Nichiren・Ikeda
Search & Study
昭和二十六年(五月)
「若き日の日記・上」(池田大作全集第36巻)
前後
9 五月二十六日(土) 曇
夜、本部にて、戸田先生の御書講義。
「総在一念抄」
明日は、T青年部長をはじめ四名と、栃木方面に一泊にて、地方折伏だ。
吾人の、地方闘争への初陣である。嬉しき哉。
吾が地区は、反省するととろ多々ある也。
夜遅く、T氏、U氏達来る。学会の人達はもう少し、常識があって良いと、心に思う。
無作は尊い。しかれども、正しき無作であらねばならぬ。他人に迷惑を掛けゆく行動は決して、本有無作とはいえない。否、仏法利用と断定できるものだ。
礼儀と常識の有作は、無作を光らしめる有作であり、有作のための有作ではない。
正法が、一人一人に理解され、時代の原動力、原理になりきったら、いかほどか、根深き国家が出来ようか。いかほどか、光輝ある、合理的な社会が建設されょうか。いかほどか、矛盾なき、行き詰まらざる人生を歩むことが出来ようか。
正法を、深く、汝自身が理解することだ。
正法を、広く、汝自身が広めゆくことだ。
正法を、強く、汝自身が生活に生かすことだ。
正法を、高く、汝自身が宣揚しゆくことだ。
正法を、清く、汝自身が生命の奥底に流しゆくことだ。
帰宅、十一時三十分。就寝、二時。
10 五月三十日(水) 晴
天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり、扶桑国をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり、仏は法華経謗法の者を治し給はず在世には無きゆへに、末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり、各各我が弟子等はげませ給へはげませ給へ。(諌暁八幡抄)
一日一日、夏型の陽気。
第一に、御本尊を信ずること。
第一に、御本尊を疑わざること。
第一に、御本尊に祈りきること。
第一に、御本尊を離さざること。
第一に、御本尊に訴えきっていくこと。
帰宅、十一時。
11 五月三十一日(木) 雨
五月も終わんぬ。
丈夫の心は、苦難があれば、あるほど
勇敢でなくてはならぬ。
情熱が湧かねばならぬ。
大白法流布に生きる若人、運命、使命。―――
広宣流布に進みゆく、若人、青春、決意。
真の同志は、幾人いることか。
真の同志は、誰人なりや。
真の同志は、自己が心から感じている人なりや。
信ずるものは、大御本尊様あるのみ。大御本尊を信じきっている人が、真の信じられる同志なりや。真に信じられゆく同志は又、真に、大御本尊様を信じゆける人か。
就寝、一時半。