Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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爾時仏告。諸菩薩及。‥‥  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

前後
10  「久遠の凡夫が出現」と戸田先生
 戸田先生は言われた。
 「実際生活のなかに、過去の因果を凡夫自身が破って、久遠の昔に立ち返る法を確立せられたのは、日蓮大聖人様でいらせられる。すなわち、(=大聖人に)帰依して南無妙法蓮華経と唱えたてまつることが、よりよき運命への転換の方法であります。この方法によって、途中の因果がみな消えさって、久遠の凡夫が出現するのであります。(『戸田城聖全集』3)と。
 「久遠の凡夫が出現する」──何とすばらしい表現でしょうか。これこそ法華経の核心です。法華経を身で読み切り、″仏とは生命なり″と悟られた戸田先生ならではの智慧の言葉です。
 戸田先生が言われた。「過去の因果」「途中の因果」とは、現実の凡夫に不幸をもたらしている無数の因果です。
 しかし、太陽が昇れば、無数の星々が一挙に消えてすがすがしい朝が訪れるように、妙法への信心によって過去遠々劫からの無数の悪因悪果を一挙に打ち破り、凡夫の身のままで清浄なる久遠の生命に立ち返ることができるのです。これが「久遠の凡夫が出現する」ことです。
 成仏とは、″凡夫の生命を断って仏に成る″ことではありません。決して超人のような特別な″人間以上の人間″になるのではない。
 大聖人は仰せです。
 「われら衆生は無始以来、生死の苦悩の海に沈んでいたが、いま法華経の行者となって無始の色心に金剛のように不滅の仏身を成就することは久遠の釈尊とかわることがあろうか。久遠五百塵点劫の当初にただ一人成仏した教主釈尊とは、われら衆生のことなのである」(御書一四四六ページ、通解)と。
 「無始の色心」とは「もとのままの生命」です。戸田先生の言われた「久遠の凡夫」です。
 この生命にこそ、ダイヤモンドのように永遠に壊れない幸福境涯、すなわち真実の仏身が打ち立てられるのです。この成仏の不思議さを「如来秘密神通之力」というのです。
11  「人類の境涯」を高めるのが「神通の力」
 要するに、「如来秘密神通之力」とは、凡夫が成仏することです。大聖人は御義口伝で「成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり」と仰せです。
 「秘密」といい、「神通の力」といっても、世間でいうような神秘的な超能力などでは、絶対にない。
 戸田先生は、このように語っていました。
 「同じ神通力にしましでも、雲に乗って走ったとか、デタラメな話がありますが、そんな弱い神通力じゃないのです。南無妙法蓮華経の如来の秘密神通力というものは、一切衆生をして幸せにするものです。凡夫が仏になるという神通力です」と。
 大聖人は、神がかり的な特別な力を根本としてはならないと断言されている。たとえば、「唱法華題目抄」には「利根と通力とにはよるべからず」と述べられています。
 釈尊も、阿闍世王から仏教とバラモン教の違いを尋ねられた時、「火を燃やして行う怪しげな呪法、動物の声などから未来を予言する術を行わないよう戒めるのが、私の教えです」と語っている。
 人間の生命ほど不思議なものはない。尊いものもありません。凡夫がその身そのままで成仏できる。平凡な人間であっても、仏と同じように生命の奥底から満足しきった幸福境涯を確立できる。これ以上の秘密はない。神通之力はありません。
 あらゆる人々に、最高の幸福境涯を満喫させる力──これが仏の「如来秘密神通之力」です。いわば「全人類の境涯を高める力」です。
 そして、これこそが、御本尊の偉大な功力なのです。
12  「如来秘密神通之力」とは御本尊の大功力
 日蓮大聖人は、御自身の南無妙法蓮華経如来の生命を御本尊として顕されました。まさに、「如来秘密神通之力」とは、御本尊のことです。
 「御義口伝」では「この御本尊の依文(拠り所となる文証)とは如来秘密神通之力の文である」(御書七六〇ページ、通解)と明言されています。
 したがって、文底から見れば、「如来秘密神通の力を聴け」とは、「これから御本尊の仏力、法力を説くので、聴きなさい」ということです。寿量品は、御本尊の御力の説明であり、賛嘆なのです。
 私どもの日々の勤行、唱題は、宿命と苦悩の鎖を断ち切り、「久遠の凡夫」に立ち返る生命開拓の作業です。これによって、新の一生成仏の道が開かれたのです。

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