Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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北海道広布開拓三十周年幹部会 わが生命の永遠の軌道を

1987.8.2 スピーチ(1987.7〜)(池田大作全集第69巻)

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29  戸田先生は、かつて「われらが信心をなす目的は、永遠の生命のなかに、幸福に生きんがためである」と端的に教えてくださった。
 三世にわたって、常楽我浄の大歓喜の境涯で、妙法と一体となり、生きぬいていける。そうした崩れざる「幸福」な自己自身をつくるのが、日々の仏道修行である。皆さま方は、すでにその人生最極の軌道に入った方々であり、これ以上、大切な尊き存在はない。十方の諸仏・諸天も、厳然と皆さま方を守りに守りぬいていくにちがいない。
 大聖人は、妙一尼と同一人物とも考えられている妙一女に与えられた御文のなかで、こう仰せである。
 「事を権門に寄せて日蓮ををどさんより但正しき文を出だせ、汝等は人をかたうどとせり・日蓮は日月・帝釈・梵王を・かたうどとせん
 ――事を権力者に寄せて、日をおどすよりも、釈尊の正しい経文を出しなさい――と。
 大聖人の大難に次ぐ大難の御生涯は、仏法のうえでも、世間のうえでも、大聖人には一片の罪もなかった。迫害者は、法門の正義では大聖人にとうていかなわないことを知っているがゆえに、卑劣にも権力を動かし、大聖人を亡き者にしようとしつづけたのである。
 広宣流布の前進におけるこの障魔と迫害の方程式は、現在もまた未来も変わらないことを銘記しなければならない。そして大聖人の″汝らは人間を味方としている。日蓮は日月・帝釈天・梵天を味方としよう″との烈々たる御確信を深く拝したい。
 世の人は、えてして″人″と″金銭″に頼って生きる。しかしそれらは、すべてうつろいやすく、また人生の真の大事には力にならない。私ども大聖人の門下は、妙法の力用によって、全宇宙が味方であり、日月、諸星、風神、地神、水神、火神、梵帝、無量無辺の諸天善神が、一体となって地涌の勇者を守り、懸命に支えるというのである。これほど力強い応援はないし、味方はない。だれびとも自然と宇宙の運行を止めることはできないのと同じく、諸天の働きをはばむことはできない。これこそ御本尊の無量無辺の力であり、功徳なのである。
 「日蓮は日月・帝釈・梵王を・かたうどとせん」――この御本仏の壮大な御境界を仰ぎ、私ども門下もまた、宇宙を友とし、語りゆくような広々とした境涯で生きゆきたいものである。
30  真実の「自分」として生き抜け
 私も、十九歳で正法の信仰に入って、満四十年を迎える。いわゆる宗教の世界、信仰の世界も見てきたつもりである。また社会も、ある程度見てきたつもりである。世間のさまざまな人間模様も、多くの喜劇・悲劇のドラマも見てきた。
 そこで結論としていえることは「自分自身に生ききる」ということである。″世間がああだから″″あの人がこうだから″などというのではなく、正しき法理の上に自分自身が生ききっていくことだと思っている。猫の目がくるくる変わるようなこの世界にあって、それらにいちいち紛動されたり、気がねをしていれば、結局″自分″がなくなってしまう。堂々と我が人生を生き抜いた人が幸せである。
 世間体を気にしたり、幻の栄誉を追ったり、はかない快楽に憧れたり、過度の物質的充足に狂奔したりして、″自分″を見失ってしまえば、本当の幸福を実感することはできない。
 人生の真の幸福と真の勝利は、自分自身の胸中にある。ゆえに、確固たる信仰と確固たる人生観をもちながら、堅実に着実に、そして悠々と朗らかに歩みゆかれんことを心から願って、私の記念のスピーチとさせていただきたい。

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