏を願うことは、火の中に水を求め、水の中に火を尋ねるようなものである。はかないことである。はかないことである――。
 悪を容認する者は与同罪(同じ罪をともに受けること。「与」は共に、の意)で、悪とともに「地獄」となり、悪と戦い、破ってこそ「成仏」となる。それが仏法の基本である。
 私どもは「地涌の菩薩」である。その尊貴なる使命を果たしゆく時、どれほどの大福徳と大境涯を開きゆけるか、計り知れない。
 また指導者論としてみれば、「善人を悩乱」させるような″民衆の敵″に対しては、断固たる態度で″民衆を守る″戦いに立たねばならない。厳然と民衆を守ってこそ指導者なのである。
10  「正論の批判」と「感情の悪口」は、まったく違う。しかし多くの場合、その内実も見ず、混同されるようだ。
 また悪人ほど、自分はしょっちゅう主張を変えて、その場その場で善人を悪口するくせに、いざ自分が何か言われると、気が動転して「悪口は良くない」などと言いだす。
 さらに、権威に弱い社会においては、権威よりも正義を重んじる人間は、どうしても迫害にあうことになろう。
 御書に次のような問答が記されている。
 「問うて云わく法師一人此の悪言をはく如何」――問うていうには、なぜ法師(日蓮大聖人)一人だけが、この悪言をはいているのか――と。
 大聖人は、歴史もあり、当時、多くの人々が信仰していた「真言」の邪義を挙げられ、権威ある高僧と仰がれていた弘法等の過ちについて指摘された。
 それに対し、人々がこぞって、「とんでもない悪口だ。一人だけなぜ、そんなことを言うのか」と非難するであろうことも予想された。実際、そのとおりであったであろう。
 しかし大聖人は、こう仰せである。
 「日蓮は此の人人を難ずるにはあらず但不審する計りなり、いかりをぼせば・さでをはしませ
 ――日蓮はこの(邪義の)人々を非難しているのではない。ただ不審しているだけである(「これは、おかしい」と疑問を口にしているだけである)。それが悪いと腹を立てられるなら、そうされるがよい――。
 経文に照らして、″おかしい″ものは″おかしい″のである。その疑問を、そのまま口にすることが、どうして「悪言」「悪口」になるのか、それは正法を守る「善言」であり、「正言」なのである。
 権威をカサに正当な疑問さえ圧殺しようとする考え方への、明快な切り返しであられる。
 疑問に、なんら正面から答えようとせず、逆に頭に血がのぼったかのように抑えつけ、封じ込め、正義の人をなきものにしようとする。
 大聖人は、一生涯、そういう権威の悪と戦われた。ならば、真の門下である私どもの進むべき道も明らかである。
11  明日、アメリカに出発する。ハーバード大学からの招聘で講演する予定であり(=ハーバード大学で二十六日「ソフト・パワーの時代と哲学―新たな日米関係を開くために」と題して講演)、識者との会談、アメリカSGI(創価学会インタナショナル)の皆さまとの総会、研修会などを有意義に行っていきたいと思っている。
 広宣流布の「世界への道」は、御本仏の御遺命であり、だれかがなさねばならない。なした私どもの栄光は三世永遠である。
 皆の代表としての渡米であり、ともどもに成功を祈っていただければ幸いである。また私も日本の皆さまに、かの地からお題目を送らせていただく。そうした、目には見えない″心のつながり″に学会の強さがある。
 きょうは合同協議会、本当にご苦労さま。
 (本部第二別館)

1
9