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創価中学・高等学校第22回栄光祭 深き伝統こそ”魂”の遺産

1989.7.16 教育指針 創価学園(2)(池田大作全集第57巻)

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6  「圧迫」への「抵抗」が生物の進化生む
 さて宇宙の話から、地上に目をおろしたい。先日も、ある会合で、トインビー博士の歴史観の一端として「挑戦と応戦」の話をさせていただいた。じつは、同様の法則は人類の歴史のみならず、生物の進化にもあてはまる。すなわち、生物の世界においても、何らかの「圧迫」の壁があり、それに懸命に「抵抗」してきたところに、生命の「変革」と「進歩」が生まれてきたといわれる。
 生物の進化については、さまざまな説や論議があり、いちがいに言えない部分が多い。また今後さらに解明されていくこともあろう。
 ここでは、著名なアメリカの科学者であるロバート・ジャストロウ博士の著作『太陽が死ぬ日まで』(小尾信彌監訳、集英社文庫)をもとに、話を進めさせていただく。(=1993年9月にアメリカ創価大学で創立者とジャストロウ博士は会見した)
 それによると、たとえば、「魚類」の一部が陸地に上がったのは、長期の旱魃かんばつのせいだという。乾期になると池や川が浅い水たまりに変わってしまい、魚は酸素が不足して生きられない。
 そこで、水の豊富な場所へ移動したりするうちに、水中だけでなく、空気中の酸素も吸収できるような「肺」をもった魚が出現する。これがカエルなど、水陸両方に住む「両生類」の第一歩となった。また、ヘビやトカゲなどの「爬虫類」から、ウサギや人間といった「哺乳類」への進歩は、超大型の爬虫類、すなわち恐竜による”圧迫”のなかから生まれた。
 恐竜の全盛時代、片すみに追いやられた小さな爬虫類は、身の危険を避けて、寒い夜間にしかエサを探せない。寒いゆえに、体温を一定に保てれば活動に有利である。体温が気温とともに低くなると活発に動けないからだ。そこで自然からの”圧迫”を受け、しだいに、恒温動物としての機能が形成されていく。「夜行性の爬虫類が完全な恒温動物に変わった――これが原始哺乳類の祖先である」(同前)と。そして恐竜絶滅のあと、この哺乳類たちの時代が訪れた、と。
 また、四本足の「類人猿」から二本足の「人類」への進歩は、気候の乾燥化という圧迫が重要な機縁とされる。乾燥化によって森林が減少し、乾いた草原が広がる。草原では猛獣がエサを探して動きまわっている。しかし、逃げて隠れる木も少ない。そこで身の安全のために、立ったままの姿勢で敵の動きを見張らなければならなかった。猛獣がどこから出てくるか、四本足だとよく見つけられない。こうして、直立して歩くようになったのが人間だという。
 さらに猿人からホモ・サピエンス(知恵ある人)への進歩は、二百万年ほど前にはじまった大氷河時代にもたらされたとある。凍える寒さの圧迫のなかで、どう生きぬくか。その一つの方法として、動物の毛皮をはいで身にまとったりした。それがやがて「道具」の発達にも結びついていく。人間の頭脳は、氷河に苦しめられることによって飛躍的に進歩したともいえる。
 こうした、長い生命の”逆境と苦闘”の歩みが意味するものは何か。ジャストロウ博士は語る。
 「逆境と苦闘が、生物進化の根底にある。逆境がなければ、生物に加わる”圧力”はなく、この”圧力”がないと、変化は起こらない」(同前)と。
 圧迫や障壁のないところに進歩はない。生きぬこう、戦いぬこうと知恵を発揮し、環境を克服して進んでいくのが、生きとし生けるものの鉄則である。人間も、その他の生物も、また集団も、進歩し発展しゆく方程式は同じである。
 諸君の勉強や試験も、ある意味では自分への「圧迫」かもしれない。しかし、それをやりきっていくところに、知性と人格を深め、人生を勝ちゆくための「進歩」がある。その意味で、今、勉強しておかなければ、あとで後悔をする。どうか将来のために、自分自身のために、しっかりと勉強をしていただきたい――これが創立者としての心からの期待であり、願いである。(拍手)
7  ”友よ正義の旗を振れ”
 諸君は、今回の栄光祭のテーマを「友よ正義の旗を振れ」と決めた。ドラクロワの背景画の横にも、この言葉がくっきりと書かれている。私も、心から賛同するし、この言葉を諸君に呼びかけたい気持ちでいっぱいである。
 ところで背景の絵は、十九世紀の市民革命を描いたものである。十八世紀末のフランス革命で掲げられた「自由」「平等」「友愛」の理想。その実現のため、時代を超えて戦い続けるフランス市民に対して、ドラクロワがささげた感動の賛歌といってもよいであろう。
 精神にも「遺産」がある。ひとたび築かれ、打ちかためられた魂の「遺産」は、長く、たしかに、一つの民族、一つの国家を養っていく。とりわけ、危機の時に、その”宝”は発揮されるものである。
