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日蓮大聖人・池田大作

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第四十六回本部幹部会、第十九回婦人部幹… 「一人の幸福」に尽くしてこそ仏法

1991.9.17 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

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11  大聖人は門下と″同苦″された
 さて、大聖人は、この千日尼へのお手紙の中に、次の一文を添えておられる。
 「こう入道殿の尼ごぜん御前の事なげき入つて候、又こいこいしと申しつたへさせ給へ
 ――国府入道殿の尼御前のこと、深く嘆いております。また、恋しく恋しく思っているとお伝えください――と。
 国府入道夫妻に関しては、くわしいことは不明だが、諸抄から察するに、阿仏房・千日尼夫妻と、いつも一緒に信仰に励んでいたのであろう。現在でいえば同じブロックの同志にあたろう。
 その国府入道夫妻に、夫妻のいずれかが亡くなったか、あるいは何らかの不幸に遭ったか、何か不慮の出来事があったと考えられる。
 信心しているからといって、何も起こらないとは限らない。しかし、何があろうとも、微動だにすることはない。
 妙法は「生死不二」「煩悩即菩提」の法である。御本仏の仰せどおりの信心の人には、一切が功徳となり、歓喜となる。時とともに、「万事これで良かった」という所願満足の軌道に入っていく。
 大聖人は、尼御前のことに関して、何よりもまず、ともに悲しみ、ともに涙してくださっている。
 そして、お会いできないけれども、″あなたのことを心から恋しく恋しく思っておりますよ″と呼びかけてくださっている。
 これが御本仏の御慈愛である。仏様のお心であられた。大聖人の一言で、佐渡の門下の方々も、どれほど心の空洞が満たされる思いであったろうか。
 大聖人は、どんな時でも、信者の心を限りない希望と張り合いとで満たしてくださった。けなげなる信心の人を、何があっても最大に包容してくださった。
 この大聖人のお振る舞いを拝する時、信徒の不幸を願い、尊大に人を見くだし、清らかな信仰の心を踏みにじるような人間は、大聖人の末流とは絶対にいえないと私どもは思う。
 いわんや、自分たちを大聖人と同等のように尊敬させようとする傲慢があれば、仏法の慈悲とは正反対であり、大聖人の御叱責は免れないであろうと、ある幹部が言っていた。(拍手)
12  ヴィーゼル博士「不正への沈黙は最大の罪」
 アメリカの著名な作家であるエリー・ヴィーゼル氏については、先日(九月八日)、鳥取でも紹介させていただいた。
 氏は現代における最高峰の作家の一人といわれ、「ノーベル平和賞」を受賞(一九八六年)されている。
 ヴィーゼル氏が十五歳の時、氏の一家は、多くのユダヤ人とともにアウシュヴィッツ強制収容所に送られる。
 お母さんと妹さんは、無残にも、そこで殺されている。お父さんも他の場所で犠牲になった。
 氏の文学には、幼少期の記憶や体験が、大きな位置を占めているといわれる。とくに、アウシュヴィッツでの体験は、氏に決定的な影響を与えた。
 ヴィーゼル氏が、かの強制収容所から生還し、生きぬいてきた力の源泉は何か――。
 氏によれば、それは、「(=収容所で起きた事実を)『証言』し、『証明』する使命があったからだ」と。また、「『記憶すること』『忘却しないこと』は、殺された人々に対する現代の世代の責任である」と。
 氏は誓った。そして生きた。六百万人ともいわれる犠牲者の声を代弁すること、それが「悪」に虐げられた者の使命である、と――。
 ″証言″が大事である。″歴史″が未来を照らす。
13  「ノーベル平和賞」の受賞にさいしては、「世界の不正と戦う運動は、最後には勝利する」というヴィーゼル氏の信念が、高く評価されたといわれる。
 氏は叫ぶ。「不正を前にして、無頓着な沈黙は最大の罪だ」と。
 まさに、そのとおりと思う。私も一人、真実を語りに語り、叫びに叫びぬいてきた。御書に仰せのままに。戸田先生の指針のとおりに。大切な皆さまの幸福のために。
 断じて、沈黙していてはならない。叫びきってこそ、「正義」の人である。語りぬいてこそ、「真実」に生きる人生である。
14  「苦楽ともに思い合せて」創価家族は快活に進む
 最後に、ふたたび御書を拝したい。
 「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ
 ――苦を苦と悟り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。これこそ自受法楽(仏がその悟りの境地を自ら受け楽しむこと)ではないか。ますます強盛な信力を出していきなさい――と。
 人生、「楽」ばかりであるはずがない。「苦楽」があればこそ、人生は味がある。価値も生まれる。充実もある。大聖人は「苦楽ともに思い合せて」と。私どもの進むべき道は、すべて、この仰せに尽きている。何があろうとも、この大聖人のお言葉のままに、悠々と歩みぬいていただきたい。(拍手)
 私どもは、仏意仏勅の広宣流布に進みゆく、誉れの「創価家族」である。三世永遠に崩れざる、幸福の「創価家族」である。どうか、本年の総仕上げの活動も見事に勝利し、ともどもに、最高のお正月を迎えていただきたいことをお祈りし、本日のスピーチとしたい。ありがとう! お元気で!
 (創価国際友好会館)

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