Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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婦人部・青年部合同協議会 人で決まる、人を育てよ

1991.9.21 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

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10  「正論の批判」と「感情の悪口」は、まったく違う。しかし多くの場合、その内実も見ず、混同されるようだ。
 また悪人ほど、自分はしょっちゅう主張を変えて、その場その場で善人を悪口するくせに、いざ自分が何か言われると、気が動転して「悪口は良くない」などと言いだす。
 さらに、権威に弱い社会においては、権威よりも正義を重んじる人間は、どうしても迫害にあうことになろう。
 御書に次のような問答が記されている。
 「問うて云わく法師一人此の悪言をはく如何」――問うていうには、なぜ法師(日蓮大聖人)一人だけが、この悪言をはいているのか――と。
 大聖人は、歴史もあり、当時、多くの人々が信仰していた「真言」の邪義を挙げられ、権威ある高僧と仰がれていた弘法等の過ちについて指摘された。
 それに対し、人々がこぞって、「とんでもない悪口だ。一人だけなぜ、そんなことを言うのか」と非難するであろうことも予想された。実際、そのとおりであったであろう。
 しかし大聖人は、こう仰せである。
 「日蓮は此の人人を難ずるにはあらず但不審する計りなり、いかりをぼせば・さでをはしませ
 ――日蓮はこの(邪義の)人々を非難しているのではない。ただ不審しているだけである(「これは、おかしい」と疑問を口にしているだけである)。それが悪いと腹を立てられるなら、そうされるがよい――。
 経文に照らして、″おかしい″ものは″おかしい″のである。その疑問を、そのまま口にすることが、どうして「悪言」「悪口」になるのか、それは正法を守る「善言」であり、「正言」なのである。
 権威をカサに正当な疑問さえ圧殺しようとする考え方への、明快な切り返しであられる。
 疑問に、なんら正面から答えようとせず、逆に頭に血がのぼったかのように抑えつけ、封じ込め、正義の人をなきものにしようとする。
 大聖人は、一生涯、そういう権威の悪と戦われた。ならば、真の門下である私どもの進むべき道も明らかである。
11  明日、アメリカに出発する。ハーバード大学からの招聘で講演する予定であり(=ハーバード大学で二十六日「ソフト・パワーの時代と哲学―新たな日米関係を開くために」と題して講演)、識者との会談、アメリカSGI(創価学会インタナショナル)の皆さまとの総会、研修会などを有意義に行っていきたいと思っている。
 広宣流布の「世界への道」は、御本仏の御遺命であり、だれかがなさねばならない。なした私どもの栄光は三世永遠である。
 皆の代表としての渡米であり、ともどもに成功を祈っていただければ幸いである。また私も日本の皆さまに、かの地からお題目を送らせていただく。そうした、目には見えない″心のつながり″に学会の強さがある。
 きょうは合同協議会、本当にご苦労さま。
 (本部第二別館)

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