Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

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12  ″本来の自身″に行き詰まりはない
 本地とは、″本当の自分自身″です。自らの本来の使命を自覚した人は、仏の命が力強く涌現し、どんな人生も悠々と勝ち切っていける。楽しい有意義な人生行路を生きていける。
 ゆえに、″広宣流布とわが人生″とのテーマを持って生きる人には、行き詰まりはない。
 大聖人の生命も、御本尊の力も広大無辺であり、宇宙大です。私たちの生命も無限の可能性を秘めている。あとは、私たちの一念です。
 もし、行き詰まりを感じたならば、自分の弱い心に挑み、それを乗り越えて大信力を奮い起こしていく。それが私たちの「発迹顕本」である、と戸田先生は言われていました。行き詰まりとの闘争が信心です。魔と仏との闘争が信心です。仏法は勝負です。
13  毎朝、仏と共に起き 毎夕、仏と共に臥す
 私たちは、毎朝、生命の根源から一日を出発する毎朝、胸中から「元初の太陽」が昇るのです。
 「朝朝ちょうちょう・仏と共に起き夕夕せきせき仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」と。
 「時時に顕本」です。唱題し、広宣流布に連なる活動に励む時、わが身に自受用身──本来の自分が顕われて、智慧が働き、勇気がわき、行き詰まることなく自由自在に自らの境涯を楽しめるのです。それが私たちの「発迹顕本」です。
 「御義口伝」では、寿量品の「我実成仏己来無量無辺」の一節を「我実と成けたる仏にして已も来も無量なり無辺なり」と文底の立場から読まれている。信心によって「自分は、本来、仏である」と開けば、過去久遠の生命(巳)も未来永遠の生命(来)も、ともにはらんだ現在の自分が顕れるのです。永遠の生命の大舞台で自在に活躍できると教えられているのです。
 寿量品とは、この私たち一人一人が本来、持っている宇宙大の生命力を明かしているのです。

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