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日蓮大聖人・池田大作

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創価学園1 中学校・高等学校[昭和61年度]

教育指針 創価学園(1)(池田大作全集第56巻)

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7  創価中学・高等学校 第十七回卒業式(メッセージ)〈昭和62年3月16日〉
 より高き、深き自分を
 きょうは、どうしても午前中用事があって、出席できないことが残念です。午後からの行事には間に合うと思います。
 ともあれ、晴れやかな第十七回卒業式、まことにおめでとうございます。きょうは、昨今、私が心に思いついたままを述べて、メッセージとして皆さんに送らせていただきます。
 中学、高校それぞれ三年間の勉学は、思い出多いことであったと思います。旅立ちというものは、いつでも一つの希望であります。皆さんの胸のなかは、さまざまな期待や夢で、いっぱいでありましょう。同時に皆さんの巣立ちは、私自身にとっても大いなる希望であります。
 武蔵野に春が来るたびに、川辺や野の緑が一斉に芽吹きはじめる。その芽や茎が伸びていく方向に太陽の輝きがあるのです。それと同じく、若人が旅立って伸びていく先に、希望の輝きがある。私は、そう信じて、皆さんのこれからの成長を、心から期待しております。また、待っております。
 皆さんは、青春の真っ只中にいる。みずみずしく若い生命力というものは、その存在自体が美しく輝かしいものです。Zフンスの詩人ボードレールは、次のように青春を讃えている。
  ――姿は素朴、額はやさしく、眼は水の
  流れるやうに 透明で また清らかで、
  大空の青さの如く 小鳥の如く 花の如く
  無関心でありながら、全てのものに 薫と歌と
  快い熱とを濯ぐ 神聖な青春に。 (『悪の華』鈴木信太郎訳、岩波文庫)
 どうか、皆さんもまた、尊い日々を純粋にして朗らかに、また夢多くして悔いなき青春時代としていってください。
 その意味からも将来ある鳳雛の皆さんに、次の二つの点を申し述べたいと思います。
 第一に「より高き、より深き自分を求めゆけ」ということであります。青春とは、ある意味ではひたむきさの異名であります。より高いもの、より深いものを求めて、ひたむきにがむしゃらなまでに一直線に進んでいくエネルギーを失えば、それはもはや青春とはいえません。どうか皆さんも、臆せず勇気をもって、嵐にゆるがぬ大樹のような自分自身をめざして、ひたむきに走り続けてください。
 私の若いころ、青春時代の必読書とされていたものに阿部次郎の『三太郎の日記』があります。優れた資質をもった青年の赤裸々な内面生活の告白として、多くの読者をもっておりました。そのなかに、次のような一節があります。
 「生活の焦点を前に(未来に)持つ者は、常に現在の中に現在を否定するちからを感ずる。現在のベストに活きると共に現在のベストに対する疑惑を感ずる。ありのままの現実の中に高いものと低いものとの対立を感ずる。従って彼の生活を押し出す力は常になんらかの意味において超越の要求である」(角川書店)と。
 たしかに、その通りであります。きょうの自分とあすの自分とのあいだに、何らかの「超越」がなければ、進歩はありません。澱んだ水が腐り、そこからボウフラがわいてくるように、青春とは、もはや名ばかりのものとなり、生命の「張り」は失われてしまいます。
 どうか皆さんは、そうした惰性を排し、一日そしてまた一日、「脱皮」と「超越」をなしゆく、成長の日々であってください。
 第二に「努力また努力の青春たれ」ということであります。
 たしかに、努力とは平凡なことかもしれない。しかし、平凡なことを、俗まず弛まず持続していくことは、まぎれもなく非凡なことなのであります。そして、人生における真実の勝利を手にする人は、何か特別な才能に恵まれた人ではなく、そうした平凡にして非凡な道を、着実に歩み続けた人であることを忘れてはならない。
 江戸時代の有名な学者であり、政治家でもあった新井白石も、努力につぐ努力の学問で、若い時代を貫いています。彼が九歳にして冬の夜、桶の水をかぶって眠気をはらいながら学問したことも有名ですが、その彼は『折たく柴の記』に、次のように述べております。
 「こんなにしてまで勉強してきたのは、前にも書いたとおり、いつも堪えがたいことに堪えることを心がけ、世間の人が一度することを、わたしは十度おこない、十度することは百度したからである」(桑原武夫訳、『日本の名著15―新井白石』所収、中央公論社)と。
 いかなる秀才も、人に数倍する努力を重ねているものであります。すなわち、才能とは、長い努力に堪える自発の力にほかならず、そこに、勝利の栄冠がある。敗北とは、困難に負けて、自分で自分を見放してしまうことにあるのです。
 皆さんは、そのような弱い心であってはならないと申し上げて、私の大切な大切な学園っ子の卒業にあたり、はなむけの言葉といたします。
 最後になりますが、ご父母の皆さま方、私の創立した学園にお子さまを送ってくださったことに感謝申し上げます。また教職員の皆さま方、三年間また六年間、本当にご苦労さまでした。心から感謝いたします。
8  創価中学・高等学校 第十七回卒業記念謝恩会〈昭和62年3月16日〉
 努力の青春に人間の栄冠
 私は今まで、世界の四十力国を訪れましたが、ブルガリアにも、ルーマニアにも、アメリカにも、ソ連にも、どこの地にあっても、ありがたいことに創価学園の出身者がいました。「私は何期生の学園生です。学園時代はあまり勉強はできなかったけれども、今はこうして頑張っています」と笑顔であいさつに来る。これは驚くべき事実であり、私は大変にうれしい。
 ともかく学園の卒業生は、私にとって子どものようにかわいいのです。このうえなく大切な宝である。全国には多くの学校があり、他校の卒業生に対し、不公平だと叱られるかもしれません。しかし、創立者として、学園生こそ、もっともかわいく、大切な存在であると申し上げておきます。
 学園生であるということは、たとえていえば、戸籍のようなものです。自分の戸籍が生涯、消えないのと同じように、「学園生」であるという戸籍は、一生涯、消えません。また、これからずっと子や孫の代になっても、「学園生」という社会的戸籍は消えることがないのです。
 諸君の先輩は、世界中で自身に挑戦しながら、後輩の道を切り開いてくれています。この姿こそ「負けじ魂」です。諸君は、この学園で培った「負けじ魂」を、生涯失ってはならない。なかには、今はどうも成績がパッとしない、という人がいるかもしれません。
 しかし、十年さきに勝てばよいのです。二十年さきに勝てばよいのです。あるいは、五十年さきに勝てばよい場合もあります。これが、創価学園の教育の根本精神です。「負けじ魂」です。目先のことで行き詰まって倒れたり、くさったりせず、生き生きと前へ進んでいっていただきたい。悩みとの戦いこそ、人生です。
 大切なことは、自身の確かな軌道をまちがえないことです。着実なる人生の軌道を見失わないことです。一時的に何があろうとも、「絶対に負けない」という一念をもち続けるならば、かならず勝利の方向へと、最後は完結しゆくことはまちがいありません。さまざまな環境に屈することなく、強く豊かな「自分自身」を築きあげる生き方にこそ、勝利の人生の基本があることを申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。
  
