Nichiren・Ikeda
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昭和二十九年(六月)
「若き日の日記・上」(池田大作全集第36巻)
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1 六月二日(水) 雨
空虚なる一日。
自分は、平穏順風を嫌う性分らしい。
人生の試練と苦難に、悠然と向かって行くことを好むのかもしれぬ。
夜、五月度の仕事、最高潮となり、W園にて、全体会議。
身体の具合悪く、実に疲れる。
断じて、死んではならぬ。将来の学会の為に。優秀なる後輩を育てゆくまで。
先生のお具合も、芳しからず。先生亡き後の学会を思うと、泣かずにおられぬ。
2 六月三日(木) 曇
病、弥々ひどくなる様子。
夜、男子部幹部会。渋谷公会堂。
超満員であった。
汗流し、皆、意気軒昂―――頼もし。
帰り、幹部達と新宿にて会食。
われ、今夜ほど、下劣な、いやな感じを受けたことはなし。早く忘れたい一夜であった。
3 六月六日(日) 雨
東京午前六時発の列車にて、登山すべき処、七時三十分となる。
身体の具合、全く悪し。死を感じてくる。
悲―――苦悩―――呼吸するのさえ苦しい。
十一時三十分、やっと、総本山に着く。
十二時、お目通り、猊下より、お杯を頂戴。有り難きかぎりである。
一時、―――お小僧さん約三十名を招待。理境坊に於て、応接の幹部数名と共に懇談する。
二時、御開扉。小雨降り続く。
猊下の背後にて、全魂を打ち込んで勤行する。身体の健全を胸臆より祈念する。大御本尊様にお目通りすることが、最大の楽しみである。
三時過ぎ、急いで富士駅まで、母、妻、兄等とタクシーに乗る。
急行「玄海」二等にて、東京へ。
疲れてならぬ。早目に就寝。
4 六月七日(月) 曇後雨
身体の調子、深刻。
休むわけにもゆかぬ。―――
秋山定輔を書いた『風と波と』を読む。誠に面白き人生なれど、彼の思考に共鳴出来得ず。
人それぞれ、悔いなき、わが道を征くことだ。彼は彼、我れは我れなり。
六時三十分より、本部にて新教授の祝賀会を開催。
出席者、約百三十名。何となく、意気の上がらぬ会合であった。
先生のお疲れのせいか―――。
自分の身体のせいか―――。
祝賀会をつうじて思う。大幹部の先輩が、もっと我等、後輩を大事にすべきだ。利己主義に思えてならぬ。
未来の学会の為、吾人は心配である。
青年達が安心して、伸びのびと成長出来る様に。それが、師の真意ではないか?
大幹部は、先生と同じ広い心で、進め。―――そうでなければ、純真な、多数の有為の青年が、死んでしまう。師の心を知らず、退散してゆく。これを憂うるのは、唯われのみか。未来を思い、淋しくてならぬ。
一人して立te―――若き無冠の王子よ―――。
5 六月八日(火) 曇一時雨
膚寒き一日であった。
生活費逼迫する。今日の天候の如し。一日中、面白からず。
夜、先生よりひどく叱られる。側近の大幹部も、同じく叱られる。
まずい時は、一日中まずいものか。
滝を昇らんとする鯉。
踏まれて、なお咲く草花。
逆境に勝ち、大成した人々。
青年期には、こんなにも心の葛藤があるものか。
「御義口伝」に云く、
所詮中根の四大声聞とは我等が生老病死の四相なり、迦葉は生の相・迦旃延は老の相・目連は病の相・須菩提は死の相なり、云云。
不思議に、死を予感してならぬ。
これ死魔tおいうべきか。信心茲に七年。
最大、最高の試練に向かう。
今夜は、とくに苦しく、淋しい。
今、一人の友もなく応援なく、力は刻々と衰えていくようだ。
涙が、るいるいと流れる。ここで死ぬのはいやだ。
弱冠、二十六星霜。
生命の奥底も極めず、人類社会に大利益も与えず、師の恩も返さず、これで死んでいくのは、あまりにも残念だ。
これでは、自殺的行為と、同じになる。
このまま、笑われて死ぬことは、あまりにも残念だ。
