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日蓮大聖人・池田大作

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第1回関西代表幹部会 大法弘通の人に永遠の誉れ

1988.3.21 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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17  「外護」の重要な意義について申し上げておきたい。御聖訓には次のように仰せである。
 「設い正法を持てる智者ありとも檀那なくんばいかでか弘まるべき」──たとえ正法を持つ智者がいたとしても、外護する檀那がいなければ、どうして正法が弘まるであろうか。弘まりはしない──と。
 仏教学の泰斗たいとである中村元博士も、インド仏教の衰退の一因として、堕落した教団が、外護する民衆の支持を失ってしまった点を挙げておられた。
 民衆の中にあって、「外護」の働きをする存在が、いかに必要不可欠であり、重要であるか。
 かつて日達上人は、戸田先生逝去の直後、昭和三十三年五月三日の第十八回本部総会の席上、次のように述べておられる。
 「末法の一切衆生救済の法は宗祖日蓮大聖人様の仏法であります。その日蓮大聖人の正法を正しく伝授しているのが日蓮正宗であって、その日蓮正宗を外護し、大聖人の正法を弘教しておるのが創価学会であります。
 お経に″法は人に依って弘まる″と説かれてあります。実に我が正宗が宗祖滅後六百八十年、何人なんびとも成すことの出来なかった大事業を成した人は、すなわち故創価学会会長戸田城聖先生でありました」と。
 創価学会の出現と、戸田先生の「死身弘法」の生涯。それは、まさに仏教史を画する重大な意義を持っていた。そのことを日達上人が指摘し、讃えてくださったのである。
 時代は変わっても、この一点は厳然たる不変の事実である。この偉大なる師匠を持った喜びと、誇りと、大確信を永久に忘れてはならない。
18  また、かつて日達上人は学会の青年部に対し、次のように話された。
 「この青年部全体、いな創価学会全体が、金剛宝器戒こんごうほうきかいを持っておるところの一大金剛宝器と申すことができるのであります。皆様は一個一個の金剛宝器であり、学会はその個々の宝器を入れるところの一大金剛宝器であります」と。
 そして″この学会という金剛宝器を乱されず、破られざるよう、よろしく″と、我が青年部を励ましてくださった。
 金剛宝器戒とは御本尊を受持しきっていく実践に備わっていくものであり、この戒によって我が身が金剛宝器となる。その福徳に満ちた生命は、三世にわたって、ダイヤモンド(金剛)のごとく壊れない。
 この尊貴なる仏子の集いであり、正法流布のために出現した創価学会は、それ自体、不壊ふえの一大金剛宝器であると日達上人は教えてくださった。
 はるかなる末法万年への大遠征にあって、学会は絶対に破れてはならない、また絶対に破らせてもならない、かけがえなき「金剛宝器」なのである。誰人であれ、妙法の福徳にあふれた、この尊き″宝器″を壊そうとする罪は計り知れない。反対に、この″宝器″を守り、支えていく功徳も絶大である。
 私どもは妙法に結ばれた兄弟である。同志であり、戦友である。これからも永遠の団結で進みたい。
 そして、裏切りも策謀も悠々と見おろし、鋭く見破りながら、学会という「金剛宝器」のなかで、これ以上はないという最高に楽しい衆生所遊楽しゅじょうしょゆうらくの人生を生き抜いてまいりたい。
19  釈尊は正法、像法、末法の推移を見通していた。大聖人は、末法万年尽未来際を見通しておられる。
 私どもは、「以信代慧いしんだいえ(信を以って慧に代う)」の法理に基づき、御本仏の無量の智慧を、それぞれの信心の強さに従って頂戴ちょうだいすることができる。まことにありがたき大法である。
 末法の大信者たる戸田先生も、その洞察力は実に鋭かった。将来、事件を起こし、多くの同志に迷惑をかけていくであろう存在も、その人の本質を前々から指摘されていた。そう見抜いたうえで、大きく包容しておられた。その事実をいつも側にいた私は明確に知っている。
 ともあれ、この関西文化会館池田講堂に御安置の御本尊は、戸田先生が願主である。そして「大法興隆所願成就」と、おしたためである。すなわち、いかなる時代になろうと、どのような障害が現れようと、この御本尊は、関西の天地における大聖人の仏法の限りなき興隆と、あらゆる願いの成就を、お約束してくださっている。
 ゆえに、この御本尊を根本に、私どもは何ものも恐れる必要はない。何ものを嘆く必要もない。晴れ晴れと、また晴れ晴れと、朗らかに、また朗らかに、幸の行進を続けていけばよいのである。
 最後に、大関西の″錦州城きんしゅうじょう″の、ますますの完璧なる勝利の前進をお祈りし、栄光の「常勝の歴史」を無限につづりゆかれんことを、心から念願して、記念のスピーチを終わらせていただく。

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