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日蓮大聖人・池田大作

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人生に定年はない  

「第三の人生を語る」(池田大作全集第61巻)

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3  「さあ、仕事を続けよう!」
 佐々木 「続けよう」ということでは、トインビー博士の座右の銘も「さあ、仕事を続けよう!」でしたね。
 池田 そうでした。対談の初めにも「やりましょう! 二十一世紀の人類のために語り継ぎましょう!」と、稟と言われていた。
 「いちばん、充実した、うれしい時は何ですか」と、当時八十四歳の博士に聞くと、「文章を書き、本を読んでいる時です」と微笑んでおられた。
 朝六時四十五分に、起床し、夫妻で朝食の準備をし、寝台の整理をし、午前九時には書斎の机の前に座り、文章を書き続けることを日課とされていた。八十歳を超えても、知識欲に燃えておられた。
 松岡 私も、ロンドンのオークウッド・コートにあるトインビー博士の自宅で、池田先生と博士の対談を取材しました。赤レンガのフラット(マンション)の一階から旧式のエレベーターで、先生が五階まで上がって行かれた。
 博士は先生が到着されるのが待ちどおしくて、自宅の玄関から出てエレベーターの前で待っておられた。歓待の声をあげ、顔をほころばせ、先生の手を握りしめ、居間に案内する博士はうれしそうでした。
 佐々木 親子ほどの年齢差があっても、博士は、先生を、待ちに待っておられたんですね。
 松岡 毎日、朝の十時から五時間におよぶ対談でも、白髪、長身の博士が真剣な表情の中にも「オゥ、オウーッ」と喜びの声を連発されたり、「イエス、イエス!」と賛意をはっきりと示しておられた。生命論や仏教哲学に話題がいくと、「あなたはどう思われますか?」と先生の意見を真剣に求めておられた。
 池田 二十世紀最大の歴史家と評される博士は、終生、真摯な探求を貫き通された方です。「八十四歳の生涯で、これほどの対談をしたことはない」と述べておられましたが、年を経るごとに、学問への情熱が高まるといった感じでした。
4  「私の学問の整理が可能になった」
 松岡 第一回の対談終了後、トインビー博士が、先生に感慨こめて話されていました。
 「あなたとお話をすると、私は、啓発され、感動する。本当の問題点を論じあえる人間と、このように率直に語れることは最高に価値あることで、学者としてこれ以上の喜びはない。あなたの話は、人間の生命に関する重大なことであり、しかも観念論ではなく、すでに現実の諸問題をいかに解決しようかと、肉薄する熱い心に満たされている。私はあなたとの対談で、私の学問の整理が可能になった」
 佐々木 一年ぶりに再開された初日には、「高齢化の問題を抜本的に解決することが火急の要件」というテーマでも話しあわれましたね。
 池田 話しあいました。博士は、「イギリスでは、私自身も含めて、すべての老人が毎週、国から年金を受け取っており、老人ホームもあります。実際に、私の妻の妹は公営の老人ホームに住んでいます」と言われながらも、三世代家族(祖父母、両親、子どもが一緒に生活する大家族)の必要性を力説され、そのためには都市の住宅問題を解決しなければならないと主張されていました。
 また、「肉体の死」と「精神の死」を鋭く見つめながら、「脳死」や「延命医療」などの今目的な課題にも思いをめぐらせておられた。
 こんな問題も考えていきましょう。
 松岡 お願いします。
 池田 トインビー博士といい、レオナルド・ダ・ヴィンチといい、人生の充実と探求、課題への挑戦には定年などありえないことを、教えています。

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