6 六月九日(水) 曇
正午より三時間、会長室にて、先生と種々懇談する。
先生、身体の痩せてきたことを心配して下さる。
私は、先生のお身体のことを、御心配申し上げる。″誠実な君の心配は嬉しいよ″と申される。
学会青年部は、誰よりも私が一番愛している。此の人達を、なんとか、日本はおろか、世界の檜舞台で活躍させてあげねばならぬ。
決して、先輩達が、広布の総仕上げを遂行するのではない。
五時より、本部会長室。
最高幹部会。―――六時三十分まで。
指導部、情報部の問題等有り。
七時三十分、地区講義―――池袋。
Z部長の弱き心を心配する。後輩と、反目するような先輩は、意気地がないように思えてならぬ。―――
7 六月十日(木) 曇後雨
時の記念日。疲れてならぬ。
七時、別動隊大会。常在寺。
九時、本部―――参謀会議。
出席者、T部長、U・M両男女部長、参謀室全員。
青年部始まって以来の大会議となる。
それは、青年部の全機能に関する最終結論に到達したからだ。
運営、企画、実践等の諸方針も全員異議なく決定された。
十時三十分、終了。
H君と、十一時三十分まで語る。善き友なり。
学会も、十年後には、必ず政治、経済、文化、教育等の分野で、社会の中核に進出せねばならなくなろう。
今こそ青年部に、真剣に専門的に勉強させねばならぬ。
それには、自分がマスターせねばならぬことだ。
指導者は、力がなくてはならぬ。ずるくては断じてならぬ。不勉強では、最早、其の価値はない。責務として、少しずつ勉強してゆこう。理性と情熱―――英知と確信―――。
大森駅に妻迎えに来る。共に、山王にて天婦羅を食す。思い出の道。
8 六月十二日(土) 薄曇
初夏とはいえ、春光うららかな一日であった。
だが自分にとっては、何となく虚な一日でもあった。
朝、H君と市ヶ谷レストランにて、法律の事について語る。
午後、三鷹のT社に共に行く。社員一同が真剣に働き、建設の息吹に燃えていることに感銘深くする。
成功を祈る。発展を祈る。広布の一つの牙城として。―――
同じ職場であっても、東京都内の塵芥の中と、武蔵野の原頭に立つ違いを、深く感ずる。市街に住む人々が、大自然を忘れゆく事は、人間性を忘却してゆくに等しいことだ。―――自分はそんな歯車の中に住む、機械の如き人間になりたくない。
夜、第十二部隊会に出席。皆、何となく元気なし。
読書。『プルターク英雄伝』
遅く休む。―――明日も、又、読もう。
9 六月十三日(日) 曇
午前中在宅。
頭痛をおして朝風呂に行く。
夕刻、田園調布のW会館にて、第一部隊の幹部百三十名と会合。
何時も思う事―――生涯、共に戦う人たれ。将来、力ある社会の指導者たれ。広布の人材たれ―――と。
夜、三時頃まで読書。妻に早く休むよう注意受く。
10 六月十四日(月) 雨
身体の具合、少々良好。実に嬉しい。だが梅雨はしきりなり。
午後、戸田先生宅。教学の研究。
夕刻、九段のKにて、先生、奥様、私と、M社の支店長の招待をする。
11 六月十五日(火) 曇
涼しい一日であった。
理想と現実と交錯して、複雑な心になることがある。周期的に―――。人を責めたくなる時がある。自己の非を棚に上げて―――。思索と反省を怠つてはならぬ。
所詮、強く正義を貫き通す人生でありたい。社会の人々から尊敬され、信頼される人となって―――。
それがかなわずば、死後、歴史が証明するような人に、なりたい。―――否、妙法に照覧され、大聖人様から賞賛される、真実の弟子でありたい。これを、最後の人生観とすべきであろうか―――。
五時、支部長宅にて幹事会。
H先生も来る。全く元気なし。先輩に元気なく、確信なくば、後輩は本当に困ってしまう。
九時、参謀会議。なかなか意見合わず、悲しい思いであった。
T君、遅く参謀室に来る。幹部の自覚なきか。参謀室こそ、大事な将来を考え、広布百年の大計を立てる所、その非を厳しく注意する。U部長、なかなか元気あり。
