Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

ロンドンの紳士  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

前後
4  信念を貫く人に輝く″最後の栄冠″
 佐々木 死後、どうなるか。だれもが抱く関心です。
 池田 仏法では、三千大千世界という膨大な世界観が展開され、その三千大千世界が無数にあるとする壮大な宇宙観が説かれています。この地球のような存在が、それこそ何億、何十億いや無数にある、と説かれているのです。
 かつて対談した天文学者のチャンドラ・ウィックラマシンゲ博士も、宇宙の知的生命について次のように言われていました。
 「地球外生命が存在することは、たんに考えられるというだけではなく絶対に確実です。この地球上に生命が存在しているのと同じぐらい確かなことです」(本全集第103巻)と。
 アポロ計画の推進者で、人類初の月面着陸の総責任者であり、ウィルソン山天文台の所長をされたロバート・ジャストロウ博士も、「『宇宙における人間の位置』について、人間が必ずしも存在の頂点ではなく、さらに高い存在が考えられる」(一九九三年九月二十一日付「聖教新聞」)と述べておられました。
 佐々木 仏典には、全宇宙の諸国土が説かれ、条件さえ整えば人界・畜生界など、十界の生命存在が出現することが説かれていますが……。
 池田 牧口、戸田両先生は、すでに仏国土にお生まれになっているでしょう。師弟不二が根幹の仏法では、釈尊の因位の修行に見るように、今生の師弟は、来世では師が弟子に、弟子は師に、とも説きます。牧口先生は今度は、戸田先生の弟子として活躍されているかもしれない。
 松岡 死後の生命は、人間に生まれるか、植物の生命に含まれていくか。あるいは、畜生界の動物と生まれるか――厳しい因果の軌跡をたどるのですね。
 池田 過去の因は現在の果に顕れ、未来の果は現在の因を見ればわかる。死とは厳粛なドラマ、審判でもあるのです。信仰している人の大確信は、そこにあります。
 また、御書に仰せです。死の瞬間に、大聖人が駆けつけて、仏国土にご案内しますよ。御本尊に包含されている、あらゆる仏菩薩、諸天善神が、日蓮とともに瞬時に馳せ参じます――と。
 だから日蓮大聖人は、臨終の事は私に任せなさい、と言われる、そのうえで、いっさいを仏法に賭けた信仰一筋の生涯を送りなさい、と仰せになっているのです。
 その心で生きぬいた人は、御本仏の照覧に適うことはもちろん、みずからが自分自身の人生に、勝利の審判を下すことができるのです。
 自分の人生が勝利だったかどうか、信念に殉じて違背が、なかったかどうか――審判を下すのは、他人ではなく、あくまで自分なのです。

1
4