Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第四回北海道総会、県・区代表幹部会 正義の怒りが諸天を動かす

1991.98.18 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

前後
17  日淳上人は、こうした考えから、仏眼寺の問題は「信仰を異にせる僧侶が一片の法を盾にとって押入る」ものであるとされた。
 法律がどうあれ、寺院の生命は信仰であり、信仰の母体は信徒である。大多数の信徒の、心からの賛同と支持なくして、何の寺院か、何のための僧侶か、それは最も大切な信仰心を踏みにじって押し入り、居座る不法占拠のごときものではないか、とのお心であろう。
 それまで、多くの信徒が、ずっと「正しい本尊」と「正しい教義」を守って信仰してきたのである。そこへ突然、そうした信徒の信仰を否定する僧侶が現れ、寺院をわがもの顔に取ってしまった。そして、信徒を従わせ、自分のところに来させようとしている。
 日淳上人は、これは、それまでの歴史を無視し、信徒の所有権と意志とを無視するもので、「堪えがたき苦痛であり、純正の道理を信ずる大聖(=日蓮大聖人)の弟子檀那として受け入れがたきところである」と結論された。
 そして「敢然あくまで抗争しなければならぬと絶叫する」と、″徹底抗争″を訴えられたのである。東北の信徒は、どれほど奮い起ったであろうか。そして、権威・権力をカサにきた、あらゆる圧迫のなか、立派に「正しき信仰」を守りぬいたのである(拍手)。(この十一年後に、事件は解決している)
18  時代や場所によって、当然、それぞれ状況は異なる。ただ、日淳上人が言われた″意見が違えば、信仰の母体である信徒の言うことを聞け。それを基準にせよ″との精神は、永久に忘れてはならない。また、この原則は、いよいよ重要になってきている。(拍手)
 ともあれ、その他のことも、「正道」は、日淳上人、日達上人のご指南に明快に示されている。日淳上人、日達上人の教えどおりにすれば、今のようなことにはならなかったという人も多い。(拍手)
 どうか寺院についても、「私たちこそが、最も大切な信仰の母体なのだ。寺院の本来の所有者であり、主人の立場である」との、日淳上人のお言葉どおりの確信をもって、かつての仏眼寺のごとく、「正道」を守りぬいていただきたい。その、何ものをも恐れぬ「強信」の″徹底抗争″こそが、やがて厳然と、正法の勝利の春を開いていくことを確信していただきたい。(拍手)
 自分たちの寺院である。遠慮してはならない。黙っていてはならない。
19  信心は、太陽と語り、星々と語るような大きな境涯でありたい。また人類五十数億の壮大な舞台から見れば、小さなコップの中で、少数の悪人に翻弄され、苦しむような人生であっては、あまりにも愚かである。
 だれよりも幸福になるために信仰したのに、信仰したゆえに苦しむのでは、いったい、何のための仏法か。ゆえに、どこまでも朗らかに、また朗らかに、「境涯の王者」として、一切を大福運、大功徳へと変えゆく、「強信」を貫いていただきたい。
 「鉄の団結の創価家族」として、悠々と、今世を、また三世を、真実の「仏道修行」のため、真実の「広宣流布」のために、ともどもに仲良く歩んでまいりたい。そして、世界のだれよりも「楽しい人生」「有意義な人生」を送っていただきたいと申し上げ、きょうのスピーチとしたい。ありがとう!
 (函館研修道場)

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