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日蓮大聖人・池田大作

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第2章 子どもを叱るとき  

「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)

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8  頑張るお母さんを子どもは見ている
 高柳 はい。私たちも気をつけます。
 それにしても、わが学会の婦人部のなかには、さまざまな苦労を乗り越え、お子さんを立派に育てておられる方がたくさんいます。その姿に、どれほど勇気づけられ、大切なことを教えていただいたか分かりません。
 佐藤 大分県のある婦人部の方は、お子さんがいよいよこれからという時に、夫に先立たれました。
 ご主人は亡くなる前、「オレが死んだら、この子はもう大学に行けんだろうな」とポツリと言ったといいます。この一言を聞いて、小野さんは「大丈夫よ。どんなことをしても、この子は大学を出してみせます」と言い、ご主人は、安心して亡くなられたそうです。
 しかし現実には、大変な苦労が待っていました。仕事の当てもなく、彼女は「女手一つで、どこまでやっていけるだろうか」と絶望に沈みそうになりました。
 それでも、夫との誓いを果たすために、悲しみを振り捨てて、立ち上がりました。住み込んで働くようにと勧められもしましたが、子どもの教育によくないと考え、田舎に残って行商を始めました。
 小さな体に大きな風呂敷包みを背負って、一日中、山道、谷道を歩き回り、足を棒にして頑張ったそうです。しかも、信心していることで、無理解の嫌がらせを受けることもありました。また「行商くらいで大学に出せるはずがない」と陰口を言われ、悔しい思いをしたそうです。
 しかし、「私には御本尊がある。負けてたまるか! この子を立派に育てずにおくものか!」と、歯を食いしばって、十八年間、行商をやりぬきました。
 その結果、子どもはすくすくと育ち、東京の大学を卒業。お孫さんは今、創価小学校に通っています。
 池田 頑張るお母さんを、子どもはじっと見ていて、心に刻んでいるのです。その母の苦労を忘れません。だから、道を外れることなく頑張る。この母子の絆をつくり上げることです。
 高柳 広島県の婦人部の方は、娘さんの優子さんが生後二カ月の時に、岡山で池田先生にお会いしました。優子さんは、先生が命名された娘さんです。
 決して忘れられない当時の思い出を、その婦人は語っていました。
 「命名のお礼を申し上げると、先生は、赤ん坊の優子に声をかけてくださいました。
 『私が名づけ親の池田です。よろしく。優子というのは、優しく、優秀な子になるようにつけましたよ。大きな心で成長してください』と。
 まだ将来、どうなるかも分からない生後二カ月の子どもにまで、ていねいに接していただき、大変に感動しました」と。
 この時、佐々木さんは、優子さんを「立派な広布の人材に育てよう」と誓いました。
 そして、どんな苦労の時も、この日の先生との誓いを忘れず、乗り越えてきました。
 今、優子さんは小学校の先生。広島総県の女子教育者のリーダーとして、未来の宝の育成に取り組んでいます。
9  池田 それはよかった。本当にうれしい。
 子どもを立派に育てているお母さんに共通するのは、「子どもを社会に役立つ人間に育てよう」という心、そしてその「誓い」の深さのようだね。
 「過保護」の親、「放任」の親、いずれもよくないが、もとをただせば、親のエゴです。子どもを「自分の所有物」のように考えるところから、両極端が生まれるのです。
 子どもを「広宣流布」という社会貢献の人材に――この「誓い」があれば、エゴに陥らない。また、子どもがどのようになろうとも、決してあきらめたりできない。
 私がここまでやってこれたのも、戸田先生との「誓い」があったからです。
 戸田先生の故郷・厚田村で、大海原を前に、先生は、私にこう言われた。
 「この海の向こうには、大陸が広がっている。東洋に、そして、世界に、妙法の灯をともしていくんだ。この私に代わって」
 「戸田先生に代わって」――この誓いが、私のすべてです。
 師との誓いを胸に、これまで、必死の思いで走り抜いてきました。嵐の中も、猛吹雪の中も、ただ「誓い」を果たそうと。世界中のあらゆるところで、飛行機の中でも、ホテルにいても、車中にあっても、題目をあげながら。
 「師との誓い」であるがゆえに、「あきらめる」などということは、考えもしなかった。
 次元は違うけれども、子育てにも、同じことが言えるのではないだろうか。
 高柳 私たちも、「誓い」を忘れてはならないと深く決意しています。
10  「子どもの未来」を子育ての基準に
 池田 広島の中国平和記念墓地公園にある「世界平和祈願の碑」にも、「母と子」の像が立っています。
 佐藤 世界的な彫刻家である、フランスのルイ・デルブレ氏が制作したものですね。
 「建設」「寛容」「勇気」「希望」「後継」「歓喜」の六体の像からなっています。
 池田 そうだね。そのうちの、「後継」の像は、足を伸ばして座った母親が、小さな子どもを両手で抱き上げ、前のほうへ、さしだす姿をしている。
 この像について、デルブレ氏は、こう言っている。
 「子どもを生み育てる根源的な存在としての母親。
 そして、未来世紀を担い、大いなる希望をもって成長していく姿を、母親にかざされた幼児として表現しています。
 母親にとって子どもは、自分の所有物でも、付属物でもありません。
 未来を拓くため、世界の平和のために捧げ、送り出していくのです。
 幼児も一人の人間として、きりっとした表情をしています。後継の使命を決意し、自覚していることを、両手を横に広げて表現しているのです」
 高柳 大変、深い意味が込められているのですね。私たち母親の根本的な生き方が、芸術として崇高に昇華されていると感じました。
 池田 「親のエゴ」ではなく、「子どもの未来」を子育ての基準にしていかなければなりません。
 子育ては、長い目でみなければ分からない。「子どもの今」を満足させるだけでなく、「子どもの未来」をしっかりと見すえていくのです。
 そうすれば、「叱るべきとき」も、おのずと分かるのではないか。
 子どもは、自分を映す鏡です。子育ては、子どもも、自分もともに成長してゆく崇高な作業なのです。

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