Nichiren・Ikeda
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昭和三十三年(六月)
「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)
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1 六月一日(日) 曇
昨三十一日、東京駅午前十時発の、急行「雲仙」にて、九州本部総会へ向かう。K女史ら八人と共に。長い旅でもあり、皆と心を合わせる、よい機会でもあったと思う。
午前八時少々前に、博多駅着。
ただちに、T旅館へ。
正午──入場式。五万の会員結集。香椎球場にて。
立派な総会であった。九州よ、よく頑張ったと褒めてやりたい。
私の話は「学会の歴史と、戸田先生の雄図」と題して。
夜、九州の幹部首脳と、会食。東京より派遣されたK幹部のいばりちらすのに、皆が迷惑していた。先生がいないのだから、後輩を特に暖かく包容する時だ。心配。
よき指導者をもたぬ人びとは、不幸になってしまう。
真に学会員を思うのは、誰人か。
真に先生の死を悼むのは、誰人か。
真に広布を考えているのは、誰人か。
2 六月二日(月) 晴
午前十時発の特急「かもめ」にて、京都指導へ向かう。
長い旅であった。飛行機ならもっと早く、楽であると思った。経済力の必要性を、深く感ずる。
夜、S宅にて──講義。京都の友が、一段と成長したのには驚く。
疲れて、旅館に行くのをやめ、そのままふとんを借り、休ませていただく。雑誌を読みながら。
3 六月三日(火) 曇
早朝に起床。五座の勤行を、心ゆくまです。
お世話いただいたことを深く謝す。
京都駅、午前九時三十分発にて、舞鶴へ向かう。
午後三時まで──T宅にて、質問会。皆、突然であっただけに、喜んでいた。
三時二十分発にて──京都に再び戻る。京都幹部大会のため。
公会堂に集まる、喜々とした人びとに反し、疲れのため元気なし。残念。
学会歌の指揮を、久々にとる。
「威風堂々の歌」は、京都からの歌声だ。
4 六月四日(水) 晴後曇
京都駅、午前一時七分発の特急にて、東京へ向かう。三等車。心身ともにくたくた。思索も思うようにいかない。
八時少々前、東京に着く。
ただちに、本部へ直行。朝の勤行。
先生の眼鏡のまなざしが、厳しく浮かぶ。大きな温和な顔が、激励にと変わる。瞬時、自己につきまとう先生の面影。
さあ、元気を出し、今月も、戦おう。
さあ、断じて、今年も、闘おう。
帰宅、十時を過ぎる。
『走れメロス』を、再読。
5 六月七日(土) 曇後雨
横浜駅、午前九時三十分発にて、関西の講義へ。
車中、読書。頭に入らず。
午後四時三十分、大阪駅着。友の出迎えをうける。感謝。
本部にて『折伏経典』の講義、指導。
関西は──第二の故郷。
6 六月九日(月) 晴
午前中、休息。
暑かった。大阪は、緑が少ない。
午後──「文底秘沈抄」の講義。
法本尊の章、終了。
後世畏るべし。
夜────船場支部の班長会に出席。
庶民の熱情。
帰り、Y宅へ挨院による。いつも明るい、堅実なる家庭。
遅くまで、幹部たちと雑談。関西本部に於て。
7 六月八日(日) 晴
午前中、休息。
女子部幹部‥‥皆、遊びに来る。雑談。若々しい乙女らの十年後は。
夜、韓民会館にて──M女子部長と共に、関西女子部幹部会。明るい。
終わって、北摂地区の組長会に出席。なじみの人びと多し。
進展しゅく関西。
8 六月十日(火) 曇
在関西本部。お世話になってしまう。
暑い。暑さは、疲れを倍増する。
大阪駅へ、先生の奥様をお迎えに。夜、ご一緒に、会食を。
9 六月十二日(木) 曇
昭和二十八年六月十二日。
常住御本尊様奉戴して、ここに五年。
自己の信心を振り返る。厳しく。
一日中、涼しい日であった。
先生との、約束を破りしK氏のこと──忘れられず。われ、広布を実現し、先生の無念を必ず果たすぞ。
待て。じっと待て。忍耐だ。
先生が、先生が、じっと見ておられる。
先生、先生、わたくしを見守っていてください。
来年の戦いの作戦会議。大変だ、歩調を合わせるのに。
H君、真剣。雪辱戦なれば、凛然と指揮をとり、戦おう。
″勇将の下に弱卒なし″ そして″団結″だ。
10 六月十三日(金) 曇
勤行を真面目にしている人は、必ず良くなっている。
毎日の指導面接が、楽しくなる。
11 六月十五日(日) 曇
十四日、十二時三十分──職員たちで軽井沢旅行。
皆、愉しい姿。しかし、私は疲れた。学会の前途をただ考える。
熊谷と、高崎にて小休止。
午後六時に、塩壷温泉着。アルカリ性とのこと。胃、皮膚病に効用あり、と。
皆、トランプしたりして夜半まで遊ぶ。喜々として。いつの日か、この恩師の思い出の地を、清々しき心境で訪れることができるのは‥‥。
