Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

創価中学・高等学校第20回卒業式、関西… 君よ! 青春の獅子たれ

1990.3.16 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

前後
4  たくましき「楽観主義」で
 「自分なんかもうだめだ」と思うような瀬戸際の時が、諸君にもあるにちがいない。じつは、その時こそが、自身の新しい可能性を開くチャンスなのである。人生の勝利と敗北、幸福と不幸、の分かれ目が、ここにある。
 「自分」という人間を決めるのは、だれか――。自分である。「自分」という人間をつくるのは、だれか。これも結局は自分以外にない。他人の目や言動に一喜一憂する弱さは、それ自体、敗北に通じる。
 ロダンは、その後二十年にもわたり、彫刻家の助手、建築彫刻、石膏取りなど下積みの仕事をかさねながら、徹底して勉強し、実力をつけていった。
 ほめてくれる人は、だれもいない。苦労して作った作品も、少しも売れない。貧しい身なりのため、図書館から本の貸し出しも制限されてしまう。
 しかし、わが道を定め、行動に徹しゆく人の心は、どんな境遇に置かれても、きょうの青空のように晴れやかである。
 下積みもなく、歯をくいしばるような辛苦もなく、かんたんに得られた名声や成功は、ホタル火のようにはかない。人間としての黄金の光を放つことはできない。労苦こそが自身の不滅の「人格」を磨くのである。
 ログンはのちに、こう振り返っている。「仕事さえしていれば決して悲観しなかった。いつでも嬉しかった。私の熱心さは無限でした。休む間もなく勉強していました。勉強がいっさいを抱擁していたのです」(『ロダンの言葉抄』高村光太郎訳、岩波書店)と。
 努力即幸福である。努力即勝利である。とともに、後年、ロダンは、弟子たちに”青年はあせってはならない”と繰り返し教えていたという。「一滴一滴、岩に喰ひこむ水の辛抱強さ」を持たねばならない、と。これは芸術のみならず、万般にわたって、大事を成しゆくためのポイントであろう。
 岩にきざむ忍耐で、鍛えの青春を送った人は、年とともに光ってくる。「人格」が輝き「知性」が輝く。「精神」の果実の豊かな味わいがでてくる。その人こそ、真の栄光の人である。
 さて、ロダンが五十八歳の時に発表した文豪バルザックの像は、世間から悪評の集中砲火をあびる。しかし、だれに何といわれようとも、彼は十年近くの歳月、全魂をかたむけた自分の仕事に、満々たる「自信」と「誇り」をもっていた。
 ロダンはこの時、「全世界が反対しようとも、あの作品に私は責任をもつ」と断言したという。その裏付けには、だれにも負けない血のにじみでるような「努力」の積みかさねがあった。自分の「努力」は、自分自身がいちばんよく知っている。
 このロダンの言葉は、まことに味わい深い。どうか諸君も、この一生で何でもよい、いかなる分野であってもよい、「全世界が反対しようとも」と言いきれるものを、自分らしく成し遂げていただきたい。
 時には、傲慢な権威のカベに押し返されることがあったとしても、くじけてはならない。むしろ、それ以上の勢いで、みずから信ずる道を、誠実に、粘り強く求めぬいていく。私は、そうした強き「獅子の心」で、この青春を勝ち取っていただきたいと切望する。(拍手)
5  友情が人生を美しく飾る
 ところで、女子生徒の皆さんもいらっしゃるので、カナダの美しい自然を舞台とした『赤毛のアン』の物語について、少々、お話ししたい。これは、孤児であった赤毛のアンが朗らかに、また、たくましく成長していくドラマである。
 アンはおしゃべりで、想像力旺盛で、失敗ばかりかさねる。しかし、決して落ちこみはしない。
 大学入学を前に、アンを育ててくれた養父が急死。アンは進学を断念せざるをえなくなる。
 悲しみのなかにあって、アンは励ますように、養母にこう語りかける。
 「自分の未来はまっすぐにのびた道のように思えたのよ。いつもさきまで、ずっと見とおせる気がしたの。ところがいま曲り角にきたのよ。曲り角をまがった先に何があるのかは、わからないの。でも、きっと一番よいものにちがいないと思うの」(モンゴメリ『赤毛のアン』村岡花子訳、新潮文庫)
 これが、物語を貫く主人公アンの考え方であり、人生観である。ゆえに、アンはどんなに不幸な運命に出あおうと、決して嘆かない、悲しまない、負けはしなかった。
 ”曲がり角をまがれば、きっとすばらしい景色がまた広がるにちがいない”と考え、明るく、伸び伸びと生きていった。そうした生き方ができること自体が幸福である。何かあれば、すぐ嘆き、悲しみ、落ちこんでしまう。それは、決して獅子の子の生き方ではないし、不幸な人生である。
 また、アンは”友情は人生を美しくする”と、いつも友人を大切にした。人生でいちばん美しく薫っていくものは友情である。私も世界に多くの友人をもっているが、友情にこそ、もっとも深い、信頼が結ばれているものである。そして、人生を美しく飾ってくれる。
 こうしてアンは、教師となり、妻となり、母となって幸福な生活を送っていった。
 私は、アンの生き方をとおして、「君たちよ楽観主義で生きぬけ。長い人生を、悲観主義でいたずらに悲しんだり、苦しんだりしてはならない」と申し上げたい。
 楽観主義は、いいかげんな、安易な考え方をいうのではない。強く、たくましい生き方である。
 どのような事態に直面しても、”あっ、きっとこのようによくなっていくにちがいない””これは、このような意味だから、かならず道を開いていくことができるものだ”と、人生の苦悩を悠々と楽しく見おろしながら、つねに、よい方向へ、明るい方向へと、とらえていくことである。楽観主義は、境涯を大きく開いてくれるのである。
 これから、新しき世紀、新しき世界の舞台にむかいゆく諸君である。どうか、何よりも健康であっていただきたい。あらゆる工夫、努力をしながら健康で、長寿の人生であってほしい。また、お父さんお母さんをはじめ諸君とつながった人々を、世界旅行にでも連れていってあげられるような力をもち、幸福な生涯を築いていっていただきたい。諸君のことは、毎日祈っているが、本日も、どうかご多幸であれ、と心から祈り、記念のスピーチとしたい。

1
4