Nichiren・Ikeda
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寿量品について
講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)
前後
12 寿量品までの流れ
法華経方便品以下では、舎利弗ら弟子たちが、次々と将来、仏になることが約束される。
法師品第十からはテーマが変わり、釈尊滅後にだれが法華経を弘通するかが主題となる。
宝塔品第十一では、荘厳な宝塔が大地から涌出する。
そして虚空会の儀式が始まる。
釈尊の呼びかけに答えて、迹化の菩薩(まだ久遠実成を明かしていない迹仏によって化導された菩薩)や声聞たちが、次々と釈尊滅後に法華経を弘めることを誓願する。他方の菩薩(他の国土、つまり裟婆世界以外に住む仏によて教化された菩薩)も集まり、「三類の強敵の迫害を受けても、命を惜しまず弘教する」と誓願した。
しかし、釈尊は、この菩薩たちに滅後の弘通を託そうとせず、涌出品第十五で「この裟婆世界には、六万恒河沙という多くの菩薩たちがいる。この菩薩たちこそ、私の滅後に正法を弘通する者である」と語り出す。
その時、突然、大地が割れ、たくさんの菩薩が地から涌き出る(地涌の菩薩)。それぞれが、リーダーとして、数多の人々を率いていた。
地涌の菩薩は、立派な威儀と福徳を具えていた。その中のリーダーが、上行、無辺行、浄行、安立行の四人であった。
その座にいた菩薩たちは、驚いた。人々を代表して、弥勒菩薩が地涌の菩薩の出現の意義を問う。
「よくこの大事を聞いた」と弥勒を讃え、釈尊は語り始めた。
「私は久遠よりこのかた、これらの人々を教化してきたのだ」
皆、驚きと疑いを生じ、弥勒が代表して問う。いつ、この菩薩を教化したのか。どうか真実を語ってください、と。(動執生疑)
この問いに対して釈尊は、如来寿量品を語り始める。
そして、神力品第二十一で、釈尊は、地涌の菩薩に滅後の弘教を付嘱するのである。
13 本門と迹門
法華経は二十八の品(章)からなる。このうち、前半の十四品が迹門、後半の十四品が本門と呼ばれている。
本門とは、本仏の説いた教えのこと。迹とは″影″の意味で、迹門とは本仏の影である迹仏が説いた教えのことをいう。
法華経の迹門では、釈尊は始成正覚の仏(迹仏)として法を説いている。しかし本門に入って、五百塵点劫の昔に成道した久遠実成の仏(本仏)の立場を顕した。こうした真実の境地を「本地」という。
迹門と本門の関係は、たとえて言えば、迹門は「天の月が水に映った影(水月)」であり、本門は「本体である天月」にあたる。