我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり。(法華初心成仏抄)
12 六月十六日(水) 晴
身体の具合、また悪し。
午後、家に帰り、少々休む。
組織は大事である。その体は生命であるとさえいわれている。だからこそ組織のなかに、もし愚かな幹部が存在するならば、これほど恐ろしい事はない。誠実な、純真な人が、悪い幹部にいじめられる事を見聞すると、烈火の如く怒りが燃えてくる。
夕刻、鶴見の講義。於鶴見市場S宅。
少々、身体を休めたためか、力強い、良い講義が出来て嬉しい。
終わって個人指導する。京浜急行・鶴見市場駅まで二、三の同志が送ってくれる。感謝の念が心から起こる。同じ同志とはいえ、労働組合の同志、共産党の同志、はたまた社会党の、保守党の同志の結合と、どちらが深く、強く、尊いことか。比類なき同志の団結と人の心ほど尊く、美しいものはない。だが一面は、人の心ほど醜いものもないであろう。十九世紀、二十世紀と、機械文明がいくら進歩しても、人の心のこの原理には、変化はない。―――十界三千、本有常住が、生命の本質であるから―――。
まず、この生命観を確立しよう。それから、広布の檜舞台に、躍り出で行く事だ。青年時代の嵐を突破して。―――
13 六月十七日(木) 曇
少々、身体の調子良好。
調子の良好な時は、声の響きにも張りがある。声にも、色心不二の生命ありと、御書には説かれている。
M専務と、一時間ほど雑談。
七時、文京支部組長会。―――本部にて。
一、疑わざるを信というなりの意
一、現在の立場で、最善を尽くす事
一、信心活動は、消極性でなく、積極性であるべき事
右の要点を感想として語る明るい、気持ちの良い会合であった。
九時三十分。京橋方面に、仕事で出張。
信心、勉強、仕事、三者を生涯、繰り返していくことだ。―――
14 六月十八日(金) 曇
薄ら寒い一日であった。
身体の具合悪し。
午後、H君と二時間、食事をしながら会談。彼、元気なし。吾れ全魂を打ち込みて、彼を励ます。彼どこまで、その意を知るや。
先生、お身体の具合悪いとの事。午前中、休まれる。
夕刻、豊島公会堂の金曜講義には御出席。「種種御接舞御書」に入ったとの事。自分は欠席。
八時、S宅にてA部隊長並びに三十名の幹部と、経済論、政治論を語る。実に楽し。皆、博学である
だが、革命児の将来を思うとき、あらゆる学問の必要を知らしめねばならぬ。―――
帰宅十一時過ぎる。疲れた。
明日は、先生にお目にかかりたい。
15 六月十九日(土) 雨
一日中小雨―――。
涼しい一日であった。
午前中、本部にて、先生にお目にかかる。御多忙のところ、しかも御病気にもかかわらず、とくに気持ち良くお会いくださる。なお公私共に、篤と御相談や御指導を戴き、胸の熱くなる思いなり。
参謀会議、第二案通る。
肩の荷がおりた気がする。
参謀会議は、今は青年部内の問題ではある。だが、将来は国内、国外を問わず、政治、教育等、全般の問題を討議する会議にならねば、広宣流布は完遂出来ない。その責任の重大さは測り知れぬものなり。
夜、先生の奥様と食事。
雨が降る。終夜降り続きそうだ。
16 六月二十日(日) 雨後曇
午前中、在宅。
向島支部総会。十二時三十分開始。於葛飾区修徳学園講堂。
祝辞を述べる予定なりしも、用事が出来て欠席。S兄の心中を思うと、申しわけない気持ちで苦しい。結集は千四百名と聞く。
八時過ぎ、S宅による。S兄と長時にわたって語る。
只今臨終と思えば、誠実に、真剣に、仏法の真髄を語り合う瞬間があるものだ。
純真な一念で語ることばは、誰人にも暖かく深く通じゆく―――。
帰宅、十二時少々前。
妻より、家計のやりくりで相談有り。
兄達の現在までの苦悩の生活をみれば、わが家は最高の幸せであろう。
17 六月二十一日(月) 晴
