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日蓮大聖人・池田大作

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第四十回本部幹部会・第十七回全国婦人部… 信心の「心」強ければ大安心の人生

1991.4.10 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

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16  大聖人は、さらに、「今生には祈りとなり財となり」――今世では所願が叶う「祈り」となり、「財」となる――と。
 衣を供養した信心の真心は、これらの諸仏の加護によって、「所願満足」と「財」をもたらしますよ、と明言されている。
 妙法は円満の法である。何ひとつ欠けるところがない。ムダもない。妙法流布に連なった行動は、一つも残らず、ことごとく、自身の永遠の「宝」「財宝」となる。因果の理法は厳然としている。
 また、「御臨終の時は月となり・日となり・道となり・橋となり・父となり・母となり・牛馬となり・輿となり・車となり・蓮華となり・山となり・二人を霊山浄土へ迎え取りまいらせ給うべし」と仰せである。
 ――御臨終のときは、「月」となり「太陽」となり、「道」となり「橋」となり、「父」となり「母」となり、「牛」や「馬」となり、「興」(肩に担ぐ乗り物)や「車」(車輪のある乗り物)となり、「蓮華」となり「山」となって、お二人を霊山浄土に迎え取られることは間違いない――。
 ″死後の旅″についても、何の不安があろうか。供養した「衣」を身に着けられた六万九千三百八十四の「仏」が、何より御本仏が、厳然と守ってくださるのである。
 その旅路は、太陽と月が明るく照らし、大道があり、宝橋がある。懐かしい父や母が優しく手を取って、案内してくれる。牛馬や車に悠々と乗っていける。今でいえば飛行機のファーストクラスに乗るようなものといえようか(爆笑)。そして、途中には、福徳の蓮華が咲き乱れ、宝山が連なるすばらしい景色の中を通って、霊山浄土に到着しますよ――と。
 たった一つの「衣」の御供養に対しても、大聖人は、このように断言され、限りない慈愛をそそがれている。
17  いわんや、私どもは、「世界広宣流布」に向かって戦っている。「仏意仏勅」の団体たる創価学会とともに生き、死んでいく妙法広宣の闘士である。
 その功徳は、御書に照らし、経文に照らし、無量無辺であることを確信していただきたい。その「功徳の大光」は、日月のように現世を、そして来世をも無限に照らしてくれるのである。これほどの「大安穏」「大満足」の生死はない。(拍手)
 「心」強ければ、悠々たる人生である。「心」広大ならば、ちつぼけな雑音にわずらわされることもない。どうか、何があっても朗らかに、何があっても悠然と、一切を眼下に見おろし、″太陽に向かって″前進していただきたい。
 小事に一喜一憂せず、あっけらかんとした強さで、また勢いをもって、「これでよし」との悔いなき一日一日を重ねていただきたい。人間として「最高の人生」を満喫しながら、新しい「歴史」を開いていただきたい。
 その人こそ真の「勝利者」であると申し上げ、スピーチを終わりたい。きょうはご多忙のなか、本当にご苦労さま。本当にありがとう! また元気で集いましょう!
 (大田文化会館)

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