Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二十六回本部幹部会 勇気ある信仰に無量の福徳

1990.2.7 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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11  誠実と知恵で友の心に
 こうしてスタインベックは、一匹の年老いた愛犬チャーリーを道連れに、足かけ四カ月の旅に出た。キヤンピング・カーには、かのドン・キホーテの愛馬の名前をとって「ロシナンテ号」と名づけた。自分の旅を、かの″無謀なる理想主義者″ドン・キホーテの巡礼にたとえてみせたのである。
 この旅の間、彼はみずからの素性を一切明かさない。彼が高名な作家であることがわかると、自然な付き合いができなくなるからである。名もない、ありのままの一人の人間として、人々の中に入り、相手の胸襟を開いていきたいと彼は思った。
 地位や名声を誇示したくてたまらない種類の人々と正反対の態度である。私どもも、だれに会うにせよ、裸の一個の人間として、熱き大誠実で、相手の心の中に入っていきたい。
 まったく未知の人と、どうやって話の糸口をつかみ、友人になっていくか。彼はさまざまに工夫する。ある時は、愛犬チャーリーを橋渡しに使う。
 たとえば夕食時、チャーリーを放すと、犬は匂いにつられて、人家のほうへ走っていく。ころ合いを見はからって、「私の犬が、ご迷惑をかけませんでしたか?」とスタインベックが追いかけていく(笑い)。それが話のきっかけとなる。
 また、ある時は、わざと道に迷って、人々にたずね、そこから会話を広げる――というように。あらゆる知恵をしばりながら、彼は″友人″をつくっていく。
 知恵――これこそは真剣さの証である。豊かな人間性の表れでもある。
 たんなる「知識」の寄せ集めは、結局、苦しみつつ体験のなかから生まれた「知恵」の力にかなわない場合が多い。そのことは、たくましき婦人の方々の絶妙の知恵に、男性の″高度な理論″がもろくも敗れる(笑い)ケースで、皆さまもよくご存じのとおりである(笑い、拍手)。その意味でも、婦人部の方を、どこまでも大切にしていただきたい。
 こうしたなか、スタインベックが経験したのは、第一印象はあてにならないということだった。一見、まったく悪人面の男が、じつはたいへんに親切で、人情家であったりした。
 実際に話してみないとわからない。こちらで勝手に「あの人はこうだ」と決めつけてはいけないということである。
 こうしたさまざまな出会いのドラマを重ねながら、彼は旅を続けていく。
 彼は、旅立つ前、友人の政治記者から、こんな期待を寄せられていた。その記者は、大統領の候補を、民間人の中に探し求めていた。
 記者いわく「こんどの旅行で根性のある人間に会ったら、場所をおぼえてきてもらいたいね。行って会ってみたいんだ。いまは臆病者とご都合主義者にしかお目にかからないからね」。そして「人間が必要だからね。人間はどこにいるんだろう」「二、三人でもいいから探し出してきてもらいたいね」と。
 また「民衆がどこへいったか、探してきてもらいたい」とも記者は言った。アメリカ独立宣言で言っている「民衆」、リンカーン大統領が言った「民衆」――それらは、いったい、どこにいるのか、と。
 記者の言葉には、アメリカの理想と現状との間の大きなギャップを前にした苦しみが込められていた。
 彼が″根性のある″本物の「人間」と呼ぶのは、たとえ多くの反対にあおうとも、自分の意見を貫くことを恐れない人間のことであった。そして、本物の「民衆」とは、特権的な権威や専制を許さない、″歴史の主役″として戦う民衆のことであったにちがいない。
 ――記者の期待したスタインベックの「人間発見の旅」「民衆発見の旅」が、どういう成果を上げたか。それは見る人により、評価が分かれるところであろう。
 ただ私は、わが創価学会にこそ、こうした真の「人間」がいる、「民衆」がいる、と強く叫んでおきたい。(拍手)
 ともあれ、私がアメリカに世界への第一歩をしるした同じ時期に、「人間」と「民衆」を、そして「アメリカ」を見つけようと全米を回っていた一人の文豪――。私は、むしろ彼自身の中に、どこまでも真摯に人生を求道していく本物の「人間」の姿を見る思いがする。
12  明快な言葉、確信の対話
 文永十年(一二七二年)、佐渡におられた日蓮大聖人が波木井三郎にあてて記されたお手紙に、次のような一節がある。
 「鳥跡てがみ飛び来れり不審の晴ること疾風の重雲やえくもを巻いて明月に向うが如し
 ――あなたのお便りには「(大聖人からの)お手紙が来て、これまで疑問に思っていたことが晴れました。ちょうど、疾風が幾重にも重なった雲を吹きはらってくれて、明月を仰ぐような気持ちです」とある――。
 すなわち、何らかの問題について大聖人に御指導を受け、それによって雲をはらうように疑念が晴れた、という彼の喜びの声を要約された御文と拝することができる。
 なおこの御文については、波木井三郎からの手紙によって、大聖人がいだかれていた疑問が晴れた、との仰せであるとする説もある。
 彼がどのような問題で大聖人の御指南を仰いだのかは、文献が残っておらず、さだかではない。だが、遠く離れ、身動きのとれない流罪の立場にあられた大聖人が、どれほど力強く、また絶え間なく門下を励まされていたか――。その一端がうかがえよう。
 一通のお手紙に込められた大聖人の一言一言。それはあたかも疾風のように、相手の胸中にたれこめていた迷いの″暗雲″を吹きはらっていつた。そして名月が皓々と澄みわたるような、晴ればれとした境涯へと、門下の心を開いていかれたのである。
13  世間一般の次元にあっても、「明快な言論」「確信ある言葉」の力は、まことに大きい。たとえ短い一言でも、人々の心を開き、一変させていくことができるものだ。まして強い信心の確信に満ちた、真心と誠実の対話は、さーっと太陽の光が差し込むように、人々の心を晴ればれと輝かせていけるのである。
 逆に、暗く弱々しい語りかけであったり、急所をはずした話であっては、相手の疑心の雲を打ちはらうことはできない。太陽も、自身がつねに燦々と輝いていればこそ、世界を明るく照らしていけるのである。
 大聖人の門下であり、広宣流布のリーダーである私どもの言々句々は、人々の苦悩の闇を晴らし、歓喜と幸福の名月を輝かしていくものでありたい。どうか、真剣な祈りで満々たる生命力と知恵をわきたたせながら、世界に、地域・社会に、さわやかにして力強い″対話の風″を起こしてまいりたい。(拍手)
 最後に、皆さま方の、「栄光」輝く人生、「幸福」に輝く凱歌、三世永遠に輝く「福徳」をお祈りし、本日のスピーチとさせていただく。
 (創価文化会館)

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