身体を大切にせねば、広布の大事は成就することあたわず。
朝の講義―――西洋歴史、着々と進む。
偉大なる先生であられる。一日も早く、世界の指導者として、活躍されん事を祈るのみ。
午後より、蒸し暑い陽気となる。
六時、文京支部総会の打ち合わせ会を支部長宅で。
折伏により、多数の人が救済される。
あと大事なことは人材である。幾千人の、力ある指導者を輩出させることだ。
学会の前進を思う。学会の将来の為、先輩達よ、その点を胸奥から心配されんことを。
先生、御病気の為、本部にお泊まりになる。遅く迄、H君とお見舞い申し上げる。談笑下さるお姿に、安心して帰路につく。
帰途、先生のお話を繰り返し思う。
一、民族移動のお話
一、新聞事業のお話
一、生命論のお話
以上三項目の御指導であった。
先生の鋭さ、気魄、頭脳には恐れ入るのみ。―――
先生がもし倒れられれば、学会の存在は無に等しくなる。会社も、わが家も倒れるに同じ。否、日本、東洋の暗黒は眼前たり。
先生の小乗教の生命観、大乗の常楽我浄の生命論を比較されたお話が、あざやかに残る。
H君、五反田まで送ってくれる。淋しそうな人だ。どこ迄も、力に頼る人か。一人の勇者の前途を、見届けてあげたい。
就寝、一時五十分―――。
18 六月二十二日(火) 曇
薄ら寒い日であった。
本格的な梅雨か。―――
太陽の照る日あり。太陽が隠れる日もあり。信心の躍動する日あり。何となく弱き信心となる日もある。同じ方程式と考えてよいのであろうか。所詮、水の如く生涯信心しぬくことは、何と偉大なる努力を必要とすることか。老人であれ、平凡な人であれ、十年、二十年、営々と撓まず信心を貫き通す人に、心から敬意を表したい。
昼、久しぶりに散髪。N君と大宮方面に出張。
夜、水滸会。先生、アジアに連盟の組織確立の必要性を力説。アジアは、早く手を結ぶべしとの指導であった。
先生、非常に疲労の御様子であった
水滸会員は、幸福者である。未来には、勇者の、輝く舞台が待っている。
水滸会員は、重責を負っている。師の指導を、悉く遂行せねばならぬからである。前途多難のことであろう。―――
終了後、四参謀にて、部長のことを心配し語る。
人の心の、移り変わりの激しさを、憤りたくなる事がある。所詮、唯一人、強く生き抜くことだ。堂々と、伸びのびと、大地を闊歩して。
帰宅、十一時過ぎる。書を読む。
19 六月二十三日(水) 雨
朝より豪雨。洋服を冬物に着替えする。
朝の題目の少ないことを猛省する。
仕事で鶴見方面に出張。
S宅を訪う。実に生意気である。じっと耐えよう。そして三年後に勝負せんと、帰りながら一人思索する。
夕刻、池袋にて講義と指導会。十時三十分終了。
朝、少しずつでも、読書の習慣をつけたいと思う。
八月には、北海道に行こう。限りなき曠野、憧れの大地―――、大いに大気を吸ってこよう。
東京は、雑沓で窒息しそうだ
米国へ、豪州へ、欧州へ行く日は、いつか―――。遠き未来か、吾人には。
だが、必ず行かねばならなくなる。妙法流布の使命を果たさんために―――。
いろいろ思索し、夜半まで、頭が冴えている。
20 六月二十四日(木) 曇
身体の調子、少々良好。嬉しい。
学会の秘書部門の改良を一人思う。吾人が建言する以外にないだろう。
午後、三鷹にT社を訪う。初夏の武蔵野は実に良し。空気に味のあるような感じなり。
夕刻まで、H社長をはじめ社員達と語る。
七時、参謀会議。
一、夏季講習会の件
一、聖教新聞の件
一、東京タイムズ社に抗議の件
Yさんと、久しぶりに語る。不運な人だ。H君、M君は、もっと成長してもらいたい。気位で信心の世界を生きることは解せない。私の最も嫌うところだ。
21 六月二十五日(金) 曇後雨
朝、悪夢で目ざめる。
死の夢、魔の夢―――長い長い死への夢であった。
勤行の完全に出来得ぬことを猛省。
午前中、K校に行く。梅雨しきりなり。
五時三十分より教授会。
