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日蓮大聖人・池田大作

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京都記念幹部会 幸福という″心の皇帝″に

1989.10.18 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

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11  忍城の攻防に学ぶ懸命の姿勢
 ところで、京都広布の中心牙城・京都文化会館は、二条城の真向かいに建つ。いかにも、難攻不落の広布城にふさわしい地にあるとはいえまいか。(拍手)
 それはそれとして、幸福の堅固な″城″を守る条件とは何か。その点について、少々、述べておきたい。
 埼玉県行田市。ここは、もともと城下町である。その城の名は、忍城。山本周五郎氏の小説「笄堀こうがいぼり」(『髪かざり』所収、新潮文庫)で措かれた城としても知られる。戦国の世にこの城をめぐる激しい攻防戦があり、小説はその戦いに題材を得ている。
 山本周五郎氏は、私はお会いしたことはないが、戸田先生はご存じであった。氏はかくれた人物の業績を描くとき、その筆が光る。
 ――関白・豊臣秀吉をバックとした石田三成の大軍が忍城攻略に近づいていた。だが、城を守るのは城主の妻・真名女と、わずか三百の兵のみ。城主は歴戦の勇士とともに留守であり、城内には老いた、それも実戦経験の少ない将兵ばかりである。
 相手は太閤磨下の勇将が率いる精鋭の大軍である。勝敗は、人を見るより明らかであった。どうするか――。
 真名女は、まず落ち着こうと自分に言い聞かせた。そして考えた。城を捨てて逃げるか。それとも、弱小な兵力でも戦うか。はたして、難局を開くことはできるのか。勝利の可能性はあるのか……。
 葛藤のすえ、彼女は決める――よし戦おう。だが、強がりは捨てよう――と。
 「十のもので百のたたかいをするちからは自分にはない、それはたしかだ、けれども十のものを十だけにたたかいきることはできそうだ」「自分はごくあたりまえな女である、平凡なひとりの妻にすぎない、ただその平凡さをできるかぎり押しとおし、つらぬきとおすことよりほかになんのとりえもない、そしてそのかぎりなら自分にもできるはずだ」(同前)
 勇気ある女性である。また聡明な女性である。
 いざとなると、女性のほうが気が強い(笑い)。苦境にも冷静で、大胆である(笑い)、いざとなると男性のほうが臆病で(笑い)、頼りにならない(笑い)と言った人もいた。(爆笑)
 真名女には、武将の妻としての自負もあったにちがいない。――夫から城と領民を託された。なのに、おめおめと城を明け渡してなるものか――。
 苦しいときに自己を鼓舞し、勇気づけるものは、いつも強い「自負」であり、「責任感」である。
 話はやや飛躍するが、戸田先生の忘れえぬ姿がある。先生の事業が最悪の事態を迎えた時のことである。先生の奥さまがつい一言、愚痴をこぼされた。それを聞いた戸田先生は烈火のごとく怒られ「事業が行き詰まったからといって、事業家の女房が泣いているとは何ごとか! 事業には成功もあれば失敗もあるものだ!」と。
 今から思えば、少々乱暴な言い方かもしれないが(笑い)、そこに事業家としての先生の透徹した「自負」と「信念」を、私は若き心に深く感じとった。
12  真名女は、絶対の危機に向かうにさいし、すべての虚勢と背伸びを捨てた。将兵にも領民にも、ありのままの現状と決意を語る。そして、″堀″を造るにも領民と一緒に、みずから泥だらけになって働く。まさに一心不乱であった。
 領主の妻の、飾らない姿。赤裸々な真剣さ。これが、人々の胸を打った。臣下はもちろん、領民の婦人、子どもまでも心を一つにまとめ、結束した。ここから、城の外も内も一体となった完璧なチームプレーが生まれ、あらゆる知恵が発揮されていく。そして、ついに彼女は、城を守りぬくのである。
 口先だけの指導者に、民衆の信頼はない。号令、命令だけの幹部には、周囲も不信と疲れが増大するだけである。
 つねに先頭に立つ、率先垂範のリーダー。いつも真摯にベストを尽くす指導者。そのもとに真の「団結」は生まれ、勝利への歯車の「エネルギー」と「回転」が生じていく。
 真名女の話は、作者の創作が加えられているとはいえ、その真実を盤飛に語りかけていると思う。
 虚栄や策、慢心を捨てた「謙虚な心」。これほど強いものはない。最終的に頼りになるものはない。
 「謙虚な心」には、余裕が生まれる。「傲れる心」には、あせりのみがつのる。
 「余裕の人」は、自分を客観視し、そこから知恵が生まれる。信頼と安心感をはぐくむ。ゆえに勢いが出る。「あせりの人」は、正確に物事を見ることができない。愚痴と不安を育て、周囲には迷いばかりが増す。ついには自分をも見失ってしまう。自分が見えなくなった人に、本来の自分の力も、他人の力も引き出せないのは当然である。
 ありのままの自分となって、「十のものを十だけ出しきっていく」。その必死の「一人」に、信望は集まり、強固な結束が生まれる。そして、不敗の勝利チームが形成されていく。
 だが、もてる「十を出しきる」ことは、決して容易ではない。人間は、どこかで、力を抜き、余力を残しているものだ。それこそ命がけの必死の戦いでなければ、本当の爆発力は出てこない。
13  信心とは″手抜き″しないこと
 ある意味で、信心とは″手抜き″をしないことである。だれが見ていようといまいと、まただれが何を言おうと、自分は自分らしく全力を尽くしていく。そこに信仰者の強さがある。今日の学会の発展も、すべて「懸命な日々」の結実であり、勝利であった。
 私も、これまで、「まずみずから動く」「ベストを尽くす」「寸暇を惜しんで、働く」――率先してこの姿勢に徹してきたつもりである。(拍手)
 策や要領のみの人生は、結局は行き詰まり、みずから墓穴を掘るであろう。人生と一念を、まっすぐに広布へ向け、ひたすら行動していくところに、最高の充実と満足がある。限りなく力がわいてくる。
 ともあれ、本当の「自分」を発揮している人は、美しい。輝いている。また着実に勝利の人生を築いている。
 最後に、申し上げたい。世界の憧れの京都は、広布の前進にあっても「世界一の京都」であっていただきたい(拍手)。その京都で生き、舞い、歴史をつづられている皆さま方である。どうか、幸福に輝く世界第一の「心の皇帝」であっていただきたい(拍手)。そう申し上げ、本日のスピーチを終わらせていただく。
 (京都平和講堂)

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