 (帰路において)
 東京の創価学園も今秋、創立二十周年の佳節を迎えることになりました。教員の先生方もみな、教育に対する情熱と知性、また人格のうえでも、こよなく優れた方々ばかりであり、本当にうれしく思います。きょう卒業した十七期生も、すばらしい生徒ばかりでした。
 また新栄光寮では、全寮生と対面しましたが、大変にすばらしい生徒たちでした。これを思うにつけ、私は心の底からうれしいし、幸福者だと思います。
9  関西創価中学・高等学校 第十二回卒業式(メッセージ)〈昭和62年3月16日〉
 「根本の使命」を胸中に
 晴れの卒業、本当におめでとう。皆さんの胸は、新たな旅立ちへの期待でいっぱいのことでしょう。どうか、青春の学舎で勉学と友情を深めつつ、胸中に刻んだ「根本の使命」だけは、絶対に失うことなく、新たな世界へ勇んで飛翔していってください。
 トロヤ文明、ミケネ文明の発見者として知られるハインリッヒ・シュリーマンは「トロヤやミケネの墳墓を発掘した私の鋤と鍬とは、幼少の時に最初の八カ年を過したドイツの小村で早くもきたえ磨かれていたといってよい」(『古代への情熱―シュリーマン自伝』村田数之亮訳、岩波文庫)と記しています。
 彼は、少年のころ、父からトロヤ戦役伝説の物語を聞くうちに、いつしかその実在を確信し、遺跡発掘を生涯の目標とすることを誓ったのであります。しかし彼は、たんに夢想に生きるだけの空想的ロマンテストではありませんでした。ロマンを実現するために、現実に挑戦し続けたリアリストでもありました。
 十四歳で実業中学校を卒業し、小さな商店に奉公してからの彼の人生は、努力、努力また努力の連続でありました。その努力のなかで貧困と不遇を克服。また十数力国語をマスターし、経済的にも成功し、四十六歳にして初めて発掘に着手、ついに少年の日の夢を実現しました。
 「努力は天才の異名である」といわれるように、努力なくして偉大な仕事を成し遂げた人はいません。皆さんも、これからさまざまな問題にぶつかり、悩み、試行錯誤を繰り返すかもしれません。しかし、そのときこそ「わが使命の開拓の鋤は、あの学園生活の春秋で早くも鍛え磨かれているのだ」と確信し、それぞれの使命の庭で、現実に挑戦しゆく努力を積み重ねていっていただきたい。
 ともあれ、私は皆さんを信じております。そして生涯、皆さんを守りぬいてまいります。皆さんこそ私の希望であります。愛する皆さん方のご健康と精進を祈りつつ、はなむけのメッセージとさせていただきます。

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