Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第2回全国青年部幹部会 ″本物の人生″を青年らしく

1988.3.12 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

前後
21  日目上人は、日ごろから寡黙かもくであられたようだ。いつも黙々と修学に励まれ、人知れぬ御努力を重ねておられた。大聖人は、その研さんの御姿を、じっと見守っておられた。
 弘安五年秋、大聖人御入滅の直前のことである。池上へ向かう道中、大聖人のもとへ、幕府の要人・二階堂伊勢守の子で叡山の学僧であった伊勢法印が、四十人もの配下を引き連れ、押しかけてきた。
 そして親の威光を振りかざしつつ、「聖人と問答申すべし」と、法論を挑んできた。大聖人は、このころすでに御病体でもあられた。
 その時、大聖人は、悠揚と、一言、「郷公きょうこう(日目上人のこと)問答せよ」と命ぜられた。こうして、弱冠二十三歳の日目上人が、大聖人の御名代として、伊勢法印に立ち向かわれた。そして十番の問答に一つ一つ相手を論破し、完膚かんぷなきまでに破折し、屈伏せしめた。
 その様子を聞かれた大聖人は、「さればこそ日蓮が見知りてこそ郷公をば出だしけれ」と、莞爾かんじとして仰せになった──。
 日目上人は、地道に積み重ねてこられた努力と精進の成果をいかんなく発揮され、すべてを厳然と守られた。これまで掌中しょうちゅうの珠のごとく、はぐくんでこられた若き門下の堂々たる雄姿を、御入滅を前にされた大聖人が、どれほどお喜びになられたか。その御心情を拝察するたびに、熱き思いが私の胸に迫ってくる。恐らくは、後継育成の責務は果たせたとの、深き安堵あんどの御心ではなかったか。
22  徹した努力の人に最期の勝利
 ともあれ、「真面目」と「努力」に徹した人ほど強い者はない。どこまでも地道な歩みを貫いた人に、人生最終の栄冠は輝く。
 反対に、人の前では、いかに格好を繕っても、堅実な努力と精進のない人には、人間としての勝利も、前進もない。表面的な華やかな世界に、偉大な人間性の開花はない。
 とりわけ、信心の世界は峻厳である。いかに表面は華やかに振る舞い、頑張っているように見せても、日々の信心の鍛えなき人は、必ずや悪知識に敗れ、滅んでいく。この事実は、諸君が見聞してきた通りである。
 絶えず自身の信心を磨き、着実な自己研さんと努力の歩みを進める──ここに信仰者としての本来の姿があるといってよい。
 日目上人は、日々の真剣な精進の結実として、池上での問答に見事な勝利を示された。大聖人門下としての誉れであられたにちがいない。
 むろん次元は異なるが、私どもにとって信心の誉れとは、それぞれの立場で、正法の実証を示し、周囲に揺るぎない共感の輪を広げきっていくことにほかならない。
 たとえば芸術部員なら芸術の世界で″やっぱり、あの人は違う。さすがだ″といわれる人に。学術部員やドクター部員も同じである。また、社会人は社会人として、学生は学生として、壮年は壮年として、婦人は婦人として、″さすが信仰者は、本当に素晴らしい″と、人々にいわれることである。
 ともあれ、社会での人気や有名も、自分自身の名聞名利のためのみであっては、広布にはつながらない。常に根底に、尊き仏子を守り、人類の幸福を推進していくのだ、との深い正義の心がなければならない。その透徹した信心こそ肝要なのである。
23  終わりに、諸君の手により、全国で繰り広げられている教学運動も、地道ではあるが、広布のため、未来のために、まことに重要な活動である。これだけの高水準の研究が、これだけの規模で行われたことは、かつてなかったといってよい。本当にうれしいことである。この誉れある運動のますますの進展を、私は心から祈りたい。
 そして、無限の可能性を秘めた諸君が、天空にそびえたつ、嵐にも揺るがぬ使命の「大樹」へと育ちゆくことを念願して、本日のスピーチとさせていただく。

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