Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第九回九州総会 われらは「幸福の大船」の仲間

1990.9.25 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

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10  なお、先日、私は韓国を初訪問した。韓国は大聖人御在世当時、ここに仰せのように高麗と呼ばれていた。宝を積んで高麗へ――御書に述べられているとおり、今回、″美の宝″とともに、文化交流の一歩をしるすことができた。
 これまで日本は、この″文化の大恩人″である隣国に、宝を持っていくどころか、宝を奪い、宝を破壊する非道を繰り返してきた。この悪の歴史を、絶対に転換しなければならない。
 高麗の民衆にも深い思いを寄せておられた大聖人――私は今回の交流を、大聖人も必ずや喜んでくださっていると信じている。(拍手)
 ともあれ、本日は「大九州号」という大船の船出の日である。明年は第十回の総会。一年ごとに船も立派にし、人材も多くしながら、福運を満載して、世界の九州らしく、堂々と仲良く二十一世紀への大海原を先駆していただきたい。(拍手)
11  人生の究極の目的を明確に
 人生の究極の目的は何か――それは、幸福になることである。
 信心の究極の目的は何か。それは、「成仏」――仏に成ることである。
 この根本の目的を明確にし、この目的のために、ひたすら努力し進んでいっていただきたい。
 この目的を忘れたときに、信心に狂いが生じる。自分の慢心にも流される。世間の風評にも心動かされる。人生の道を誤ってしまうのである。
 成仏の境界を、わかりやすく身近な言葉でいえば、宇宙のすべての珍宝で生命を飾り、永遠に崩れない幸福境涯で生命を固めていくことであろう。
 一方、世間でいう幸福は、あくまでも相対的なものであり、何かをキッカケに崩れてしまうものである。この永遠に崩れざる幸福境涯を築くための修行こそが、私どもの信心である。
 ゆえに信心だけは、みずからの決めた道を、堂々と進んでいただきたい。他の人がどうというのでもない。社会がどうというのでもない。みずからの人生は、自分らしく、確信をもって生きぬいていく以外にない。その生き方が、もっとも正しく、もっとも悔いのない人生なのである。
 九州の皆さま方のご健康、そしてすばらしい人生の一歩前進を心からお祈りして、私のスピーチを終わらせていただく。
 (九州講堂)

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