Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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京都記念幹部会 幸福という″心の皇帝″に

1989.10.18 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

前後
12  真名女は、絶対の危機に向かうにさいし、すべての虚勢と背伸びを捨てた。将兵にも領民にも、ありのままの現状と決意を語る。そして、″堀″を造るにも領民と一緒に、みずから泥だらけになって働く。まさに一心不乱であった。
 領主の妻の、飾らない姿。赤裸々な真剣さ。これが、人々の胸を打った。臣下はもちろん、領民の婦人、子どもまでも心を一つにまとめ、結束した。ここから、城の外も内も一体となった完璧なチームプレーが生まれ、あらゆる知恵が発揮されていく。そして、ついに彼女は、城を守りぬくのである。
 口先だけの指導者に、民衆の信頼はない。号令、命令だけの幹部には、周囲も不信と疲れが増大するだけである。
 つねに先頭に立つ、率先垂範のリーダー。いつも真摯にベストを尽くす指導者。そのもとに真の「団結」は生まれ、勝利への歯車の「エネルギー」と「回転」が生じていく。
 真名女の話は、作者の創作が加えられているとはいえ、その真実を盤飛に語りかけていると思う。
 虚栄や策、慢心を捨てた「謙虚な心」。これほど強いものはない。最終的に頼りになるものはない。
 「謙虚な心」には、余裕が生まれる。「傲れる心」には、あせりのみがつのる。
 「余裕の人」は、自分を客観視し、そこから知恵が生まれる。信頼と安心感をはぐくむ。ゆえに勢いが出る。「あせりの人」は、正確に物事を見ることができない。愚痴と不安を育て、周囲には迷いばかりが増す。ついには自分をも見失ってしまう。自分が見えなくなった人に、本来の自分の力も、他人の力も引き出せないのは当然である。
 ありのままの自分となって、「十のものを十だけ出しきっていく」。その必死の「一人」に、信望は集まり、強固な結束が生まれる。そして、不敗の勝利チームが形成されていく。
 だが、もてる「十を出しきる」ことは、決して容易ではない。人間は、どこかで、力を抜き、余力を残しているものだ。それこそ命がけの必死の戦いでなければ、本当の爆発力は出てこない。
13  信心とは″手抜き″しないこと
 ある意味で、信心とは″手抜き″をしないことである。だれが見ていようといまいと、まただれが何を言おうと、自分は自分らしく全力を尽くしていく。そこに信仰者の強さがある。今日の学会の発展も、すべて「懸命な日々」の結実であり、勝利であった。
 私も、これまで、「まずみずから動く」「ベストを尽くす」「寸暇を惜しんで、働く」――率先してこの姿勢に徹してきたつもりである。(拍手)
 策や要領のみの人生は、結局は行き詰まり、みずから墓穴を掘るであろう。人生と一念を、まっすぐに広布へ向け、ひたすら行動していくところに、最高の充実と満足がある。限りなく力がわいてくる。
 ともあれ、本当の「自分」を発揮している人は、美しい。輝いている。また着実に勝利の人生を築いている。
 最後に、申し上げたい。世界の憧れの京都は、広布の前進にあっても「世界一の京都」であっていただきたい(拍手)。その京都で生き、舞い、歴史をつづられている皆さま方である。どうか、幸福に輝く世界第一の「心の皇帝」であっていただきたい(拍手)。そう申し上げ、本日のスピーチを終わらせていただく。
 (京都平和講堂)

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