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日蓮大聖人・池田大作

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「4・2」記念大田、品川、目黒、川崎合… 精神の不動の支柱に「自由の旗」高く

1991.3.27 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

前後
17  また、熱原の法難で外護の戦いをしていた南条時光に、こう励ましておられる。
 「しばらくの苦こそ候とも・ついには・たのしかるべし、国王一人の太子のごとし・いかでか位につかざらんと・おぼしめし候へ
 ――しばらくは苦しくとも、最後は必ず楽しくなりますよ。国王の、たった一人の王子のようなものです。「どうして王の位につかないことがあろうか」と確信していかれることです――と。
 王の位になる、すなわち仏となるのは、もう決定ずみである。幸福になることは、絶対に間違いない。それまで、少しの間、待っていらっしゃいとの御聖訓である。
 最後に勝つ人が真の勝者である。そして正法は「最後の勝利」のためにある。
 マラソンも、「最後の勝者」が真の勝利者である。いくらスタートで格好よく飛び出しても、途中で″へばって″しまっては(笑い)仕方がない。学校の成績も、入学の時よりも、卒業の時どうかが問題である。いわんや信仰の道は、成仏という絶対的な「幸福」と「満足」の大境涯への修行である。
 煩悩は必ず菩提となる。冬は必ず春となる。太子は必ず王となる。広布に生きる仏子は必ず仏となる。これが御本仏のお約束である。(拍手)
 ゆえに悠々と「前へ進む」ことである。胸を張って″わが春″を楽しみに生きぬくことである。その強き強き「一念」には、すでに″春″への根本の因が具っている。胸中は春満開なのである。(拍手)
18  かけがえのない自分の人生である。策謀に乗せられて、元気をなくしたり悲しんだり、いやになったり、もしもそうしたことがあれば、悪の思うつぼである。魔を喜ばせるだけである。
 私どもは誉れある″御本仏の門下″である。何かあればあるほど、無限の力がわいてくる。そのたびに無限の福徳が備ってくる。
 ゆえに、一切を心ではね返し、いよいよ「大信力」を出だし、いよいよ「大強信」を奮い起こして、いつも朗らかに、いつも強く、晴ればれと、一日一日を生きぬいていただきたい。そうすれば魔というものは必ず退散していくものである。
 その一念に″愉快な人生″が壮大に開けてくる。戦う信心に″三世の勝利″は万柔と花開く。
 「ついには・たのしかるべし」(最後には必ず楽しくなりますよ)との仰せを、私どもは誇らかに、大歓喜をもって拝し、確信してまいりたい。(拍手)
 どうか全員が「愉快なる人生の勝者」と輝いていただきたいと念願し、本日のスピーチを結びたい。皆さま、お元気で! ご活躍を祈ります!
 (大田文化会館)

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