Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第二十六回本部幹部会 勇気ある信仰に無量の福徳

1990.2.7 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

前後
12  明快な言葉、確信の対話
 文永十年(一二七二年)、佐渡におられた日蓮大聖人が波木井三郎にあてて記されたお手紙に、次のような一節がある。
 「鳥跡てがみ飛び来れり不審の晴ること疾風の重雲やえくもを巻いて明月に向うが如し
 ――あなたのお便りには「(大聖人からの)お手紙が来て、これまで疑問に思っていたことが晴れました。ちょうど、疾風が幾重にも重なった雲を吹きはらってくれて、明月を仰ぐような気持ちです」とある――。
 すなわち、何らかの問題について大聖人に御指導を受け、それによって雲をはらうように疑念が晴れた、という彼の喜びの声を要約された御文と拝することができる。
 なおこの御文については、波木井三郎からの手紙によって、大聖人がいだかれていた疑問が晴れた、との仰せであるとする説もある。
 彼がどのような問題で大聖人の御指南を仰いだのかは、文献が残っておらず、さだかではない。だが、遠く離れ、身動きのとれない流罪の立場にあられた大聖人が、どれほど力強く、また絶え間なく門下を励まされていたか――。その一端がうかがえよう。
 一通のお手紙に込められた大聖人の一言一言。それはあたかも疾風のように、相手の胸中にたれこめていた迷いの″暗雲″を吹きはらっていつた。そして名月が皓々と澄みわたるような、晴ればれとした境涯へと、門下の心を開いていかれたのである。
13  世間一般の次元にあっても、「明快な言論」「確信ある言葉」の力は、まことに大きい。たとえ短い一言でも、人々の心を開き、一変させていくことができるものだ。まして強い信心の確信に満ちた、真心と誠実の対話は、さーっと太陽の光が差し込むように、人々の心を晴ればれと輝かせていけるのである。
 逆に、暗く弱々しい語りかけであったり、急所をはずした話であっては、相手の疑心の雲を打ちはらうことはできない。太陽も、自身がつねに燦々と輝いていればこそ、世界を明るく照らしていけるのである。
 大聖人の門下であり、広宣流布のリーダーである私どもの言々句々は、人々の苦悩の闇を晴らし、歓喜と幸福の名月を輝かしていくものでありたい。どうか、真剣な祈りで満々たる生命力と知恵をわきたたせながら、世界に、地域・社会に、さわやかにして力強い″対話の風″を起こしてまいりたい。(拍手)
 最後に、皆さま方の、「栄光」輝く人生、「幸福」に輝く凱歌、三世永遠に輝く「福徳」をお祈りし、本日のスピーチとさせていただく。
 (創価文化会館)

1
12