Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第五回本部幹部会 壮大なる民衆の大河

1988.5.22 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

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18  使命の青春の道を潔く
 さて、日淳上人は、大正十三年春、二十五歳の時に修学のため京都に旅立たれている。
 その折、先ほど拝した「法門申さるべき様の事」を自らの戒めとされつつ、次のような凛然りんぜんたる決意の一文をしたためておられる。
 「今日私は京都に遊学するに至って、さらに此の御文章に新しい種々の意味を発見し、そうして、いつも当面して居る様に思はれる。(中略)すべからく戒心して三位房のてつを踏まない様にしなければならんと思ふ」
 さらに、「世間法の蝙蝠こうもり畢竟ひっきょう(=つまるところ)悪象あくぞうにすぎないから、肉身を殺しても心はそこなはない、しかし出世間法に於ては悪知識である、うち仏祖ぶっそ(=大聖人)には獅虫しちゅう(=師子身中の虫)となり、そと伝法でんぽうして悪知識となる」と。
 つまり経文に「悪象等は唯能く身をやぶりて心を破ることあたわず悪知識はふたつともに壊る」と説かれるように、世法での「コウモリ」(さきに、大聖人が三位房への御書で仰せのこと)は身を殺しても心をそこなうことはできない。しかし仏法におけるそれは、心身ともにそこなってしまうと述べられているわけである。
 そして「御本仏の御法門は甚深微妙じんじんみみょうであって難解難入なんげなんにゅうであるに反して、学ぶものは鈍根小機どんこんしょうきなれば、教法を寸分違はず解了げりょうして、寸分違はず伝法教化することは、なかなか容易でない。稍々ややもすると蝙蝠こうもりになりやすい。折角せっかく出家発願しても悪知識となっては何もならぬ」と。
 僧侶として大聖人の仏法を正しく実践しぬいていくことがいかに難しいか。そして、「悪知識」の存在となることがいかに恐ろしいかを戒めておられる一文である。いわゆる「正信会」の僧には、こうした自戒がまったく欠けていた。
19  また、日淳上人は、厳格なまでに御自身を見つめておられた。すなわち、先の一文に続いてこのようにもおっしゃている。
 「一昨年教師の職にしてもらったが、て実際伝法教化の事に当って見ると、いよいよ自分の無能が明らかになってきた。信徒の根性を陶冶とうやし、我此土安穏がしどあんのんの境界に遊ばしめることなどは思ひもよらぬことでかえって信徒に懈怠けたいの心を起さしめ、或は教法を毀教ききょう(けなす)せしめるばかりであった。賢明なる信徒方も私の痴見痴行ちけんちぎょう(つたない言動)が即仏祖の教法だと考へられるからもあるが、要するに悪趣に至らしむる教師にすぎないことを知った。(中略)時に胸に手をあててようやく自分は黄口児こうこうじ(未熟者)であることに気がついた」と。
 大切な仏子を指導することがどれほど難しいか。また、その責任の重大さを、上人は青年時代からこれほどまでに真剣に考えておられた。そして「賢明なる信徒方」との仰せににじみ出ているように、信徒をどこまでも尊重されていた。
 上人はこれらの一文で、今のままではいけない。三位房のような愚かな先輩の「二の舞い」になってはならない、と自らを冷徹に反省しておられる。
 自分に安易な妥協を決して許さぬ、この純粋さといさぎよさこそ、まことの青春の心である。
 青年部諸君も、現状に甘んじて、己の保身や安逸のみを考え、名利に走るようであってはならない。そこには広布に生きる使命の青春はない。
20  さらに日淳上人は、この一文を次のように結んでおられる。
 「て此れから先の聖寿(大聖人が立宗宣言をされた三十二歳)には尚三四の間があるが、幾何いくらか智解ちげでも得ることができるかどうかあやしいものである。唯各位の御指教と御声援とによって到於彼岸とうおひがん(彼岸にいたる)したいものである。く蝙蝠法門に落入らずして仏知見を一分でも体得できたらば幸甚こうじんである」
 ――自分は未熟ではあるが、ともかくまだ若い。どこまで体得できるか分からないが、じっくり本気になって修行し、力をつけていこう――。このような上人の「心意気」が拝されてならない。
 そして「各位の御指教と御声援」との御言葉にあふれている、周囲の人々に対する謙虚な姿勢――。上人の御言葉を拝するにつけても、若くして偉ぶり、傲慢ごうまんであっては、本物のリーダーに育つことはできないことを痛感する。
 ともあれ、若き日蓮に三位房の転落の姿をかみしめながら、尊い仏子をどのように導くかを考え、自らの使命と責任を深く自覚された日淳上人の姿がここにある。
 どうか、青年部の諸君もまた、こうした自覚で広布に前進されんことを念願する。本日はかなり長時間の会合となったことでもあり、次の全国青年部幹部会でさらに話を続けさせていただきたいことを申し上げ、私のスピーチとさせていただく。

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