Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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フランス最高会議 生命の旅路を王者の境涯で

1989.6.13 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

前後
5  法華経の中に「妙荘厳王品みょうしょうごんのうぼん」という経文がある。そこには、この妙法に出あつた浄蔵じょうぞう浄眼じょうげんの二人の兄弟が、母の浄徳夫人と力を合わせて、父・妙荘厳王を正法へと導くドラマがえがかれている。
 中国の天台大師は「法華文句」の中で、この四人の家族の過去世における因縁いんねんを明かしている。
 ──かつて仏法を求めてやまぬ四人の同志がいた。だが、現実は厳しい。それぞれ、生活に追われ、なかなか思うようには仏法の実践に励めない状態が続いた。
 そこで、そのなかの一人が、決然と申し出る。″君たち三人は、心おきなく、修行に励んでくれたまえ。あとのわずらわしいことは、一切、自分が引き受けるから″と。
 こうして、ただ一人の陰の戦いが始まった。春夏秋冬、いつもいつも、彼は留守を守り、黙々と皆の衣食の調達や炊事すいじなど、地味な労作業に明け暮れた。その彼の支えによってあとの三人は、思う存分、修行に専念し、仏道を得ることができた。
 では、陰の一人はどうなったか──。彼は、この人間界、天上界において、つねに王となる果報を得たのである。
 そして、彼のおかげで仏道を得ることができた三人は、今度は、自分達三人の力で彼を仏法に導いて、恩返しをしようと約束する。三人の打ち合わせでは、人は妻や子のいうことは聞くものだから、一人が王である彼の端正な夫人となり、二人は聡明な子として、この恩返しを実現しようということになった。いうまでもなく、その″彼″が妙荘厳王であり、あとの三人が、それぞれ浄徳夫人、浄蔵・浄眼の兄弟となった──というのである。
 この話から、あるいは若干の飛躍を感じる人もいるかもしれない。しかし、そこには、仏法の透徹したまなこに映じる厳粛な因果の法理が示唆しさされている。いうならば、仏法の世界においては、最も割の合わない、そんをしたように見える人が、じつは、大きな福運を着々と積み、確かな成仏の道を進むことができるのである。
6  笑顔と笑顔の楽しき前進を
 戸田先生はよく、この「妙荘厳王」の話を通して、未入信の家族のいる青年を励まされた。「浄蔵・浄眼の兄弟は、現実の上で、妙法の力用りきゆうを示して父王を納得なっとくさせた。あわてて、信心の理屈を話す必要はない。時間がかかっても、かまわないから、まず自分自身が立派になって親を安心させていくことだ。そして本当に親を愛し、慈しみ、親孝行してもらいたい」と。
 一家で一人が信心に立ち上がれば、皆を幸福の方向へとリードしていけるのが、この仏法である。ゆえに、信仰のことで感情的に争う必要はない。大きな心で、また長い目でとらえていけばよいのである。
 大聖人は「水は寒積れば氷と為る・雪は年かさなつて水精と為る・悪積れば地獄となる・善積れば仏となる」──水は寒さが積もれば氷となるし、雪は年を重ねれば、水精となるといわれる。同じように人間は、悪が積もれば地獄にち、善が積もれば仏になる──と。
 題目を朗々と唱えながら、法のため、友のため、また地域のため、社会のために積み重ねゆく行動は、すべて、我が生命の永遠の旅路を王者の大境涯で飾りゆく無限の「宝」となる。この深き確信を胸に、更なる笑顔と笑顔の共進をお願いし、本日のスピーチとしたい。

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