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日蓮大聖人・池田大作

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広島県記念勤行会 人類から「悲惨」の二字なくせ

1989.10.15 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

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12  牢獄は、ある意味で、「権力」の象徴である。政権に不都合な人物、権力の批判者を隔離し、葬りさる忌むべき場所といってよい。
 ロンドン塔も例外ではない。数々の権力の横暴、良心の悲劇の歴史がきざまれている。耳を澄ませば、権力の荒波に翻弄された人々の苦悶が聞こえてくる――。
 たとえば、メアリー一世の時代(在位一五五三年〜五八年)にはプロテスタントが多く拷問され、次のエリザベス一世の時代にもカトリック教徒が捕らえられた。当時、捕らえられた人はテムズ川を船で運ばれ、「トレイターズ・ゲート(反逆者の門)」から塔に送られた。木製のその間は、深い緑の川面に、まるでのこぎりの歯が立つように映っていた。この間をくぐると、生きて帰ることはむずかしい。
 夏目漱石は『倫敦塔』の中で、この門を「逆賊門」とし、その感慨を次のように記している。
 「テームスは彼等にとっての三途の川で此門は冥府よみに通ずる入口であった」(『夏目漱石全集 第一巻』所収、筑摩書房)
 それとともに、ロンドン塔には、運命に抗って脱走を試みた囚人もいた。
 ロンドン塔の最初の囚人フランバート司教。彼は、一一〇〇年ごろに幽閉されたが、のちにロープで窓から脱出した。十八世紀のニスデル伯も有名である。処刑前夜、ひそかに妻が持ち込んだ服で女装し、化粧して、脱走に成功した(笑い)。投獄の事情はさまざまであろう。だが、知恵を絞り勇気を奮い起こして、脱走に挑んだ姿には、一種の爽快感すらある。
 いかなる策謀、いかなる弾圧にも、絶対に屈しない。必ず反撃する。自分の自由、信条を侵すものは決して許さない。一切をはじき返す。そうした″強き個人″″強き人間″であっていただきたい。つまり、不当な圧迫や、言われなき中傷をされて、弱々しくなってしまうような人間では、偉大な幸福者にはなれない。いかなる嵐の圧迫にも悠然と立ち向かい、切り返し、はね返し、笑顔で前に進む人には、幸福という勝利の旗がひるがえる。(拍手)
 ともあれ仏法は勝負である。信仰の勇者として、正義と信念の戦いには、絶対に負けてはならない。
 ロンドン塔の中には、こんな変わった人生もあった。
 ウォルター・ローリー卿。私はこの人のことを思うと、ついほほえみたくなる。著名な詩人であり、探検家であるが、彼はここへ三回投獄された。
 けれども、決して悶々としたわけではない。幽閉中に化学の実験をしたり、書物の執筆に没頭。ヘンリー皇太子の教育のために書いた『世界の歴史』は、当時の大ベストセラーとなり、売れゆきは、同時期に出版されたシェークスピアの戯曲を凌駕したという。
 その間、卒中で倒れたにもかかわらず、冒険の夢を追い続け、三度目の釈放の後には、「運命号」という名の船で南米ギアナに出航。だが、めざす金鉱は見つからず、強大なスペイン軍とも衝突し、やむなく帰国、その後三度目の投獄の後、ウェストミンスターで処刑されている。
 ″ヤマ師″はいただけないが(笑い)、牢獄にあっても、勉強や研究、執筆にと取り組んだ姿は尊い。いかなる場所、いかなる時であっても、向上への努力、実践は可能である。
13  弾圧と流血を繰り返した宗教的対立
 権力の弾圧により、おびただしい血が流された歴史は枚挙にいとまがない。とくにヨーロッパで顕著なのは、宗教的対立による抗争である。
 「聖バーソロミューの虐殺」。一五七二年八月二十三日から二十四日にかけて、パリで、数多くのユグノー(フランスのカルヴアン派)らが、カトリック教徒(旧教徒)に殺害された。以後二カ月間、全国的に狂気が波及し、軍隊はもちろん一般市民にも、魔女狩りのような熱狂が支配した。殺された新教徒は、パリだけで三千人とも五千人ともされ、全国では一万人を超えた。この大量虐殺の知らせを聞いて、なんとローマ法王は祝砲を打って喜んだという。
 以前にも申し上げたことがあるが、古代、キリスト教は徹底して弾圧された。一世紀のネロ帝をはじめローマ帝国の王は、代々、異教として嫌い、キリスト教徒を容赦なく迫害した。四世紀にコンスタンテイヌス帝がはじめて公認し、信教の自由を定め、テオドシウス帝がキリスト教を国教とするまで、弾圧は続いた。
 キリスト教が″正統″となった後も、流血の歴史は続く。数々の″異端″との抗争である。たとえば、十二世紀、フランスに生まれたワルド派は、一大民衆運動となったが、ローマ教会から大迫害を受けた。
 十六世紀の宗教改革以後、旧教と新教の間に苛烈な宗教戦争が起きたことは、ご存じのとおりである。今お話しした聖バーソロミューの虐殺も、一例にすぎない。なかには、もともとプロテスタントの一派であっても、旧教はもちろんルター派など新教徒からも迫害された再洗礼派(アナバプティスト)などの例もある。
 ともあれ、こうした幾多の抗争、弾圧のぼ犠牲者は、まさに数知れない。
 たとえ、かつて迫害を受けた側であっても、ひとたび正統となるや、無情の弾圧者となっていった宗教の権力。歴史は、権力の本質を如実に物語る。
 悲惨な流血は、近年の例では、ナテスによるユダヤ人虐殺がある。その数は、なんと五年間で約六百万人。かのアウシュビッツだけでも、約百五十万人が殺されたといわれる。
 またワルシャワの場合、ユダヤ人地区(ゲットー)には五十万人が収容され、このうち十二万人が栄養不良で死に、三十二万人がガス室のある収容所に送られた、との記録がある。
14  民衆の力で宿命を転換
 いずれにせよ、キバをむき出した「権力」ほど残酷なものはない。この「権力」の魔性に、罪もなき民衆が、どれほど泣き、苦しめられ、命さえ奪われてきたことか――。恐るべきは権威・権力の魔性である。
 いくたびとなく繰り返されてきた民衆抑圧の歴史――その悲しき宿命を転換しゆくのも、民衆の力である。
 まず広島、中国の皆さま方こそ、「勇気」「希望」「団結」の前進で、「民衆の時代」の先駆を切っていただきたい(拍手)。その意味からも、社会で、地域で、職場で、全員が勝利者となっていただきたい。それが大聖人のお心にも適い、戸田先生の念願でもあると申し上げ、本日のスピーチを終わらせていただく。
 (広島池田平和記念会館)

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