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日蓮大聖人・池田大作

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第三十回本部幹部会・茨城県記念総会 信仰は「遊楽の人生」のために

1990.6.20 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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14  この人生を悠々と楽しく
 ところで、私たちは、何のために生まれてきたのか。この人生の大問題について、戸田先生は次のように明快に述べられている。(『戸田城聖全集』第三巻)
 「大宇宙は南無妙法蓮華経であり、また、あなた方も、南無妙法蓮華経の当体でありながら、みなそれぞれ差別のところに生きているのであり、仏です。
 覚えていただきたいことは、なぜ人間に生まれてきたか。簡単なようで、しっくりとしない問題でありますが、あなた方はこの世に遊びにきたのです」と――。
 ″われわれは、この世に遊びにきた″――。もとより、「遊び」といっても、たんなる娯楽などとは根本的に異なる。人生を自在に楽しみ、幸福を満喫しきっていける″境涯″を示されているのである。
 さらに、戸田先生は「遊ばないで、病気をしたり、夫婦げんかをしたり、忙しい、忙しいと目の色を変えていることは、見当が狂っているといえるのであります。
 会社へ行くのも楽しみであり、女房にしかられること、亭主にしかられることも、楽しくならなければならないのであります。遊ぶことの第一は、あまいしるこに、砂糖と塩がなければなりません。塩の程度の苦労がなければ、真のしあわせも感じられないのです。あなた方は、塩のほうが過ぎるのです。
 折伏せよということは、また信心をしっかりすることは、学会、国家のためのように聞こえるが、再往は、あなた方自身のためなのであります」と述べられている。
 「遊楽」――人生、生活の一切が楽しく、つねに「喜び」と「希望」を見いだして、悠々と生きぬいていく。ここに、私どもの信仰の目的がある。また人生の究極の目的、理想がある。
 会合や日々の広布の活動はもちろん、仕事も楽しい、家族や友人との語らいも楽しい。そうなるためにも、たとえば、職場で上司に叱られることがあっても、その指摘を誠実に受けとめればよいのである。へんにしょげかえってしまう必要はない。「ああ、自分を励ましてくれて、ありがたいな」とか、「うちの課長も本当に元気だな」(笑い)と、いい意味でたくましくとらえて、奮起していけばよいのである。
 要するに、″グチ″や″不平″に流されず、つねに現状を″いいほうへ、いいほうへ″、″希望へ、喜びへ″と、とらえていける「強い心」をもつことである。ここに、人生の勝利をもたらす「知恵」がある。また、それを実現していけるのが信心である。
 皆さま方は、あらゆる労苦をも悠々と見おろしながら、堂々たる「遊楽の人生」を歩んでいただきたい。(拍手)
15  最後に、学会創立六十周年を記念し、一つ、提案をしておきたい。それは、全国各地の会館の「管理者」の皆さま、また「守る会」の方々のために、会館、研修道場などの、よき地を選んで記念植樹をしてはどうか、ということである。
 これには創価班、牙城会、白蓮グループ、白樺会(グループ)などの方々も参加されてはどうだろうか。何の木でもよいと思う。日ごろの広布への献身に感謝を込めて、創立六十周年の記念の贈り物とさせていただきたい。(拍手)
 皆さまのご健康、ご多幸を心から念願し、私の本日のスピーチを終わりたい。
 (茨城文化会館)

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