Nichiren・Ikeda
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昭和三十二年(十一月)
「若き日の日記・下」(池田大作全集第37巻)
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1 十一月一日(金) 晴
晴天──。
横浜駅より、特急「つばめ」に乗る。
和歌山方面の指導。
『太閤記』読了。徳川家康の秋霜の如き軍紀と組織。秀吉の大気の如き家族的明朗さを思い浮かべる。自分は後者か。しかし、秀吉は一代、徳川家は十五代。両者の美点を忘却できず。
五時の特急にて──難波より、和歌山へ向かう。六時十分着。三十分ほど休み、和歌山中学校の講堂へ向かう。参加人員一千八百名なりと聞く。
立派な支部の素質あり。寺院の建立の必要もある。
国立公園──あこがれの和歌山の海浜の一旅室に休む。一泊。幹部らと、親しく会食。明るい、爽やかな一日であった。
2 十一月二日(土) 晴
朝風呂に入る。
秋晴れの、大海原に、太陽の光。
神々しき、金波、銀波の絶景に、しばしみとれる。
海岸線に沿って、一船かりて、一周する。皆も、本当に楽しそうだった。われも嬉し。
帰り、T家による。また、M君宅による。二人とも、和歌山になくてはならぬ人物だ。
A支部長と、田辺と、白浜による。日本最古の温泉地と聞く。‥‥田辺にて、七時より、質問会。千数百名結集とのこと。
只今臨終の思いで──全力を傾注して指導を。
終わって──白浜に一泊。多数の幹部が、遊びに来る。
3 十一月三日(日) 快晴
文化の日。
見事なる秋晴れ。朝、白浜海岸を、漫歩する。爽快なり。
九時三一十分──水上飛行機に乗るため、海岸桟橋へ。十分後、離水。操縦士を含めて、六人。雲一つ在き上空より見おろした紀伊半島の緑と、海は、さながら絵葉書であった。
十一時少々前か──堺の着陸地につく。多数の同志のいるのに驚いた。恐縮。
直ちに、関西本部へ。夕刻まで多忙。
講義、面接、男子部、女子部、京都支部の指導等──多繁の日程。
夜、七時より、中之島公会堂にて、大阪支部の、大会に出席。旧式なる話、運営に、腹が立つ。
九時の夜行列車「明星」にて、名残り惜しくも、関西をあとにする。
4 十一月四日(月) 曇
東京駅に、七時三十分着。
やはり、夜行列車は疲れる。M君、N君と、東京温泉の朝風呂に入り、朝食。
次第に、疲れおぼえ、困った。眠たくて──。
三時より、先生、日航機にて関西に飛ぶ。妻と共に見送りに。
本部、何となく淋し。新しい、強靭な、機構にせねばならぬことを痛感。今は、誰もでき得ずか。
夜、幹部達と、新宿にて会食。企画会を兼ねながら。
今日も、蒲田駅に、妻と、城久、迎えに来ている。感謝。
5 十一月五日(火) 晴後曇
先生、関西にて、非常にお疲れとの報あり。申し訳なし。あまりにも激動のご生涯であられる。
われら弟子は、もったいない。こんなに自由で。
私は、師の恩を、必ず、必ず、報ずるであろう。
午後──M君の結婚式。常在寺にて。大いに、祝福してあげる。
夜──講師会。「末法相応抄」四悉の例文より。皆、真剣。
終わって‥‥常在寺にて、城北の地区大会に出席。愉しい一日でもあった。
健康になるには、睡眠をとることが第一なり。
今日は、早目に、休もうか‥‥。
6 十一月六日(水) 晴時々曇
毎日が、無理。生命力を、旺盛にするには、五座、三座の勤行と、題目が根本。自己の信心は、はたして、真の自行化他に、わたっているや否や。それは、残念なりの一言か。
朝の勉強‥‥鎌倉時代に入る。一生勉強を忘るな。
先生、午後の便で、帰京。お疲れの、ご様子。学会も、日増しに、重大な時に入っている‥‥。誰も知らず、皆、呑気なものだ。
私に‥‥雑言、悪口する人が多いようだ。しかし、われは、われの確信と、指標ありだ。己むを得ぬ。あとになって、わかるらむ。
7 十一月七日(木) 曇後晴
午後六時より──秋季第十七回の本部総会の予行あり。後楽園競輪場にて。
月影に、美光あれど、それを仰いで、詩を詠むいとまなし。
無限の大宇宙のことを思うは、楽しいものだ。
ソ連が、革命四十周年記念に──人工衛星を発射するとか。大自然も偉大、人工衛星を作り上げた人間の力もまた、偉大。