 フランス革命が国民に残した「精神の遺産」は、少なくない。その一つが、いかなる圧力や弾圧にも屈しない「抵抗レジスタンス」の精神ではあるまいか。第二次世界大戦でフランスは、ナチス・ドイツに占領された。この時、燃えあがったのが、この「レジスタンスの炎」である。彼らは、いかなる苦境にも、”しかたがない””あきらめよう”などとは決して思わなかった。――最後の最後まで抵抗し、戦おう。そして、ついには勝利を勝ち取るのだ――と、確信してやまなかった。
 これこそ、フランス革命から生まれた”フランス魂”である。その意味で、フランス革命は過去のものではない。脈々と国民の心に受け継がれているといえよう。
 確たる「伝統」が築かれ、脈動しているところは強い。ここ創価学園にも「栄光祭」というすばらしき「伝統」が構築された。しかもそれは、一人一人の心に強く生きている。私にとって、これ以上の喜びはない。(大拍手)
 本日の栄光祭には、心臓病を克服して、すっかりお元気になられた学園の先生も参加されており、私はたいへんうれしい。(拍手)
 先日、この教師の方から丁重なお手紙をいただいた。その中に、脳裏に蘇る栄光祭の思い出ととともに”死の淵”から蘇生された生々しい模様もしたためられている。私信ではあるが、了解を得て、その一部を紹介させていただきたい。
 ――手術を終えて、集中治療室でめざめた時に、人工肺をくわえたままに唱題をはじめますと、完全に冷えた身体に精気が湧いてくるのがわかりました。
 そのうちに、これまでの栄光祭で、池田先生の前で青春の誓いのままに、純粋な情熱の舞いを全魂をこめて演じている生徒たちの姿と叫びが、何度も脳裡に現れ、私も一緒にスクラムを組んで歌っていました。
 そのたびに、まるで寒中にお湯を飲んだ時のように熱い血潮が五体のすみずみまで湧き、まわっていくのがはっきりとわかりました。林立する冷たい医療器具に身体中から出ている管で連結され、少しの身動きもできないままでしたが、私にとっては、感謝と感激と感動の世界でした。
 栄光祭も、創価学園のすべてもが、仮死状態を蘇生させる生命力をもっていることを実感することができました――。(大拍手)
 これは、この先生が病気に打ち勝って、学園にもどられたさいに送ってくださった一文である。
 草創以来、学園建設に尽くしてこられた方である。この貴重な体験は、伝統の栄光祭が、どれほど一人一人の魂に深く深くとどめられ、偉大な力となっているかという、一つの証左であると、私は深い感慨を禁じえなかった。
8  強き心、優しき心の人に
 ここで、何点か諸君にお願いしておきたい。
 その一つは、どうか、お父さん、お母さんを大切にしていただきたいということである。
 それは両親のためであることはもちろんであるが、しかし、親の心というものはもっと深い。親が子どもの「親孝行」を喜ぶのは、決して自分のためではない。親は、子どもが孝行してくれようとも、またそうでなくとも、子どもを思う心には変わりはないものである。
 ただ、わが子が「親孝行」のできる子どもであれば、将来も心配はない。そういう温かい心根があれば、いつになっても、何をやっても、どこへ行っても、立派な人間性をもって進んでいけるであろう。また、どんな苦難があろうとも、その強く優しい心が、一生の幸せを築きゆく原動力となっていくだろう、と親は考えて喜ぶのである。
 どうか、そうした”親の心”のわかる諸君であっていただきたい。親に心配をかけないこと自体が、立派な親孝行である。その人はすでに立派な「大人」、立派な「人間」であるといえる。そして、これが創価学園の人間教育の精神であることを申し上げておきたい。
 もう一点は、現在、多くの学校が不登校(登校拒否)や校内暴力の問題に悩んでいる。教育の最大の課題ともなっている。幸いにもわが創価学園ではこれまで、人間教育のすばらしい伝統を築いてくることができた。暴力を振るうことなど絶対にあってはならない。「暴力」は「人間失格」の行為である。どうかわが学園では、これからも、良き先輩、後輩として、さらにうるわしい友人関係、人間関係の絆を強めていっていただきたい。
 また、不登校については、私もこれまで、教育現場でこの問題に取り組んでこられた方々の体験をうかがい、意見を交換しながら、私なりに掘りさげてきた。そこにはさまざまな事情があり、原因がある。ささいなことから「学校に行きづらい」と思うようになる場合もある。また、何らかの理由で少々、学校を休んだ時に、教師やクラスメートから責められると、気弱になっている心に圧迫を感じて、ますます登校するのが嫌になる場合もあるようだ。
 諸君の周囲にはあまりそのような例はないかもしれないが、友人が何らかの理由で学校を休み、ふたたび登校してきた時には、どうか心温かく迎えてあげていただきたい。人は言葉ひとつで勇気づけられもし、また心を傷つけられることもある。どうかそうした”思いやり”の心を忘れない諸君であっていただきたい。
 最後に、諸君のいちだんの努力と成長と健康、また諸君のご両親のご多幸とご長寿をお祈り申し上げ、わが創価学園の偉大なる発展を願って祝福のスピーチとしたい。

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