Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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練馬、町田、飾区合同総会 広布に徹す福徳は三世に

1988.11.3 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

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14  こまやかな励ましを忘るな
 夫の阿仏房が亡くなったあと、千日尼の存在は、ひときわ光ってくる。大聖人は、佐渡の門下への御伝言や御指示も、こまごまと千日尼に託しておられる。
 また、御抄のなかに次のような一節がある。
 「山伏ふびんにあたられ候事よろこび入って候」(昭和新定御書2121㌻)──山伏房を、あなた(千日尼)がふびんに思って面倒をみてくださったことを、私(大聖人)は悦び入っております──と。
 何気ない一節かもしれない。だが、千日尼が″広布の母″″地域の母″として、どれほど心を尽くしているかを、大聖人はすべて御照覧であられた。決して目立った活動ではなかったろう。地道に、黙々と、同志を励まし、苦境の友に心を砕いていったにちがいない。
 次元は異なるが、私どもは第一線の友の労苦をこまやかに知り、心からねぎらい、励ましていかねばならない。なかでも家事や子育ての合間をぬって懸命に走り、苦労されている支部婦人部長、地区担当員、ブロック担当員といった婦人部の皆さまを、最大に守り、たたえ、支えていくべきである。とくに壮年の幹部の方々は、くれぐれもお願いしたい。
 なお、この千日尼とコンビをなしていた、もう一人の婦人がいた。国府尼こうあまである。
 阿仏房・千日尼夫妻には、立派な後継の子息がいた。しかし、この国府尼夫妻には、子供がいなかった。
 ある年、阿仏房と国府入道が二人して、大聖人のもとを訪れるため、身延へと向かった。しかし、ちょうど稲刈りの季節が近づき、人手となる子供のいない国府入道は、残念ながら途中で引き返さねばならないというようなこともあった。そうしたことも、大聖人は御書にわざわざ記してくださっている。
 身延を訪れることができなくても、大聖人はどこまでも二組の老夫婦を公平に温かく見守っておられた。
 その国府尼への御手紙の冒頭に「同心なれば此の文を二人して人によませて・きこしめせ」──(国府尼と千日尼は)同心の二人であるから、この手紙を二人で、人に読ませてお聞きなさい──との一節がある。
 ″同心なれば二人して″と仰せであるが、婦人にとっては、高齢となり、ましてや夫に先立たれた場合はなおのこと、何でも語り合える友人のいる人は幸せであるし、最終章の人生を豊かにいろどることができる。広布に生きる千日尼、国府尼の二人も、まさにそのような麗しい同志の関係であったのであろう。
 また、この二人への御言葉からも、千日尼、国府尼の婦人コンビが、仲良く、呼吸を合わせて前進していけるよう、調和の流れ、美しき同志の心の流れをつくってくださっている大聖人の御配慮が拝される。
 現在、学会の組織にあっても「正」と「副」の役職の人がいるし、核となるコンビの人がいる。そうした立場の人たちが、同じ心で仲が良いところは、組織が強いし、地域広布の進展もめざましい。それがなくなると、どうしても魔の働きに、そのスキをつかれて、組織が乱され、信心のみずみずしい前進もなくなってしまう。
15  大聖人が辧殿べんどの(六老僧の一人となった日昭)に与えられた御手紙に、次のように仰せである。
 「さぶらうざゑもん三郎左衛門どのの・このほど人をつかわして候しが、をほせ給いし事あまりに・かへすがへすをぼつかなく候よし、わざと御わたりありて・きこしめして・つかはし候べし、又さゑもんどの左衛門殿にもかくと候へ
 ──三郎左衛門殿(四条金吾)から、このほど使いの人をよこされたが、その人を通して言ってきたことが大変心もとなく、心配に思います。そこで、あなた(日昭)が四条金吾のところを訪ねて、よく話を聞いてあげていただきたい。その結果を手紙で、私(大聖人)の方に、知らせてください。また、本人(四条金吾)にも、このむねを伝えてください──と。
 この御文からは、くわしい事情はわからないが、当時、四条金吾は、信心ゆえに、弘教ゆえに、さまざまな圧迫、苦難の渦中にあった。その金吾からの、人を通しての報告を、大聖人は非常に御心配なされ、長老の日昭が早速、金吾のもとをたずね、話をよく聞いてあげるよう指示されている。
 苦衷にある金吾を守らなければならない。問題の本質をきちんと把握して、的確な手を打たねばならない。それを間違うと金吾をあやまらせてしまう、との御心であったにちがいない。
16  人の心は、まことに微妙である。絶えず変化しており、わずかなことをきっかけに、良い方へも、悪い方へも行ってしまう。
 ゆえに、信心の世界にあっても、立場が上になればなるほど、後輩のかかえている問題や悩みを、正しく敏感に察知して、こまやかなうえにもこまやかに、励ましのうえにも励ましをお願いしたい。そして、その人が立派に成長して、信心と幸福の大道を歩み抜いていけるよう尽くしていく。それが先輩としての慈愛であり、使命と責任である。
 その意味で、門下の一人一人を、抱きかかえるように心を尽くされた大聖人の大慈大悲を拝した次第である。
 最後に、これからは、寒さも一段と厳しさを増す時節であり、くれぐれも風邪などひかれぬようご自愛いただきたい。大切な大切な、使命ある仏子である皆さま方の、ご多幸とご健康、そしてご長寿を心からお祈りして、私のスピーチとさせていただく。

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