十一時過ぎ帰宅。寒くなる。
M支部長の、失敗につき、H氏と、共に叱る。巳むを得ず。変毒為薬を、必ず、されんことを。
思索もなく、づれづれの雑記帳(大学ノート)──一冊、これで終わる。
8 十一月八日(金) 快晴
第十七回秋季本部総会。東京・後楽園競輪場。
正午──開始。開会宣言、入場式──。男子部、女子部、本部旗、支部旗の順。
入場人員、約七万人。大成功なり。
先生、非常にお疲れの様子。顔‥‥青し。われも、また疲労激し。背の痛み、焼けるが如し。
四時より、Nにて、第二次会。御僧侶、大幹部出席。
終わって‥‥女子部隊長会、男子部隊長会に出席。皆の元気、天をつく。頼もし。色心共に、飛躍しゆく、この青年たちが、未来を創造するのは当然の理。刻々と見事な成長。
月光、清し。風、凄まじ。
一瞬のわが最極、生命のキャンパスに描かれし、妙の原画。
家、静かなり。
学会は、決して、特権階級を生んではならぬ。特に、文化部と、婦人部には。
平等大慧。
9 十一月九日(土) 晴
日本晴れ。
強靭に生きたしと思う、わが人生。
東京駅、午後一時三十分発の急行にて、先生と共に、富士大石寺へ。世界最大の指導者と、共に生き、共に語り、共に生涯をおくる世界最高の幸福者──われなり。
列車内にて、T氏と会う。先生、「紹介せよ」と。
「あなたは道路博士なれば、日本のみの道路では未だ少なり。東洋がある。朝鮮、中国、インドへの道路を一本引くように」と先生、泰然と主張せり。
T氏、「形而上のことは、あなたに頼みます。形而下のことは、われはやるなり」と。
先生のいわく「しかし、形而下のことも、形而上の上にたちて初めてなせる」と。
総本山における質問会‥‥全然、元気でず。風邪。文京、築地、大阪、堺支部の会合に出席。
凡夫の有限を泌々知る。先生の、広き、深き生命力の未知数は、驚くばかり。
就寝‥‥理境坊。十二時、床に。丑寅勤行は欠席
10 十一月十日(日) 雨
起床──六時四十分。身体、熱っぽい。
先生と、理境坊にて語る。先生の慈愛に泣かぬものがあろうか。
ああ、五丈原、秋の夜半──。
八時三十分──御開扉。先生の真後ろより勤行。日淳猊下、関西方面へ御親教の間、細井日達師が代理。将来の不思議なる姿を、強烈に感ず。われ、広布の大人材に育たねば。
大講堂の屋上にあがる。壮観。
日昇上人の墓に詣ず。おなつかし。
昼の食事を中心に──先生より、再び理境坊にて、一時間、お話を戴く。
永遠の生命。十方国土に往するとの原理。妙法の力で、いずこたりとも出生できうる法理。
帰途‥‥鶴見第三十五部隊会に出席。会合、十時となる。疲れて、帰宅。勉強だ。勉強をすることだ。
11 十一月十一日(月) 雨
朝、微熱あり。妻、大変に心配そう。
将来を考えると、全く苦難多し。
一時──本部前より、伊東網代に向かう。秋季職員旅行。皆、愉しそう。われ、苦痛。先生は、本山より、熱海に静養。一緒のバスにあらず。
伊豆海岸の景観。ミカン畑、美の光景なり。大自然の鮮かさ。策にあらず、人工にあらず。無作、本有。
五時少々過ぎ‥‥到着。七時より会食。クイズなどもあり、皆、楽しそう。
久方ぶりに温泉に。部屋の下は、怒涛の海。
‥‥あくる日。
東京着、夜の八時になる。途中、ミカン狩り、写真を多数撮る。うまく撮れたら皆にあげよう。
車中、昨夜の宴会の先生の舞い──今朝の先生の、お姿──全くお元気なし。
心配なり、心配なり、来年の今ごろは‥‥。″更賜寿命″祈る。
12 十一月十三日(水) 晴後曇
朝、勤行せず。疲れ多し。
先生と、お会いできぬ。先生、一日中、第一応接室にて、お休みの由──お聞きする。一層、ご衰弱の様子。淋しさ、悲しさ、あまりある。
将来の学会を考えると──胸がつまりそうだ。断じて、学会だけは発展させねば。信心第一で、突進することだ。強盛な信心。行力。
五時──本部へ。先生と、すれ違いとのこと。実に淋しかった。
夜、葛飾のブロックに出席。
二か所の会場を飛び回る。生命力なき指導は、人々に感動を与えず。信心の指導は、学問でも、知識の教授でもなし。生命の姿勢、生命の躍動、それ自体が根本だ。
身体を大事にせねば、使命いよいよ多大なれば。
