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日蓮大聖人・池田大作

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スウェーデン文化会館がオープン ″仏法カレッジ″の優等生に

1989.6.3 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

前後
6  オックスフォード大学を訪問した際、私は光栄にも同大学のボードリアン図書館から「終身名誉館友」の証を受けた。
 オックスフォード大学といえば、同大学の卒業生で、日本を訪れ活躍した人も数多い。詩人ブランデン(一八九六年〜一九七四年)も、その一人である。ブランデンは、青年時代、東京大学で、英文学の教鞭きょうべんをとっている。それは大正十三年(一九二四年)から昭和二年(一九二七年)の三年間であった。この間、彼がいかに日本の学生たちを慈しみながら、真摯しんしに教え、導いたか。このことは、後に、数多くの教え子が、限りない敬愛と感謝の思いを込めてつづっている。
 ブランデンは日本を去ってイギリスに帰国するさい、次のような、惜別の一詩(大意)を教え子たちに贈っている。
 「私は、諸君が学業の重荷を負いながらも熱心なまなざしを輝かせて、想像の世界をしたい、驚嘆のほほえみを私に向けつつ、頼りにならない案内者(彼は赤心を傾けている諸君の声を海のかなたまで運んでいくのであるが)、その案内者について来てくれたことを思い出して、諸君の魂の健やかさのために、いつも祈るつもりでいる」(『斉藤勇著作集 第六巻』研究社出版)
 日本の教え子たちは、彼のことを繰り返し、繰り返し懐かしみ、語りついだ。それが、また日本の英文学研究の一つの触発ともなったといわれる。
 まことに教育のえにしは、国境を超え、民族を超えて、黄金の輝きを放ちゆくものだ。
 しかし、仏法の縁は、それ以上に深く、強い。三世永遠に薫りゆくのである。ゆえに、私は、とくに若き青年たちには、全力を尽くして、語り、指導していきたいと思っている。何よりも青年の成長は、スウェーデンの発展と繁栄の原動力となると信じているからだ。
7  御書に「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」と仰せである。
 御本尊に、南無妙法蓮華経の題目を唱えていくところに、最高の幸福境涯が開かれていくとの御文である。これ以上の楽しく、充実した生命、人生はない。
 人生模様は、苦楽の糸で織りなされている。豊かな財産があっても病気で苦しんでいる人もいる。健康に恵まれていても、家庭的に不幸な人もいる。人それぞれ、自分ではどうしようもない苦しみや宿命をもっている。
 また、人生には無常の風が吹く。楽しみが永遠に続くわけではない。たとえば行楽に遊んでも、帰路につけば疲れと空しさが広がることも多い。楽しかった結婚も、時とともにいさかいが芽ばえ、離婚という破局もある。一切は変化し、無常の風をさけることはできない。
 その変化と無常のなかに、力強くきいずる泉のごとく、常住の遊楽の境涯を開いていけるのが妙法である。
 また、「スウェーデン」という一語には、国王をはじめ全国民も、あらゆる建物も、一切の湖や町も、スウェーデンのすべてが含まれている。
 と同様に「南無妙法蓮華経」の題目は万法の体であり、一切の法則、学問、経教が包含されている。題目を唱えることによって、万般に通じゆく自在の境涯を「不求自得ふぐじとく」、求めずして自ら得ることができるのである。
 あとは強盛な信心を貫いていけばよい。必ず成仏という永遠に崩れない絶対的幸福を築いていくことができる。したがって、どのような苦しみや困難があっても、題目だけは、唱え続けていっていただきたい。
8  ところで、スウェーデンでは「六月六日」が一九一六年以来「国旗の日」として祝われており、一九八三年には正式に「ナショナルデー」(建国記念日)となっているとうかがった。
 この「六月六日」は、奇(く)しくも創価学会の初代会長である牧口先生の誕生日であり、本年で生誕百十八年を迎える。
 スウェーデンでは、一五二三年に建国の父といわれるグスタフ・バーサ王が王位についた日にあたる。私は明後日、グスタフ国王を表敬する予定であり、その折には国家にとり、また王家にとって最も大切なこの日を心から祝福申し上げ、礼を尽くしてまいりたい。
 最後に、きょうお集まりの方々全員が、この「成仏」と「人生の幸福」への″仏法カレッジ″の優等生となっていただきたい。また、スウェーデンの歴史の先駆者として名を残していただきたいと念願し、「タック(ありがとう)、タック、タック」と申し上げて、本日の″開講式″の講義と開館記念のスピーチを終わりたい。

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