皆、真剣なまなじりで教学の研鎖に励んでいる。皆に遅れてはならぬ。将来、指導者として、教学だけは絶対おろそかにしてはならない。
終了後、H教授と懇談。
八時三十分より、支部幹部会開催。
早く家路に向かわねば、明日の仕事に疲れることを心配する。
帰宅、十二時少々前。
22 六月二十六日(土) 雨
三、四日、顔剃らず、気晴れず。
後日、先生の奥様達とT劇場に行く打ち合わせをする。
四時三十分―――本部にて、所化小僧さん三十名招待の席をもうける。
学会側から会長以下大幹部が出席。
宗門の未来を背負う鳳雛たちの、健全なる成長を心から祈る。
終了後、小雨降る。宮城前広場を、友人等と未来を語りながら、少々散歩す。
帰宅遅くなる。
疲れる。今日は何も考えたくない。
23 六月二十七日(日) 雨
十時まで休む。熱っぽい。T君来る。
勤行せぬうち、杉並支部第二回総会出席のため五反田・星薬科大学講堂に行く。比較的良く出来たと思う。
先生も、こよなく愛す杉並支部であり、嬉しそうであられた。
夕刻、神田の教育会館へ、H先生と共に。
梅雨つづく―――。
文京支部の同志と、九時まで歌い、激励し、張り切って家に帰る。
明るい、暖かな家庭―――六月も終わりが近づく。
24 六月二十八日(月) 雨
梅雨―――昨日も、又今日も。
朝、先生お見えにならず、淋しい。先生にお会いできない一日は実に淋しい。
一生涯の師を持てる幸せを深く感ずる。
生涯の師ある誇り、世界に類なし。
雨の中を世田谷に行く。K氏信心しそうである。小学校の先生も悩みが多いようだ。
夕刻、支部長等と会談。
思うように話の進む時あり、進まぬ時もあり。
終わって、月例の全体会議出席のため、上野・S軒に急行。
八時終了。
S老と共に、蒲田までタクシーで帰る。
夜半まで、読書―――。
25 六月二十九日(火) 雨
朝、先生より叱られる。われながら、実によく叱られる―――。
弟、一年ぶりに来る。Iレストランにおいて会食。可哀想でならぬ。
記念に万年筆、定期券入れと、小遣いをあげる。
午後、支部長宅にて、今夜実施する教学試験・口頭試問の予行練習をしてあげる。わが支部より、幾人パスすることやら。
試験に臨んでも、不断に勉強し、実力ある人は、やはり強い。
教学なき者は、将来の立派な指導者になれぬことを力説する。
わたしは、試験はいらないと思う。しかし、時代は、試験制度を必要としている。
大学の試験の合格者のみが偉いのか―――。学会の教学試験に合格せし人が幸福か―――。
所詮、生涯にわたる人生で実験し、明確に-証明するのみである。
六時―――本部。口頭試聞が実施さる。
自分の担当は、杉並、大阪支部関係であった。受験者計二十六名。
最終教授会の席上、S助教授の採点に関し、先生より厳しく叱られる。私は、ありのままに正しく採点せり。先生は、立派な大将に成るためには、もっと幅広く採点せよと。
―――自分が真面目すぎるのか。当然の事と吾人は思っていたが―――。
淋しく、一人わが家へ。十一時を過ぎている。
26 六月三十日(水) 曇時々俄雨
蒸し暑き日であった。
開襟シャツに着替える。開襟は活動的である。国会も、国連も、すべての官庁も、これにしたら、じつによいと思う。
世界的に、これからの時代は、必ず一年ごとに、形式は不必要となるだろう。
私も、一段と成長せねばならぬ。安易な考えで、いつまでも子供であってはならぬ。
未来の世界が、単純な世界でなきこと明白である。そのためにも、更に苦労し、鍛え、修行せねば‥‥。
客観世界からの響き、自己の苦悩の波、―――転々、自己の信念も、ややもすれば失いかける。
われは若い。未熟だ。青い。
非常に疲れ、大幹部会休む。叱られることであろう。学会一わがままな自分を猛省する。
銭湯に行く。帰りにすしを食ぃ、おやじさんと種々語る。信心を欲している様子。
早目に床に入る。野口米次郎を読む。
明日は七月である。
覚悟をさらに決めて進もう―――。