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日蓮大聖人・池田大作

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広島県記念勤行会 人類から「悲惨」の二字なくせ

1989.10.15 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

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13  弾圧と流血を繰り返した宗教的対立
 権力の弾圧により、おびただしい血が流された歴史は枚挙にいとまがない。とくにヨーロッパで顕著なのは、宗教的対立による抗争である。
 「聖バーソロミューの虐殺」。一五七二年八月二十三日から二十四日にかけて、パリで、数多くのユグノー(フランスのカルヴアン派)らが、カトリック教徒(旧教徒)に殺害された。以後二カ月間、全国的に狂気が波及し、軍隊はもちろん一般市民にも、魔女狩りのような熱狂が支配した。殺された新教徒は、パリだけで三千人とも五千人ともされ、全国では一万人を超えた。この大量虐殺の知らせを聞いて、なんとローマ法王は祝砲を打って喜んだという。
 以前にも申し上げたことがあるが、古代、キリスト教は徹底して弾圧された。一世紀のネロ帝をはじめローマ帝国の王は、代々、異教として嫌い、キリスト教徒を容赦なく迫害した。四世紀にコンスタンテイヌス帝がはじめて公認し、信教の自由を定め、テオドシウス帝がキリスト教を国教とするまで、弾圧は続いた。
 キリスト教が″正統″となった後も、流血の歴史は続く。数々の″異端″との抗争である。たとえば、十二世紀、フランスに生まれたワルド派は、一大民衆運動となったが、ローマ教会から大迫害を受けた。
 十六世紀の宗教改革以後、旧教と新教の間に苛烈な宗教戦争が起きたことは、ご存じのとおりである。今お話しした聖バーソロミューの虐殺も、一例にすぎない。なかには、もともとプロテスタントの一派であっても、旧教はもちろんルター派など新教徒からも迫害された再洗礼派(アナバプティスト)などの例もある。
 ともあれ、こうした幾多の抗争、弾圧のぼ犠牲者は、まさに数知れない。
 たとえ、かつて迫害を受けた側であっても、ひとたび正統となるや、無情の弾圧者となっていった宗教の権力。歴史は、権力の本質を如実に物語る。
 悲惨な流血は、近年の例では、ナテスによるユダヤ人虐殺がある。その数は、なんと五年間で約六百万人。かのアウシュビッツだけでも、約百五十万人が殺されたといわれる。
 またワルシャワの場合、ユダヤ人地区(ゲットー)には五十万人が収容され、このうち十二万人が栄養不良で死に、三十二万人がガス室のある収容所に送られた、との記録がある。
14  民衆の力で宿命を転換
 いずれにせよ、キバをむき出した「権力」ほど残酷なものはない。この「権力」の魔性に、罪もなき民衆が、どれほど泣き、苦しめられ、命さえ奪われてきたことか――。恐るべきは権威・権力の魔性である。
 いくたびとなく繰り返されてきた民衆抑圧の歴史――その悲しき宿命を転換しゆくのも、民衆の力である。
 まず広島、中国の皆さま方こそ、「勇気」「希望」「団結」の前進で、「民衆の時代」の先駆を切っていただきたい(拍手)。その意味からも、社会で、地域で、職場で、全員が勝利者となっていただきたい。それが大聖人のお心にも適い、戸田先生の念願でもあると申し上げ、本日のスピーチを終わらせていただく。
 (広島池田平和記念会館)

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