十五日、午前十時三十分──旅館出発。
つつじが原を経て──鬼押出にゆく。鬼気迫る感あり。浅間の噴火で一村全滅とのこと。焦熱地獄とはこれか。
昨夏、先生と共に、この地を訪れたことをなつかしむ。否、あまりにも厳しき一年の流転、夢のごとし。あの日の先生は、もはや疲労深く、歩むこともできなかった。弟子のため、わざわざ再度の見学であられるのに、私どもを案内してくださった。
午後七時──東京着。思い出多き一日となる。
帰り、よく先生にご馳走になりし、新宿のTにて、皆に天ぷらをご馳走する。
12 六月十六日(月) 曇
S社の全体会議に出席。親しき、友の会社の願いにより。友らの苦闘を見るにつけ、順調なる会社になってもらいたし。それにしても、大資本主義の欠陥をつくづく思う。中小企業の血のかよった育成が、政治になくてはならぬ──と、しきりに思えり。
帰り、M宅による。応援してあげたい。遅くまで話し合いをする。
一、学会の使命を語る
一、生活の設計について
一、M君の結婚と将来について
一、事業への信用について
13 六月十八日(水) 雨
午前十時、旧華族、本部にみえる。
近所なればと、挨拶にこられたとのこと。理事長と共に、お会いする。
秘書は、もっとゆっくり話しあいたかった様子。
午後一時より、連合会議。
青年部首脳たち、真剣。理事室の真剣さを欲する。時代に、目を開いてもらいたいものだ。遠大なる長期計画に。
夜、先生の指導を綴る。幾人かの心ある後輩と共に。遺品のことも含めて。
今とそ、仏法に説く弟子の道を。ひとり、立派に決意。
14 六月十九日(木) 晴時々曇
恩師の百か日、いまだ終わらず。
混沌たる、心境の毎日。皆の心境は、いかなるか。勝たねば、恩師が泣く。
午後、本部面接。悩める人びとのために、闘おう。
最高に尊き信心の結晶──。地味にして着実な努力をやりぬくのだ。限りなく、どこまでも。これが、われらの革命の軌道なのだ。
夜、文京支部の会合、青年部会等に出席。瞳未来に輝けり。
帰宅、十二時をまわる。
明後日は、雄大なる天地、北海道行きだ。
職員に給与を‥‥いちばん大切な生活の源泉。法戦への原動力。
15 六月二十一日(土) 晴
羽田空港、午前十時二十分発の日航機にて、北海道へ飛ぶ。理事長と共に。
風なく、雲なく、静かなる、千歳の空港にすべるように着陸。
午後二時三十分──M旅館に着く。種々、現地幹部と打ち合わせ。
大自然の北海道。青年の大地、北海道。詩と小説の北海道。恩師らの生きた、歴史の北海道。わが父の開拓事業の、思い出の北海道。ぼくは大好きだ。
夕刻、テレビ塔にのぼる。展望台、九十メートルの高さとのこと。
札幌の街──一望なり。
16 六月二十二日(日) 快晴
第一回北海道女子部総会。二千名。
第一回北海道男子部総会。三千名。
溌らつとした、愉しき総会であった。
牧口先生、戸田先生の遊びしこの曠野の地は、北海道の人びとの誉れであろう。
夜、深思。
一、恩師の百か日、一周忌、三回忌、七回忌までの、学会の方向づけ
二、学会の中心を、誰に、どのように託していくか
三、ご遺族のこと
四、最高幹部の指導のあり方
思索は限りなく続く。
17 六月二十七日(金) 晴
三十度を越す暑さ。
昨年の炭労事件を思い起こす。先生のこと、大阪事件のことを思い返す。
午後、本部にて面接指導。身体の具合、良好。身体さえ丈夫になれば、なにも恐るるものなしだ。
夜──会議。真剣勝負。
帰り、月光の松の並ぶ皇居前広場を、友らと漫歩して、帰宅。
18 六月二十八日(土) 曇
学会批判、しきりなり。
「追撃の手をゆるめるな」の決意、胸に高鳴る。正義の戦いなのだ。
七年間の構想を、じっくり考察。
今日も、三十二度に上昇。本年最高を記録したとか。実に暑かった。
青年部首脳たちに「厳然と本部を護ろう」──と厳しく指導。‥‥終わって、会食。
19 六月二十九日(日) 曇
午前中、床の中で『水滸伝』を読む。
限りなき想像の発現に‥‥自分の心身をすり減らす思い。悠然たる日々を送りたいと思うが、激務と激動が、所詮、真の悠然たる境地になっているのかもしれない。
水不足、深刻となる三災の年である。
午後一時──目黒公会堂にて、第一回学生部総会。
出席者、八百人。
祝辞を述べる。第三回男子部総会での、先生のご講演の趣旨を、皆は、いかに受け取ったことか。
恩師の精神を、ただ叫び続けて、この生涯を送ろう。先生、それでお許しください、と──自問自答。
20 六月三十日(月) 曇
今日も激務。苦しい一日であった。
来客多数。ご遺族とも共に将来のことについて語る。
多くの幹部の指針なきを残念に思う。自分のことで精いっぱいなのだろう。
勇気と理想に生きる、純真なる信仰者で生涯を、ただただ貫きたい。