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日蓮大聖人・池田大作

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第二回SGIパン・アメリカン諸国会議 先駆者の功徳は大海の如く

1990.2.15 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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6  「実質主義」で価値ある一歩を
 さて戸田先生がもっとも嫌われたのは、「形式主義」であった。ゆえに弟子の私も、徹底して「実質主義」の人間である。
 「形式」が大切な場合もあるが、中身のない形式主義は悪である。形式は″死″、実質は″生″、形式は″迹(影)″、実質は″本(本体)″。形式主義は保守となり、実質主義は進歩と発展をもたらす。
 たとえば会合をする。何人来たか、きちんとできたか――そうしたことのみを気にし、形にとらわれて、実質を見失う。これでは失敗である。
 「実質」とは、たとえ少人数でもよい、来た人が、心から納得し、喜び、御本尊への確信をもって出発できたかどうかである。たった三人であっても、御本尊を拝し、御書を拝読し、感激し、信心の炎が燃え上がっていけば、仏法の眼から見て、計り知れないほど偉大な集いである。
 反対に、何千人集まり、整然と進行し、立派で盛大そうな姿を見せたとしても、皆がただ疲れ、苦しみ、心からの信心の喜びがないのであれば、結果として、虚栄の集いとなってしまう。
 リーダーのための会合でもなければ、組織のための会合でもない。一人の「人間」の発心と成長のための集いなのである。
 「人間」のために組織があり、リーダーがいる。組織やリーダーのために「人間」が従となれば、もはや仏法の生命はない。その濁りによって、「仏の力」「法の力」がせき止められ、功徳も広がらず、発展も止まってしまう。
 「一人」の人を、どこまでもあたたかく励まし、大切にしていくところに、一切の勝利の基本がある。
 組織といっても、その実質は「人間の集い」であり、人間と人間の関係である。たとえば、わが地域は、どうも低調だ、結果が出ないなどといっても、すべて、その組織のなかの人間同士の状態の反映なのである。
 人の心は微妙である。組織という形にとらわれ、上から命令や圧力をあたえて、人を動かそうとしても、動くものではない。それでは自発の、本当の力は出ない。
 だれに対しても、その人の機根、状態に応じて、真心を込め、慈愛を込めて、対等の人間同士として語りあい、満足をあたえていく。その積み重ねのなかに、必ずや大きな発展がある。
 要は「一人」の友に、心からの安心と納得をあたえ、立ち上がらせていくことである。その、「一人」の信心という小宇宙の爆発に応じて、その集まりである組織も回転を始める。ここに一念三千の法理の実践がある。
7  最後に、青年は何事にも豊かな、鋭い批判力をもって、現状に満足することなく、より高く、より大きな目標に進んでもらいたい。
 そのうえで、根本の仏法の指導、御書の仰せに関しては、まず「そのとおりである」と信じて、実践していただきたい。そのほうが近道だからである。
 「御義口伝」に「信は価の如く解は宝の如し」と。
 ――信解品の題号のうち「信」はお金に譬えられる。「解(知恵)」はそのお金で買う宝のようである――。
 身近な譬えでいえば、一ドルの「信」では一ドルの「知恵」しか得られない。一万ドル、百万ドル分の「信」を起こせば、それだけ大きな「知恵」を、力を得ることになる。無限の「確信」には、無限の「知恵」がわく。
 ゆえに皆さまは「確信」の人であっていただきたい。その人には行き詰まりがないからである。そして賢明なる「知恵」の人として、わが使命の人生を悔いなく、最高に晴れやかに、最高に楽しあ先駆者の功徳は大海の如くく飾っていただきたい。
8  短い時間でも、永遠の功徳と思い出をつくる修行がある。長い時間をかけても、空転している場合がある。本日は南北アメリカ大陸の家族と家族が集まって、広布の歴史に永遠に輝きゆく″価値ある一歩″をきざめたと確信する。
 皆さまのご多幸、ご健康、ご長寿、各国の平和を、私は毎日、真剣に祈っている。一心に念じている。だれよりもすばらしき「遊楽の人生を」「大満足の一生を」と願いつつ、私のあいさつを終わりたい。
 (創価大学ロサンゼルス分校)

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