Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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自従是来。我常在此。‥‥  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

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5  この世界こそわが使命の仏国土
 文底から言えば、この″舞台″で活躍するのは、久遠実成の釈尊だけではありません。すでに述べてきたように、久遠実成を″元初の生命に立ち返ること″ととらえるのが、文底の意です。
 戸田先生は「是れ自従より来、我れは常に此の裟婆世界に在って、説法教化す」の経文を引き、「大宇宙即御本尊ということであり、南無妙法蓮華経の生命は、久遠以来、大宇宙と共にあるということです」と語られたことがあります。
 元初の生命に立ち返れば、裟婆世界即大宇宙なのです。自在な振る舞いの大舞台なのです。われら凡夫も、妙法を受持して元初の大生命を開けば、裟婆世界の困難を悠然と耐えつつ、民衆解放に生き切る使命の勇者としての本地を顕すことができるのです。最も大変な場所に飛び込み、最も苦しんでいる人々を抱きかかえ、友と語り、友を守るそして「裟婆即寂光」の″希望の革命″を起こしていく。そこに地涌の勇者の人生がある。仏法者の精神が光る。
 大聖人は、こう仰せです。「本化弘通の妙法蓮華経の大忍辱の力を以て弘通するを娑婆と云うなり、忍辱は寂光土なり此の忍辱の心を釈迦牟尼仏と云えり」と。
 本化、すなわち地涌の菩薩として、南無妙法蓮華経の大生命にもとづく大忍辱の力で、妙法を弘通していく姿こそ「娑婆=堪忍」なのです。そして、その忍辱の姿にこそ、寂光土があるのです。私たちが、勤行・唱題によって、宇宙大の本源の生命を胸中に涌現し、悩める人々のために裟婆世界の現実に入っていく姿こそ、「裟婆即寂光」なのです。尊極の本源的な生命に目覚めるならば、苦しみと宿命に満ちた現実の穢土は、歓喜と使命に満ちた浄土に変わるのです。
6  「浄土」の真の意味──仏国土を清浄に
 「厭離穣土・欣求浄土」という言葉が、古くから日本で使われてきました。この苦悩の現実社会を厭い離れ、死後の極楽往生を願う──仏教は長い間、そのような逃避的、消極的、厭世的な宗教と考えられてきたのです。
 しかし、「現実から離れた浄土」という考えは、衆生の機根に合わせて仮に説かれた方便にすぎません。一時の慰めにはなっても、真実の幸福をもたらす教えではありません。
 日蓮大聖人は「守護国家論」のなかで、「法華経を修行する者は、いずれの浄土を願ったらよいのか」という問いに答えて、次のように述べられています。
 「法華経二十八品の中心である寿量品に『我常に此の裟婆世界に在り』とある。(中略)この文のとおりであるならば、久遠実成の本地を顕した完全な仏は、この裟婆世界にいる。だから、この裟婆世界を捨てて、その外にどこの国土を願う必要があろうか」(御書七一ページ、通解)
 ″浄土は裟婆世界に求めよ″と仰せなのです。この現実社会こそ、本来、浄土なのです。
 そして、その本来の浄土を実現していくために努力していくことにこそ、仏教の精神があるのです。
 仏教は、決して、人里離れた山林にこもり、自分だけの悟りを目指すような宗教ではない。また、現世をあきらめて、死後の幸せのみを期待するような宗教でもありません。
 「浄土」という語には、「浄仏国士」つまり「仏の国土を清浄にする」という積極的、実践的な意義が込められています。本来、ここに「浄土」の意義があるのです。日本の仏教では、この本義が完全に消え去り、浄土は「死後の世界」「あの世」になってしまいました。「浄土」とは、すなわち「土を浄める」ことです。環境を変革する行動であり、建設なのです。
7  「立正安国」の精神に仏法の正統
 経典には、国土変革のための具体的な行動さえ説かれている。
 たとえば、釈尊は「不毛の土地に木々を植え緑豊かな園林となし、川に橋をかけ、乾燥地に井戸を掘り灌漑池を作り、道に旅人たちのための休息所をつくる──このような人の功徳は日々増大し、真理に立つことができる」(『ブッダ 神々との対話』中村元訳、岩波文庫、参照)と言っています。
 この釈尊の精神を、国家の政治理念として実行したのが、アショーカ大王でした。
 正法時代の大論師・竜樹も、当時の王に「病人、孤児、貧しき人を保護せよ」「災害、凶作、疫病などで荒廃した地域で、人々の救済活動を行え」「人を権力で不当に拘禁してはならない」(「ラトナーヴァリー」瓜生津隆真訳、『世界古典文学全集』6所収、筑摩書房、参照)などと諌言しています。
 仏教における「浄土」の本義は、大聖人の「立正安国」の理念と実践にのみ生きている、と言わざるをえない。現実の国土の変革──この精神こそ仏法の正統なのです。
 戸田先生も「わがこの裟婆世界は安穏、平和のところでなければならない。原子爆弾がとんだり、爆弾が飛行機からふったりしてはならないのである。人殺しだの、餓死だのということが、妙法流布の世界にはあってはならない」(『戸田城聖全集』3)と語られていた。
 皆さんも、勤行の時に世界平和、全民衆の幸福を御祈念されている。また、来る日も来る日も、友の悩みを聞き、広布の実践に励まれている。まことに尊い「浄仏国土」の実践なのです。
 創価学会は、仏の使いとして菩薩道を行じている。″わが地域を、そしてこの国を、また全世界を、常寂光土と光り輝かせていこう″──こう決意して進むなかに、「裟婆世界説法教化」の姿があるのです。

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