13 十一月十五日(金) 晴時々曇
午後──本部第一応接室にて、先生に親しくお目にかかる。
① 教主釈尊論
② 資本論
③ 共産主義論
④ 未来政治論
をうかがう。先生の指導が、次第に不思議に思えてならぬ。
先生のいわく「二年間の牢獄生活にわれ勝てり。七十五万世帯を達成せり」と。「大作の未来は」と。
最後に、先生のいわく「戦いに負けるは男の恥なり」と。
葛飾のブロック闘争の最終日。
第一ブロックと第二ブロックを回り、青年部員と、記念写真を撮る。帰り、荒川より家路へ。帰宅十二時をまわる‥‥。
矢口の母、来ている。共に、将来のことを、語る。優しい母。
先生は「獄中にて、″私がいる限り、富める者なれば、母よ落胆しないで呉れ″と書面を送る」と。
私も、先生の弟子である。
14 十一月十六日(土) 晴後曇
先生、お身体の具合悪し。私の色心も憂うつだ。春風の、湧き立つ日はいつぞや。
夜、女子部の組長会、男子部の幹部面接。青年と共に生き、戦い、暮らす一生でありたい。この人生こそ、黄金の道であろう。求道と創造と清純の若人と共に。
実践。勉強。
帰宅、一時近し。博正も、城久も、すやすや眠っている。いかに育ちゆくことか。
十年、二十年先‥‥。誰人が知ろう。ただ、御本尊様のみが知る。
「自我偈」にいわく、
方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法
15 十一月十七日(日) 雨
朝、胸痛し。早く目覚む。
五時とのこと。また休む。
食事をとらず‥‥原稿執筆。煙草の飲みすぎか‥‥吐き気あり。
人生五十年の、生き方を、考えたりする昨今。日々、月々、活き活きと、生きぬくことの、むずかしさ。
二時過ぎまで‥‥原稿のつづきを書く。
妻、身体の具合、悪しとのこと。心配。
16 十一月十八日(月) 雨後曇
牧口先生の第十四回忌のご法要。於・池袋の常在寺。先生のお身体、とみに悪し。ご自宅に、お見舞いにゆかぬことを後悔す。
午後、聖教新聞にて‥‥ブロック活動をテーマとする″座談会″に出席。学会の本流に生きている人。それている人。よくわかるものだ。
先生の力で、われらはこれまで育つ。
先生の力で、妙法の境涯を開く。
先生の力で、われらの力は発揮できた。
先生の師恩は、山よりも高し。海よりも深し。
忘れじ、われは。偉大なる師の歴史を世界に示さん。誓う、堅く。
常在寺の帰り、矢口の家に寄る。明るい、一家。わが心境、知られざるとも。
自己を磨くことだ。自己と闘うことだ。
17 十一月十九日(火) 曇
師のお身体、極度に衰弱。
病魔か死魔か。おやつれ、甚だし。
午後、本部へ急行‥‥先生にお目にかかる。広島の寺院の落慶入仏式にゆかれることを、心よりお止めする。
先生、毅然として、お叱りになる。
「御本尊様のお使いとして、一度、決めたことを止められるか。男子として、死んでもゆく。これが、大作、真実の信心ではないか」
厳しき指導に、涙あふるる。
「猊下もゆかれ、四千人の同志も待っている。大、死んでも俺をゆかしてくれ。死せばあとはみなでやれ。死せずして帰れば、新たなる決意で、新たなる組織を創る。あとは御仏智あるのみだ」と。
人来たり、師弟の話、涙して止む。
夜、常在寺にて、第四十部隊の部隊会に出席。元気出ず。「ただ、青年の苦衷は、誰よりも理解している」と語る。それは、経済問題、時間のこと等。あと五年、頑張りたまえ──と、切々と指導す。
帰宅、十二時少々前。静かな家。
18 十一月二十日(水) 晴時々曇
冷えこみ厳し。いよいよ冬か。
先生、ご自宅に休まる。広島ゆきは、重病にてゆけず。先生のご心境はいかばかりであろうか。
否、私はこれでよいと思う。しかし、先生の毅然たる指導は、私の生涯に残りて消えぬであろう。
H博士が、昨夜、診察に来たとのこと。嬉しい。
御本尊様に、先生の長寿を祈るのみ。
夜、『近松門左衛門全集』を読む。
あまり、好まぬが、名文と、その描写に驚く。日本に出でし大文豪といえるか。
生涯に一つ、戸田先生の一生を書き留めゆくことに、生命の奥底に、使命と希望とが湧く。
頭脳、冴えたり。複雑になりたり‥‥。
静かなる夜半、妻の和服、美しくして、茶をはこぶ。時計‥‥一時十五分を指している。
