Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十一回SGI総会 正法の大光を世界に

1990.2.17 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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6  一八〇〇年、五十七歳のジェファソンは、ある手紙でこんな心情を語っている。「人間の心に上からおそいかかるあらゆる形態の暴政に反対し、永遠にこれと対決する」(松本重治・高木誠訳、『世界の名著33』所収、中央公論社)と――。私も同じ信条である。
 「自由」はみずから戦い、勝ち取っていくものである。座してあたえられるものではない。
 本当のことを明快に堂々と言いきっていく――。そうした人生はすばらしい。すがすがしい。その勇気を失って卑屈になったら、いずこの世界も悪しき権威に、いいように蹂躙されてしまう。
 圧迫の陰で、小さく萎縮し、策略や偽りを使って生きていくような人生では、あまりにみじめである。自分自身の敗北を意味する。
 内から、また外から、生命を圧迫し、苦しめる一切の悪と戦う。それらの圧力をはねのけて、大宇宙へと広がる、自在にして闊達なる幸福の大境涯をつくりあげていく。それが信仰の目的である。
 生命の「自由」を奪う根源的な苦悩――。仏法では、それを「四苦」また「八苦」と説く。
 四苦とは生老病死の苦である。宿命に縛られて生きる苦しみ。老いのわびしさ。病の悩み。そしてもっとも根本的な「死」への恐怖――。
 また八苦とは、このうえに四つの苦しみを加える。
 あえて、わかりやすく言うと「愛別離苦」すなわち愛する者と別れる苦しみ。「怨憎会苦」すなわち、嫌いな人間、敵対する人間と会わねばならぬ苦しみ。「求不得苦」すなわち″裕福になりたい″″出世したい″等々、欲望の対象を求めても得られない苦しみ。「五陰盛苦」すなわち心身が調和を得られず、重くなり、爽快感を味わえない生命の苦しみ――である。これらの苦悩の鎖を、ことごとく断ち切るのが、妙法の利剣であり、信心の太刀なのである。
 ゆえに、「永遠の自由」「永遠の幸福」を勝ち取るために、断じて臆病の信心であってはならないと申し上げておきたい。(拍手)
7  哲学なき時代照らす仏法の慈光
 ジェファソンは一八二六年七月四日、奇しくも「独立宣言」五十周年のその日に、八十三歳で生涯を終えた。牧口常三郎初代会長が、ちょうど学会創立の記念日に亡くなられた歴史を思い起こさせる史実である。
 死の十日ほど前、ジェファソンは独立五十周年の祝典に招待されたお礼の手紙の中で、こんな心情をつづっている。
 それは、独立宣言が、のろしとなって、世界のいたるところで民衆を呼び覚ましていくように、そして、民衆が無知と迷信の鎖を断ち切って、自由と平和を勝ち取っていくように、独立宣言がその大いなる励ましとなるように、との思いであった。(前掲書参照)
 以来百六十年余。今、世界で動き始めた「民衆の世紀」への潮流を見れば、ジェファソンは「われ勝てり」と、にっこり笑みを浮かべるだろうと、私は思う。
8  理念の面からいえば「独立宣言」の思想は、今や世界に広宣流布されたといえよう。
 今は、その精神を根底で支え、また完璧に実現していくための、より深く、より確かな哲学の台頭が求められているのである。世界の状況は、いよいよ精神の空白という課題が深刻になってきている。本源的な「自由」「幸福」「平等」への新しき哲学が求められている。
 刻々と変化し、変転する人類社会。その激動のなかにあって、人々は「正法」という太陽の慈光を渇仰し始めた。その″新しい時代″の″新しい舞台″の主役こそ、皆さま方なのである。(拍手)
 私は、皆さま方のご多幸と、ご健康、ご活躍を日夜、真剣に祈っている。
 使命の天地はそれぞれであるが、広宣流布に生きゆく大切な大切な仏子の皆さまである。どうか仲良く、また仲良く、よき国民、よき市民、そして、よき社会人として進んでいっていただきたい。
 最後に、今日お会いできなかった各国のわが同志の皆さまに″くれぐれもよろしく、どうかお元気で″と申し上げ、私のスピーチを終わらせていただく。
 (アメリカSGI世界平和池田講堂)

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