Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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唯仏与仏。乃能究尽。‥‥  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

前後
20  ″智慧の日輪″で人類を照らせ
 大聖人は、
 「所詮しょせん・万法は己心に収まりて一塵もけず九山・八海も我が身に備わりて日月・衆星も己心にあり」と仰せです。
 山も海も、太陽も、月も、星々も、皆、わが己心にある──何と広大にして荘厳な御境涯でしょうか。こうした「宇宙即我」「我即宇宙」という御本仏の大生命を、そのまま顕されたのが御本尊です。
 ″同じ境涯を目指せ″と大慈悲で遺してくださった御本尊なのです。仏法以外においても、たとえばイギリスの作家D・H・ロレンスは、つづっています。
 「眼が私の体の一部であるように、私もまた日輪の一部である。私が大地の一部であることは、私の脚がよく知っている。そして私の血はまた悔の一部である。私の魂は私が全人類の一部であることを知っている」(『黙示録論──現代人は愛しうるか』、『福田恆翻訳全集』3所収、文藝春秋)
 ここに表現されているのは、個人の生命と大宇宙との一体感でしょう。こうした人間生命の実相については、古今東西、さまざまな哲学や宗教、文学などによって探究されてきました。それが大聖人の仏法によって理論的にも実践的にも、完壁に示されたのです。大聖人の仏法は、いわば「宇宙的人間主義」「宇宙的ヒューマニズム」の宗教なのです。
 またロレンスは、人類の新時代の到来に期待して、こう結論している。「まず日輪と共に始めよ、そうすればほかのことは徐々に、徐々に継起してくるであろう」(同前)と。
 仏法は境涯です。「日輪と共に始めよ」。日天、月天をも友とし、天と語らいながら生きる雄大な境涯を開くのが、私どもの仏道修行なのです。
21  「苦楽ともに」全部意味がある
 人生の目的は何か。それは「生きていること自体が楽しい」という絶対的幸福境涯を、わが生命に築き、固めrうことです。何があっても楽しい。何がなくても楽しい。いつも生命の奥底に歓喜がある。未来への確信がある──嵐の時、波は動いても大海の深みは揺れないように、また豪雨の日にも黒雲を突き抜けた高みには太陽が輝いているように、「苦楽ともに楽しみ在がら」一歩ごとに価値を生み、境涯を開いていく。それが諸法実相の人生です。
 日蓮大聖人の″太陽の仏法″に生きゆく私たちの人生が、どれほどすばらしいものであるか。そして、この大仏法が、人類文明の夜明けを、どれほど燦然ともたらすことか。このことは、これから二十一世紀にかけて、ますます、はっきりと実証されていくでしょう。その大確信に燃えて、「われらの明日へと向かっていこうではありませんか。
22  以上で、法華経方便品第二の講義を終えたいと思います。「諸法実相」の智慧を説き示した方便品で、釈尊が開いた「一切衆生の成仏の道」は、ほぼ姿を現したといってよい。これから学んでいく寿量品第十六では、仏の永遠の寿命が明かされます。方便品の法理を、釈尊自身の生命に即してより深く展開した、いわば″仏の体験談″です。
 仏界という「わが胸中の太陽」を昇らせよ──この大いなるメッセージを学んできた私どもの探究も、いよいよ、生命のドラマ・寿量品の世界に進むことになります。日々、大聖人の門下として広宣流布へ邁進する皆さま方のために、私も、いちだんと力を入れて講義を進める決心です。

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