19 十一月二十一日(木) 快晴
終日、先生のことを心配する。
自分も、学会の将来を念い、神経も肉体も疲労のどん底。
夕刻、理髪店へ。多少、爽快。
人間革命の闘争の一日一日。肉弾の如く、今日を戦い進み、生きぬくことだ。題目をあげつつ。これこそ、全人生だ。信心の究極だ。
午後六時三十分──青年部幹部会。豊島公会堂にて。
① 来月の青年部総会を目指して
② 部員増加の推進
③ 中堅幹部の育成
青年部は、意気蟻ん。未来は健全。学会は正義。
この青年たちと、生涯、嵐に向かおう。嵐を恐るるな。
20 十一月二十三日(土) 快晴
女子部総会。川崎公会堂。
午後一時、開会。先生のご出席なし。淋しい、悲しい総会であった。学会も重大なる段階に入った証拠か。
式進行中、堀日亨御隠尊現下の御逝去の報あり。御年九十一歳なり、と。
原水爆廃止宣言を──中心テーマとした総会であった。
私も、原爆について話す。来年の総会こそ──東洋一を誇る神宮外苑の東京体育館にて、先生をお迎え申し、開会する決意を。
三時四十分‥‥閉会。
夜、遅くまでFにおいて首脳会議。
妻、目黒のお宅へ先生のお見舞いに。先生のご様子、芳しからず、と。心配、重なる。
先生宅へ、ご報告にゆかぬことを、深く悔ゆ。疲れてならぬ。
21 十一月二十五日(月) 晴
朝の勤行がつらい。心身共に。
先生より「留守をしっかり守れ」と連絡あり。
先生、広布まで死なないでください。私も断じて死なぬ。深く強く決意す。
静かに‥‥先生の指導が自然に映る。時を観る目、人材の育成法、人物の鑑定法等々。信長の指導主義、秀吉・家康の功罪等々。
夜、文京支部幹部会。見知らぬ人の多くなったことよ。驚くばかりなり。個々の面接指導の重要性を泌々と知る。
帰り、T宅へ。かわらず明るい家庭。十年後には、功徳の華の咲き香ることであろう。
御書を一冊差しあげる。
22 十一月二十七日(水) 晴
昨日三時より、畑毛へ。
堀日亨御隠尊猊下御密葬の儀に参列。高橋旅館に一泊。煙草ののみすぎか‥‥腹をこわす。青春の建設か。しかし、生命の破壊をしてはならぬ。
午後一時──雪山荘にて、日淳猊下の御導師により勤行。つづいて、細井総監の導師により、勤行・唱題。二時──御出棺。
九十一年のご生涯──大仏法の奥底を、究め尽くされし、世紀の大哲人の大往生の尊顔を拝す。感無量。厳然たる仏法の実証。
前に、日昇上人にお別れ申し、今、日亨上人ともお別れとなる。広布の準備なり。大舞台が、回転してゆくのか。
私は希う。広布達成の日まで叱咤してくだされ、幼稚な私を、臨終のときは、手を取り、お迎えください、と。
六時、東京着。葛飾の青年部会に疲労のため出席せず‥‥帰宅。欠席を悔い、沈みし心で‥‥床に入ることにする。
23 十一月二十八日(木) 晴
朝、九時より、浦安のN宅の告別式へ。母の死。立派な成仏の相。
午後、K氏来る。今まで批判せるも、非常に好意を示すようになってきた。幾十万の人、過去、敵なれど、今、味方となる。未来も、また幾百万の批判の人、必ず、味方に変わり、広布の陣列に連なりゆくことよ。大宇宙の法則──。
夜、隊長会、幹事会、部隊長会に出席。青年部も脱皮の時来る。次期の、組織の発展について、深く思索することを決意する。
青年部幹部自身の成長が止まっている。その原因の一つは、指針がない。二つには、師との対話がない。三つには、先輩が自信を与えぬ、等々なり。
師のお身体、具合芳しからず。先生の重体なること、誰人も、憂えず。必ずよくなると考えているのみ。浅はかにおもえてならぬ。来年のこと、広布の展望のこと、人事のこと、行き詰まりを感じてならぬ。恐ろし、悲し。
先生の指導、われ夢寐にも忘れじ。
24 十一月三十日(土) 晴
月例本部幹部会。品川公会堂。
先生、遂にお見えにならず。いよいよわれらは、大使命に立たねばならぬ。先生の灯した広布の松明を掲げて。断じて幹部らは学会を私してはならない。
帰り、目黒のお宅へ、お見舞いにお寄りする。お元気なお姿に安心す。しかし、大地を揺さぶる、生命力の衰えゆく姿。悲しみ深し。
奥様の揮身の看病に、胸打たる。先生宅の質素にも、心打たる。
帰宅して、妻とともに、先生宅のことを、おそくまで語る。清らかに、子供らしく。